急接近

姫君は博物館で勤務をはじめた。姫君の住所をきかないうちに、ぼくの住んでいた集合住宅が急にとりこわされることになってしまった。ひっこすと、姫君からの手紙をうけとれなくなるおそれがある。こちらからは、博物館の住所あてに手紙を出すことはできるけれど、博物館が手紙の内容を検査するかもしれず、秘密の話はしにくい。観客として博物館に行ってみたが、姫君の職務は展示物の説明ではないから、会えるあてがない。ただし、館長が講演する行事の日程がわかった。


講演会場に行ってみると、館長は目ざとくぼくを見つけて、小声で、講演とはちょっとちがった口調で、「法律顧問どの、王女さまがお待ちかねです。講演が終わったらご案内します。」と言われた。実際、講演のあとすぐに、奥のほうの研究室にとおしてくれた。


「法律の相談があるというのは、ほんとうなのよ。この国で生まれた子どもは、この国の国民になれるというのは、確かかしら。」

「はい。憲法にそれらしい規定があり、それだけだとあいまいですが、国籍法に明確な規定があります。」

「そうすると、わたしがこの国で子どもを生んだら、その子は国民になりますね。」

「はい。ただし、本国の国籍法が血統主義ですから、王族のばあいはよくわかりませんが、一般国民ならば、二重国籍になってしまいます。二重国籍だと国民の義務が衝突することはありえますが、花旗国では二重国籍自体は合法です。しかし、本国では成人の自国民は他の国籍をもってはいけないとされているので、お子さまは成人するまでに一方の国籍をえらぶことをもとめられるでしょう。」

「子どもが未成年のあいだ、国籍をえらぶてつづきをしなければ、この国の法律上は、わたしは未成年の国民の母親ですね。それは、外国人であるわたしの在留資格更新の理由になるかしら。」

「国民である子どもの保護者なので在留をつづけたいという主張は、かならずみとめられるわけではありません。もし親がこの国の法律に違反することをしていると、国外退去を命じられるかもしれません。しかし、親が法律をまもりながら生計をたてているならば、みとめられやすいでしょう。」

「そうすると、. . . ここからは法律の話ではなくてわたしの気もちなのだけれど . . . 一刻も早く子どもを生みたくなったのよ。でも、それは、子どもをわたしの生活を安定させるための手段にすることになるよね。いけないことかな。」

「お子さまの生活も安定させることになれば、よいと思います。」

「そうよね。結婚しないで子どもを生むこともできなくはないけれど、子どもの生活を安定させるために、結婚してから子どもを生むことにしたい。何年もかけてさがすならば、わたしの結婚のあいてにはいろいろな可能性があると思う。でも、いますぐ決めるとしたら、あなたしかいない。」

「なぜぼくなのですか?」

「わたしが気にかけていることを裏も表も知っているのはあなただけだから。いや、館長にも明かしたけれど、館長にはりっぱな奥さまがいらっしゃる。」

「ぼくはずっと姫君の騎士でいるつもりでしたが。」

「心は騎士のままでいいのよ。そして、城主になってほしい。これはたとえばなしで、実際の場所は集合住宅の一室でいいのよ。わたしが城をかまえるという態度をみせると、王族の分家をたてて王家の将来について発言力をもとうとしていると思われるおそれがある。実際、王家に影響力をおよぼしたいと思うことはあるけれど、わたしの目的のためにはむしろ、自分はもう王族の地位に未練はないという態度をしめしたほうがいい。だから、わたしは結婚とともにあなたの姓をなのって、王家からあなたの家にうつった形にしたいのよ。家計をささえる責任は分担しましょう。わたしがいまの給料をもらいつづけられるあいだ、あなたは法律の勉強に専念してもかまいません。そのあいだに、弁護士の資格をとるか、法律事務所の幹部になって弁護士をうごかせるようになるか、法学博士号をとって学者として身をたてるか、ともかく、わたしがもし働けなくなっても子どもを育てられる力をつけてくださいね。」

「そのような役がつとまるかどうか、いますぐお約束はできませんが、まえむきに考えてみます。」

「ひさしぶりに会ったその日のうちに結婚の提案をしてしまったわたしの態度がむちゃよね。半年ぐらいかけて考えましょう。館長にとりついでもらうことができるから、あなたは堂々と館長をたずねてきてください。どんな用事かきかれたら、わたしたちの本国についての展示の構想の相談ということにしてね。実際、わたしのあたまのなかに構想があって、あなたとはその話もしたいので。」

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