第二話 現実はグリッチレス

 花冷えというのか、もう春と思っていたのにずいぶん寒い朝だった。

 同じ電車に乗っている人の中にも、昨日は見なかった薄手の上着を一枚多く着ている人もいる。

 電車を降りたところでちょうど同じ電車に乗っていたらしい優子と目があった。

 優子は手を振ってこちらに小走りで寄ってくる。

「匡介くん、おはようございます」

「おはよ。やっぱり敬語抜けないんだな」

「あ、すみません……じゃなくて、ごめんね?」

「謝ることじゃないし、別に慣れないなら敬語でもいい。よそよそしいとか思わないからな」

「ありがとうございます。匡介くんは優しいですね」

「このぐらい普通だろ」

 優子は入学初日、これまで同年代の友達がいなかったと言っていたがそれは本当らしく、大人と話すことが多かったため敬語の癖がついたという。

 他のクラスメイトに対しても敬語で話すので、さやなんかは「わざわざ気使わなくてもいいのに」と言っていたが。

「あ、見えますか?」

 その声に引き戻されて優子を見ると、駅のホームに突っ立って電車が来ている側とは反対側をなにやら指差している。

「見えるかって……何がだ?」

 指のほうをじっと見ても何もない。

 せいぜいあるのは近くの山ぐらいだ。

「まっしろですよ!」

 そう言われてまじまじ見てみると、山の頂上あたりがまだ白く見える。

「雪だな。山の上だからまだ残ってる」

「あそこまで、どうやったら行けるんでしょう?」

「電車で一時間くらい乗れば、ふもとまでは行けた気がするけど」

 家族で登山に行ったときのことを思い出して、俺がそう答えると、優子は意外と近いんですね、と言ってそれでも山を見ていた。

 なにが面白いでもないだろうに、ホームに入ってくる電車が景色を遮るまで見ていたので、俺は仕方ないから待っていた。



 駅を出て学校まで歩く。

 優子は何やら考えているようであまり話をしなかったので、俺から話してみる。

「部活とかやるのか?」

「え?」

 気もそぞろといった様子で、かろうじてこちらを向いて答える。

「いや、学校慣れたかなと思って」

「お母さんみたいなこと言いますね」

「うるせえな。部活動の出し物あっただろ」

 昨日は新入生を歓迎するための催しがあって、俺たち新入生は体育館に集められた。

 吹奏楽部や合唱部が順に演技をして、それぞれの部活に入部してほしいことをアピールしていた。

「うーん、部活ですか」

「なんか気乗りしないのか? お前の好きな青春といえば部活、って感じだろ」

「そういう匡介くんはどうなんです」

「俺は部活動の内容自体には興味があるが、拘束時間というのがいけない。顧問や先輩にスケジュール管理されるぐらいなら一人でトランペット練習するね」

「前向きなんだか後ろ向きなんだかわかりません」

「前しか見えないね。明日に生きる男だぞ」

「わたしには今日しかありませんから」

 優子はくすくすと笑った。

「どういうことだよ?」

 むすっとなって俺が聞く。

「明日だって、寝て起きたら今日になってるでしょ」

「お前には詭弁論部がお似合いだな」

「わたしもきみと同じでなるべく自由に時間を使いたいですから、部活には入らないことにしました」

「さやも入らないみたいだから、じゃ放課後とかは遊べるな」

 そう何気なく言うと、優子は目を丸くしてそれから嬉しそうに笑う。

「遊んでくれるんですか?」

「……そりゃ、友達なんだからある程度は遊ぶだろ。そのうち予定立てて飯でも行こうぜ」

「今日行きましょうよ!」

「だめだな」

「どうしてですか? 予定があるんです?」

「べつにない」

「ならいいじゃないですか!」

「予定にないことはやらない主義なんだ」

「それって、本当にまにゃにゃんさんの教えなんですかね〜」

「マニャーナだし、人名じゃないからな」

 話しているうちに校門が見えてきた。桜並木は相変わらず綺麗に咲いている。

 新入生が入ったばかりだからか、門の前で先生が一人立って挨拶の声かけをしていた。

「あ、うちの担任じゃないか? あれ」

 俺が気付いて振り返って優子に教えようとすると、優子はその数歩前で立ち止まっていた。

「どうした? なんかあったのか?」

 優子はじっと考えているような様子で、俺は後戻りして声をかける。

「匡介くん……」

 真面目な顔をして俺を見つめる。

「お、おう」

「わたし、やっぱり雪が見たいです」

「は?」

 何を言うかと思えば。

「雪って、あの雪か? さっき駅で見た」

「そうです。まっしろな雪!」

「見たいって……じゃ、そのうち見に行くか。休みの日にでも」

「そのうち、じゃだめなんです」

「……なんでだよ?」

「明日には溶けちゃうかもしれないじゃないですか」

「まあ……そうだな。でも、どうすんだよ」

 言ったら、優子がウィンクした。

 言わなかったが、実にへたくそで頬ごと引き攣っていた。

 嫌な予感がする。

「学校、サボっちゃいませんか?」

「お前な……さすがに冗談だろ」

 半笑いで聞いても、優子は真面目な顔を変えない。

 またウィンク。

「……さーて、俺は学校に行こうかな」

「匡介くん!」

 手をつかまれた。思ったより力が強い。

 優子はじっと俺の目を見ている。

「わかりました。匡介くんは学校をサボるのがいやなんですね?」

「そりゃ嫌だろ! まだ学校始まって一週間も経ってないんだぞ!」

「でもわたしは、今から雪が見に行きたいんです」

「そうか、じゃあここでお別れだな」

「匡介くんと見たいんです!」

「……」

 答えに困る。

 黙っていると、優子が得意げに続けた。

「そこで、わたしがとくべつに、学校をサボらずに今から雪を見に行けるバグ技を匡介くんに教えてあげます」

「……は?」

「いまからやる方法を、よく見ててくださいね?」

 優子は俺の腕を引っ張って、意気揚々と校門まで連れて行く。

 担任が俺たちに気が付いたらしく、こちらに寄ってきた。

「おう、おはよう! 梅原、竹宮!」

「おはようございます、先生……」

 俺は返事をして挨拶したが、優子は自信満々の顔でいながら挨拶を返さない。

「どうした? 朝は元気が一番、元気のもとは挨拶からだぞ? 梅原、おはよう!」

 優子はまじまじと先生の顔を見つめて──

「さようなら、先生っ!」

 そう言って走り出した。

 何やってんだこいつ、と思う間もなく引っ張られて俺もつっかかるように走り出す。

 そうだった、腕を掴まれてるんだった!

「お、おい!? さよならって……これから学校始まるんだぞぉ!?」

 先生が走って追いかけてくるのを振り返って確かめながら、俺は優子に言う。

「おまっ……どうする気だよ!?」

「とにかく走って!」

 優子は駅までほとんど一本道なのに、曲がらなくていい角をどんどん曲がって走る。

 住宅街の景色が右に左に回るように流れて、俺も目が回るような思いがした。

「おい……優子!?」

「ぜえ……はあ……はし、ってぇ〜」

 自分から走り出したくせに早々にへばってやがる!

 俺は後ろを振り返り、ぎりぎり遠くに角を曲がるのが見えた担任を見て仕方なく優子の手を握り返し。

「ちょっと引っ張るぞ!」

「ふへ? はぁい……!」

 優子を引っ張って、駅まで走ったのだった。



 都会へ向かう上りとは逆の電車の中は朝の時間帯にもかかわらず空いていて、俺も優子もとりあえず席に座ることができた。

 優子は特に走ったせいで息が上がっていたので、俺はとにかく彼女を先に座らせる。

「お前な、どういうことだよ!? バグ技って、ただ先生を挑発して走って逃げてきただけじゃねえか!」

「ち、ちがうんですよ……ふぅ」

 ようやく息が戻った優子は、汗をハンカチで拭きながら答える。

「匡介くんは朝、先生に声をかけられたらなんて言います?」

「さっきみたいにおはようございますって言うな」

「じゃあ、放課後の帰るときに先生に声をかけられたら?」

「……さようならって言う」

「そうなんです。だから、おはようございますって言うべき朝の先生との挨拶のときに、さようならって帰りの時間の言葉を入力すると、バグって放課後を呼び出すことができるんです」

「できねーよ。普通に授業始まっちまうよ」

 スマホが震えて、画面を見るとさやからメッセージが届いている。

『二人揃って休みって、まさかサボってる? 怪しいから次会うときは尋問するからね』

 ……無駄にするどいやつ。

 だがお前が思うようなピンク色のサボりじゃないぞ。

「ふはー、疲れましたぁ」

 上気した頬と汗で濡れた髪を見ると、いまいち自信がなくなってくるが。

「ったく、先生に追いつかれたらどうする気だったんだよ」

「逃走中に255回角を曲がると、先生が壁にめり込んで追って来られなくなるから、大丈夫ですよ」

「そんなに曲がってねえし、ちゃんと追ってきてただろうが」

 あとで謝らなきゃなあ、と思うと頭が痛い。

「……匡介くん、怒ってますか?」

 頭を抱えているのを気にしたのか、優子がおそるおそるといった感じで俺の方を見ていた。

「まあ、びっくりはしたな」

「そうですよね。ごめんなさい、急にこんなことに付き合わせて」

 俺はいったん険しい表情をしようとして、やめた。

 優子が申し訳なさそうにしていると、どうしても怒る気がなくなるのだ。

「ま、電車に乗っちゃったからには仕方ない」

「……匡介くん?」

「俺も、雪見たくなってきたな」

「ふふっ、でしょ?」

 優子はうれしそうに笑う。



 電車のドアが開いて、目的駅のアナウンスが聞こえたとき、俺と優子は揃って電車を降りた。

 そのホームは開けていて、近くにそびえ立つ山が間近に見ることができる。

 学校の最寄駅から遠くに見えた小さな山が、近くに見てみるとこんなに大きい。

「……デカいな」

「大きいですねえ」

「匡介くん、これ」

 カバンから取り出したのは、小さいがしっかりしたビデオカメラだった。

「わたしを撮ってくれませんか?」

「……ま、いいけど」

 カメラを回して、優子を撮った。

「どうして急にカメラなんだよ? まさか、今朝見る前から今日サボるって決めてたのか?」

「いえいえ、わたしそんなに悪い子じゃありません」

 実際サボったんだから十分だろ、とは言わなかった。

「わたし、これから青春RTAをするんですから、それを録画しておこうと思ったんです」

「日記みたいなもんかね」

「いえ、追走者のための記録ですよ!」

「追走者ってなんだよ……いないだろそんなもん」

「いるかもしれないじゃないですか! ほら、ちゃんと撮れてますか?」

「撮れてるけど……なんで俺が撮影係?」

「彼氏くんでしょ? 女の子は、彼氏くんに見られてるときが一番かわいいって言いません?」

「……知らんけど俺は彼氏じゃない」

「山も映ってますか〜?」

「あーもう映ってるよ!」

 背景にはちゃんと大きな山が映っている。

 だが、問題がある。

「こっからだと、雪見えねえな」

「見えないですねえ」

 あまりに近づきすぎたためか、山頂の方までは見えなくなっていた。

 俺と優子は顔を見合わせる。

「……まさか、登るって言わないだろ?」

「さすがに制服じゃ登れませんね」

 その気まずい顔がお互いにおかしくて笑った。

 しばらく笑って、笑いが引っ込んだ頃に優子が言う。

「それじゃ、学校行きましょうか」

「……なんのために来たんだか」

「そ、そんなこと言わないでくださいよ! ここまで来られて、匡介くんも楽しかったでしょ?」

「ま、空気はうまいな」

「ですよね! なんだか生きてるって感じ!」

「空気吸いに来たにしては、一時間は長いけど」

「ひどい!」

 本当に何しに来たのかわからないような、どうしようもない小旅行だったが。

 ホームで結局また逆方向の電車を待つあいだは、なんだかんだ言って楽しかったと言わざるを得ない。

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青春RTA! くすり @9sr

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