第7話 朝飯前
翌朝、少しの頭痛と空腹感を抱えて起き出したレジスは、顔を洗うために裏手の井戸に向かった。井戸の前では既に起き出していたアイシャが先に顔を洗っていたところだ。
「おはよう」
「あ、ああ。おはよう」
レジスはまともにアイシャの顔を見られなかった。顔を見ると、昨夜のアイシャがレジスの頬に押し付けて来た胸の感触が蘇って来る気がする。アイシャとしては押し付けた自覚は無かったのだろうが、レジスにとっては気まずいことこの上ない。
とはいえ、これから先同じ部隊に所属する以上は妙なしこりを残すわけにもいかない。
意を決してレジスはアイシャに話しかけた。
「あの、昨夜は……」
「楽しかったね!」
意外なほど屈託のないアイシャの笑顔にレジスは驚きを通り越して呆れてしまった。
「そ、それなら良かったけど」
「でも、私どうやって宿舎に戻ったんだろう? 気が付いたら部屋のベッドで寝てたんだけど」
「え? 覚えてないの?」
「うん……あ、私レジスに何か迷惑かけた?」
今度はアイシャが驚いた顔になって口元を手で覆った。どうやら昨夜のことはほとんど覚えていないらしい。
迷惑どころではなかったが「いや、別に何もなかったよ」とだけ言うに留めた。同時に、レジスは二度とアイシャに酒を飲まさないようにしようと心に決めた。
顔を洗って身支度を整え、朝食を摂りに酒場へ向かう。その途中、アイシャが立ち止まった。視線の先ではアメリアがひたすら剣の素振りをしている。
早朝にも拘わらずアメリアは全身にびっしょりと汗をかいており、見ただけで相当長く剣を振っていることが理解できた。
「アメリアは毎朝必ずああして素振りしてるんだ」
「打ち込みが鋭いね。若いのに相当鍛錬されている」
昨夜の挑発には乗らなかったが、同じ剣士としてアイシャはアメリアの剣技をそう評した。実際、剣での立ち合いでレジスはアメリアから一本も取れたことは無い。アメリアがあれほど剣の腕に自信を持っているのも全く根拠がない訳では無かった。
その時、レジスとアイシャの姿に気づいたアメリアがイラ立った目で近付いて来た。
「ふぅ~ん。朝から仲良くご出勤ってわけ?」
「お、おい、やめろよアメリア」
「ザコは黙ってろって言ったでしょ!」
レジスをきつく睨みつけたアメリアは、再びアイシャに視線を戻した。
「プライマー、着けなさいよ」
「え……」
「昨日の約束、覚えてるでしょ。立ち合ってあげるからさっさと構えなさいって言ってんの」
「でも……」と言いながらアイシャがレジスに目で助けを求めた。その態度に余計イラついたアメリアが、銀の指輪を取り出して右手にはめた。
「来ないなら、こっちから行くわよ! プライマー・セット!」
アメリアの足元に魔法陣が出現し、体を戦闘体に変換する。
直後、右手から光るブレードを出現させたアメリアがアイシャに斬撃を送った。
「ア、アメリア! やめて!」
生身のまま、すんでの所でアイシャが斬撃を剣で受ける。
だが、戦闘体と生身ではそもそもの運動能力が違う。受けた剣ごとアイシャは徐々に押し込まれていった。
思わずレジスが叫ぶ。
「やめろ!アメリア! 生身相手に何を――」
「
耐え切れずにアイシャが後ろに飛び退る。同時にアイシャも覚悟を決めて右手に指輪をはめた。その目には戸惑いの他に若干の怒りもこもっている。
「どうなっても知らないわよ! プライマー・セット!」
アイシャの足元にも魔法陣が出現した。それが消えるや否や、再びアメリアが猛然と仕掛けた。
足を狙った横薙ぎの一閃をアイシャが飛んでかわすと、アメリアが剣から左手を離して片手持ちに変わる。同時に切り返した切っ先は空中のアイシャの首を捉えたが、背中越しに剣を回したアイシャの刃先に阻まれた。
アメリアの剣速はレジスの予想を上回っていたが、アイシャの方もそれにしっかり対応していた。
アイシャが着地する瞬間を狙い、アメリアが今度は逆袈裟に切り上げた。だが、アイシャの方も今度は姿勢を低くして逆袈裟に対応している。
その時、アメリアが「かかったね!」と叫んだ。
アメリアの声に反応したアイシャが視線を剣に向ける。すると、そこにあったはずの剣はいつのまにか消失し、さっきまで何も持っていなかったはずのアメリアの左手に剣が握られていた。
レジスは我が目を疑った。
マグタイト製の武器は出し入れは自由にできる。だが、アメリアほど高速での『持ち替え』ができる隊員はそう多くない。
武器を出すには頭の中ではっきりと武器を持った体をイメージしなければならないが、通常はそのイメージの構築から実際の武器の出現までにタイムラグが生じるものだ。
斬り合いの最中に武器を消して再構築するには相当な修練を必要とする。
アメリアの努力は知っていたつもりだったが、今のアメリアはレジスの知っているアメリアとは全くの別物と言って良かった。
逆袈裟をかわすために姿勢を低くしたアイシャの目の前にアメリアの突きが迫る。
アイシャは咄嗟に身を捻ったが、左の二の腕に傷を負ってしまった。
「くっ」
アイシャが再び飛び退って距離を取る。左腕からはアイシャが負った傷の深さを示すように光が勢いよく噴き出していた。
勢いに乗ったアメリアが次々に斬撃を送る。アイシャはそれを受け流すが、すぐに持ち替えた反対の手から斬撃が返ってくる。
いかにアイシャの身のこなしが優れているとはいえ、左右の手がそれぞれ別の意志を持ったかのように迫って来るアメリアの剣技には苦戦を強いられていた。
「逃げてばっかりじゃ、アタシには勝てないよ!」
アメリアが叫びながら右手の横薙ぎ。ついで左手の袈裟斬り。アイシャが必死の顔で受けるが、捌き切れない斬撃が少しづつアイシャの体の表面を切り裂いていく。
たまりかねたアイシャがもう一度飛び退って距離を取った。気がつけば敷地の塀がアイシャの背に迫っている。
「もう逃がさない」
アメリアが再びアイシャに向かって疾走する。疾走中もアメリアの剣は右手と左手を行ったり来たりしている。上下左右、どこから斬撃が来るか体の姿勢で読ませない為の技だ。
アイシャは剣を自分の体の右後ろに置いた、いわゆる『脇構え』の形を取り、そのまま息を深く吸った。
吸い切った息を止めたアイシャは、向かって来るアメリアに対して自身も正面から疾走した。
二人の距離が見る見る縮まり、お互い剣の間合いに入る。
先にアイシャがアメリアの左胴に横薙ぎを見舞った。が、今度はアメリアが刀身を回してアイシャの剣を受ける。
瞬間、アイシャがアメリアの横を駆け抜けた。
「逃がさないって言ってるで――」
アメリアがアイシャを追って振りむこうとした瞬間、気付けばアメリアの右脇腹にアイシャの刃先がピタリと据えられていた。
「そこまで、だな」
ハルトマンの声が響く。いつの間に居たのか、レジスの後ろにはハルトマンとサラが立っていた。
「イズモ新当流『
ハルトマンが感心した様子でサラに聞いた。
「ええ。見事ね。
ナリマサ様の太刀筋そのままだわ」
サラもアイシャの剣を懐かしそうな顔で見ている。
ハルトマンの言葉を合図にしたようにアイシャが剣を鞘に納め、プライマーを外して生身に戻る。
アメリアはがっくりと項垂れたが、助け起こそうとしたアイシャの手を振り払った。
「勝ったからって調子に乗らないで!」
「調子に乗ってなんかいないわ。見事な剣だった。まだ若いのに、すごいね」
「私はレジスと同い年よ! アンタの二コ上!」
「え……?」
アイシャは思わず固まり、レジスは右手で目を覆った。ハルトマンとサラはくっくっと笑いをこらえている。
アメリアは見た目と身長で幼く見られがちだが、実際には十八歳だ。付け加えると、アメリアは実年齢よりも若く見られることを極端に嫌う。幼く見られるのがコンプレックスでもあるからだ。
「ご、ごめんなさい。私、てっきり――」
「もういい! 次やったら私が勝つから、覚悟しておきなさい!」
言い捨てて立ち去るアメリアを見送りながら、サラがアイシャに言った。
「ごめんなさいね。生意気な子で」
「いえ、楽しかったです。それに強かった。実戦だったら、負けてたかもしれない」
「そう。そう言ってもらえると助かるわ」
サラは続いてハルトマンに向き直って言った。
「私も行くわね。このままアメリアと仕事に向かうわ」
「ああ」といって手をあげ、サラを見送ったハルトマンは、レジスとアイシャに向き直った。
「俺達も朝飯食ったら出発するぞ」
「出発って、どこへ?」
「俺達第三部隊はブオン村に行く」
レジスとアイシャは顔を見合わせた。
ブオン村と言えば、アイシャと初めて出会った時にビシニアンから守った村だ。
「現場検証というやつだな。まずは予想される『敵』の出現地点を絞り込む。アイシャには、ゲートを通った際にこちら側のどこに出たのか、詳しく案内してもらいたい」
「それは構いません。が、こちらに来てしばらくは当てもなくあちこちを歩き回っていたので……」
「覚えている範囲で構わん。出現予想地点がある程度絞り込めれば、その周囲の村に避難しておいてもらうこともできるしな」
「ですが、ビシニアンの事は公になっていないのでは?」
アイシャの言葉を聞き、ハルトマンがニヤッと笑った。
「近くに野盗の拠点がある、ということにする。野盗討伐依頼を出す商会も既に手配済みだ」
昨夜の作戦会議で決まったのだろう。
表向き、タルミナスはアドラス帝国内では中堅クラスの傭兵ギルドであり、付き合いの長い商会もいくつかある。そうした工作は朝飯前と言えた。
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