ふたりの修士

姫君が博物学の修士号をもらえることになった。さらに博士号をめざす教育課程に進めるのだけれど、花旗国に、修士号があれば学芸員として採用しようという博物館があるから、博士課程は休学して花旗国に移住することを考えているという。


ぼくもちょうど法律学の修士号をとったところだった。修士という名目は同じでも、姫君は学術論文がよい評価をうけたのだけれど、ぼくのほうは法律学の勉強が一段落したことにすぎないから、くらべものにならない。しかし、このことを書きおくったら、姫君は大よろこびだった。ぼくのためによろこんでくれたわけではなく、姫君自身にとってつごうがよかったのだが、姫君の役にたてるのならば、ぼくもうれしい。


姫君は博物館と雇用条件の交渉をしないといけない。そのとき、花旗国の法律の知識がないと損をするおそれがある。王女として花旗国駐在の本国の大使にたのめば、大使館が契約している弁護士をつけてくれるだろう。しかし、もし本国政府が姫君に本国に帰ってきてほしいと思っているならば、大使館の弁護士はその意向にそって動き、姫君の雇用が長続きしないように条件をきめてしまうおそれがある。姫君は、ぼくに助言を受けながら自分で交渉したほうがよいと思った。しかし、ぼくは姫君の親戚でも本国の役人でもないから、同席する理由がたたない。


ところが、ぼくは法律学修士になった。しかも、ぼくは専門分野として花旗国の労働法と移民法をかかげている (自分が生活する必要にせまられて勉強した分野のほかに得意分野がないからなのだけれど)。弁護士ではないから交渉を代行することはできないけれど、本人が交渉する場に同席する助言者にはふさわしいと見てもらえる。騎士として、姫君が期待する武器のひとつを身につけることができたわけだ。


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姫君が交渉で主張したいことを聞いて、それぞれについて、ぼくは、花旗国の法律の条項とむすびつけながら、どのように主張するかを考えていく。


まず姫君が主張したいことは、交渉の主体は姫君個人であって、王家でも国でもないことだ。雇用契約は、姫君が王族でなくなっても、また、国籍がかわっても、ひきつづき有効であってほしいのだ。


それから、このたびの最初の契約は、ためしという意味もあるので、期限つきになるのももっともだけれども、そのあいだに審査をうけて合格したら、無期限の契約にきりかえられるようにしてほしい。(ただしこれは、一定の待遇を終身で保証せよという意味ではない。とくに、としよりになったら、任務を軽くして それに応じて給料もへらすような契約更新がのぞましくなることはありそうだ。)


そして、雇用契約がつづいているあいだに、外国人としての在留資格がきれるばあいには、雇い主として、在留資格の更新に全面的に協力してほしい。


出産のために勤務を中断することがあっても、それが1年以内ならば、確実に職にもどれるようにしてほしい。1年よりも長くなるばあいにも、復帰の交渉に応じてほしい。


本国あるいは王家のつごうで本国にとどまる必要が生じて、花旗国での勤務が中断することがあるかもしれない。それについても、1年以内ならば、確実に職にもどれるようにしてほしい。1年よりも長くなるばあいにも、復帰の交渉に応じてほしい。


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交渉はうまくいったと思う。博物館長が、姫君にむかって「あなたは有能な法律顧問をつれてきましたね」と、ぼくのことをほめてくれた。この交渉の結果、博物館の出費は館長の予想よりもふえたにちがいないのだけれど、姫君が職員になることにはそれだけの価値があるとぼくは思うし、たぶん館長もそう思ってくれたようだった。

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