第62話 知将の計算外
ライラス領リテーナの領主屋敷。
そこの執務室でライラス辺境伯は、執事であるメフィラスと深刻な顔で相談を行っていた。
「……計算外です。まさかベギラがスクラプ領を奪ってしまうとは。いえ奪えてしまうとは、と言った方がよいでしょうか」
「すごく頑張っているようですね」
「……頑張りすぎです! 私の計算では最低でも二年は、現状維持が続くはずでした!」
ライラス辺境伯は珍しく言葉を荒げて、焦っている様子を見せる。
彼女にとってレーリア国の情勢の動きは全て掌の上だった。
ベギラがツェペリア領主になったのも、スクラプ領がツェペリア領に攻め入ったのも。
だがひとつだけ大きすぎる計算ミスを犯した。
「まさかベギラがスクラプ領を丸ごと実効支配してしまうなんて……人手が足りないので不可能なはずでした。ゴーレムは統治の兵にはできない。なのでスクラプ領からは賠償金をもらうで終わる計算でした」
「巨大ゴーレムで民の心を完全にへし折って、敵対するのを諦めさせるという力技にして大技。流石のお館様も計算違いでしたか」
「……ゴーレムの文献は見ました。ですがそのようなことは、まったく記載されていませんでした」
ライラス辺境伯は小さくため息をついた。
彼女の見た文献に巨大ゴーレムが記載されていないのも当然だ。
そもそもゴーレムの著書で、レーリア国に現存しているのはごくわずか。
さらにその著者はベギラの師匠にして、現ゴーレムのあの人である。
あの巨大ゴーレムはベギラが稼働期間を限定するコアで成しえたので、師匠の著書にも書かれていなかった。
「まったくベギラは見ていて飽きませぬな、はっはっは」
「笑いごとではありません。このままでは予定よりも早く王家との全面戦争になってしまいます。これでは圧勝が出来ずに泥沼になりかねません」
「失礼いたしました」
メフィラスが恭しく頭を下げた直後、部屋の扉がノックされて外からメイドが声をあげた。
「ライラス辺境伯様! 早馬で手紙が来ています! ツェペリア領の新情報だそうです!」
「わかった、受け取ろう」
メフィラスは部屋の扉を開けて、メイドから手紙を受け取る。
そしてその手紙をライラス辺境伯に手渡した。
「……!」
ライラス辺境伯は手紙の便せんを開いて、中にある文を読んで少し顔をしかめた。
「いかがなさいましたか?」
「……ベギラにアイリーン第三王女が接触しました。おそらく王家は王女をベギラに嫁がせて、自分達の派閥に取り込むつもりです!」
「なんと。あのベギラに王女殿下との婚姻話が……あの時、屋敷の前で騒いだ少年が立派になって……」
「なにをしみじみとしているのですか! 今のツェペリア領はすでに、スクラプ領を飲み込んで大きな領地になっています! しかもゴーレムによる戦力は脅威です! もし寝返られたらかなりマズいのですよ!」
過去を思い出して懐かしむメフィラスに対して、ライラス辺境伯は叱責する。
そんな彼女はいつものような超然とした様子ではなく、珍しく年相応の少女のようだった。
「失礼いたしました。ですが落ち着きください、ベギラは王家に酷い仕打ちを受けました。そうそう王家派に入るとは思えません。現時点では、ですが」
メフィラスは慌てる少女をなだめるように、落ち着いた口調で語り掛ける。
それと見たライラス辺境伯は少し息を整えた。
「……分かっています。今のベギラはツェペリア領主として、責任のある立場です。もし私たちよりも王家側につくメリットがあると考えれば、今後どうなるかは断言できません」
「王家と親族になるというのは、普通は魅力的ですからな。やはり婚姻による繋がりは大きい」
レーリア国において貴族間の婚姻はかなり重要だった。
もしベギラが第三王女と婚姻すれば、その時点でツェペリア領は王家派に入ると宣言することになる。
それはライラス領にとっては何としても避けたいことだった。
何せ今までの味方が敵になる。更に言うなら周囲の貴族からすればこう見えるだろう。
こう噂するはずだ、『新進気鋭のやり手領主が元飼い主を見限った』と。
中立の貴族たちは勝ち馬に乗りたがるので優勢の側につく。
もしベギラが王女と婚姻を結ぶことで、ライラス領が見限られたと思われれば……中立の貴族が王家側に傾く恐れが出てくる。
最悪、ライラス領と王家のパワーバランスが逆転しかねない。
「何としてもベギラと王家の婚姻は破棄させなければ……いやそれでは甘いです。この噂自体があり得ない偽りだと、根から断つ行動が必要です」
「お館様の親族を嫁がせますか? 以前よりは成長しても、まだ十歳ですが……」
「それでは弱すぎます。ライラス辺境伯家の嫡流でもない者では、いざとなればベギラが捨てる可能性もあります……捨てなかったとしても周辺貴族がそう思うのが問題……」
ライラス辺境伯は腕を組んで真剣な表情で悩み続ける。
その様子にいつもの余裕はなく、その考える様子も年相応の十七ほどの少女にしか見えない。
頭のよい者は常に様々な事態を予測していて、それ故に臨機応変な対応が可能だ。
ましてやライラス辺境伯は、それこそ今までのレーリア国の情勢を思うがままに操れていた。
まさに風の識者に相応しい才覚を持ち、全ての盤面を彼女は想定していたのだ。
だからこそ予想外に直面したことは今までなかった故に、このような状況を不得手としていてもおかしくはない。
事実としてライラス辺境伯は少し顔を赤くして、冷や汗をかいていた。
「……すー、はー」
ライラス辺境伯は小さく深呼吸を行う。
「お館様、よろしければお飲み物をご用意いたしますが」
声をかけたメフィラスに対して、少女はいつもの笑みを浮かべた。
「…………大丈夫ですー。こうなれば仕方ありませんねー。もう私の少し遠い親族程度ではベギラを繋ぐ鎖にはなりませんー。そして私に近い親族で、ベギラの妻に出せる者はいませんー」
「左様でございますな」
「であれば選択肢は……」
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