第5話 タルミナス


 ディエトから海沿いを北に百キロほど行った場所にファランという港町がある。

 ここはかつて海洋交易の中継港として栄えた町で、大型の港湾設備を持ち、帝国の主要な港への定期船も出ている。

 レジス達一行はファランで船に乗り換え、翌日の昼前には古都フエへと入った。


 フエの町は、帝国となる前の旧アドラス王国の王都であり、覇王ハリスも一時はここを首都としていた町だ。

 町の歴史は古く、石畳で敷かれた路地はかつての繁栄ぶりを思わせる。多くの住民がハリスの新帝都に居を移したとはいえ、貴族の屋敷跡など大きな敷地を持つ邸宅が旧王都としての威厳をかもし出していた。


 タルミナスはそうした旧貴族屋敷の一つを買い取り、本部として使用していた。

 石造りの門構えは荘厳で、荒くれ者の集団である傭兵ギルドには似つかわしくない華麗な装飾が施されている。

 門をくぐると真っすぐの路地が正面の建物まで続いており、路地の左右は広場となっている。


 かつては趣向を凝らした庭園となっていたであろう広場には、今は武骨な木造の建物が三棟ほど並んでおり、その他はただの草地となっていた。


「あの建物はギルド正会員の宿舎になっていて、広場は訓練場なんだ。十人以上とかの大規模作戦の時はここで連携の確認を――」

「そういう話は後にしろ。まずはボスの所に行くぞ」


 中の造りを一つ一つ説明しようとしたレジスを制止し、ハルトマンがスタスタと歩いて行く。アイシャもハルトマンに続いたため、レジスは二人の後を慌てて追いかけることになった。


 建物の中に入ると、まずは大きな吹き抜けが三人を出迎えた。

 正面の階段は踊り場を経て左右に伸び、踊り場の正面には大きな絵画が掛けてある。階段の手すりにも装飾が施してあり、白を基調とした石造りの階段の上には灰色のカーペットが敷かれ、荘厳な雰囲気をより一層強調している。


 かつて所有していた貴族の趣味なのか、高い天井には大きなシャンデリアが下がっていた。こうした大きなシャンデリアはアルハドラ大陸では珍しいが、元々海洋交易国家であった旧アドラス王国には、こうした異国の文物が流入する機会は少なくなかった。とはいえ、ここまで異国風に仕上げてあるのは元の所有者の趣味という部分が大きいのだろう。


 正面の階段を上り、廊下を抜けて奥まった一室の前でハルトマンが足を止める。重厚な両開きのドアをノックすると、中から「どうぞ」という声がした。


 室内に入ると、応接スペースとして椅子とテーブルが置かれ、壁一面の本棚には分厚い本が隙間なくピッチリと並べられている。その奥には大きめの執務机が置かれており、執務机の横には窓からの日差しを浴びて一人の老紳士が立っていた。


「ああ、よくぞいらっしゃいました。ラレーナ……いえ、アイシャ」

「私の勝手な願いを受け入れて下さり、感謝に堪えません」

「何を仰る。ナリマサ殿と私は旧知の間柄です。ナリマサ殿の事は……お気の毒でありました」


 アイシャの肩がピクリと動いた。

 事情はレジスにもぼんやりと察することが出来る。恐らくナリマサ・ササキという人物は、アイシャを守り、育ててくれた恩人であり、アイシャをこちらに逃がすために戦って死んだのだろう。


「ここに居るのは貴女の味方ばかりです。どうぞ、ご安心なさい」


 レジスは何故ともなく感動していた。

 いかにタルミナスが対アストラ戦闘に長けた特殊な傭兵ギルドであるとはいえ、ビシニアからの追手を抱えた少女など面倒ごと以外の何物でもない。マクスウェルがアイシャの願いを拒否して放り出す可能性も充分にあった。


 だが、マクスウェルの口調はどこまでも優しく、辛い目に遭ってきたアイシャへの気遣いに溢れていた。

 自分が守りたいと思った少女を自分の属する『組織』が守ると決めてくれた。

 こんなに心強いことは無い。


 レジスの内心を知ってか知らずか、マクスウェルはにこやかな顔のまま「さて……。それでは肝心の話をしましょう」と話題を変えた。


「ビシニアからの襲撃が予想されるのは今から四十四日後、ということで間違いありませんな?」

「私の知る限りではそうなります」

「ふむ……」


 マクスウェルはハルトマンと頷き合うと、再びアイシャに向き直った。


「では、貴女はこのまま第三部隊――ハルトマン隊長の指揮下に入って下さい。アイシャは客人ではあるが、ここに居る間の扱いは他の正会員と同様の扱いとさせていただく。無論、ギルドの仕事にも参加してもらいます。

 それでよろしいですかな?」

 アイシャは力強く「はい」と頷くと、ハルトマンに向き直った。

「改めてよろしくお願いします。ハルトマン


 ハルトマンが軽く手を上げて歓迎の意を示した。


「第三部隊にはもう一人隊員が居る。今回は別行動だったが、夜には戻るはずだ。戻ったら紹介しよう。

 取り急ぎは、宿舎と施設の案内からだな……レジス」


「は、はい!」

「アイシャを案内してやれ」

「了解です!」



 レジスがアイシャを連れて部屋を退出した後、ハルトマンは来客用ソファに腰かけてマクスウェルと向かい合った。いつの間に取りだしたのか、口には紙巻きのタバコが挟まっている。

 一方のマクスウェルも先ほどまでのにこやかな顔とは打って変わって厳しい顔つきに変わっていた。


「ハルトマン隊長には、面倒を押しつけた格好になりましたね」

「なに、貧乏くじは慣れてます。……それよりも、これで戦争は避けられなくなりました」

「元々、タルミナスはその為に生まれた組織です」


 ハルトマンがタバコを口から離し、大きく煙を吐き出す。まるで嵐の前の静けさを象徴するように、紫煙はゆっくりと天井に向かって上って行った。


「色々と下準備をしなければなりませんな」

「ブラウエル商会には、便宜を図ってもらえるよう手紙を書きます。ヘンドリックにとってもアイシャは無視できる存在ではないはずです」

「また、忙しくなりますなぁ……」


 やがてハルトマンが灰皿に短くなった煙草を押しつけた。そのタイミングを見計らったかのようにマクスウェルがポツリと呟く。


「あのお方の意思は、我々が果たさねばならない」


 それで話は終わりとばかりにマクスウェルが立ち上がり、執務机に戻った。




 レジスとアイシャは、先ほど通った広場にある建物の一つへと入った。

 入ってすぐに大きな扉があり、扉の奥は酒場のような広間となっている。奥のカウンターでは酒や食べ物を売っており、壁の一面に仕事の依頼票が貼り付けられていた。


 テーブルに座って酒を飲みながら談笑している男達や依頼票を吟味している男達などが何人か居て、それなりに繁盛している様子だ。

 カウンターの横には受付らしき机が置かれていて、二十代と思しき細身の美しい女性が座っている。レジスはその女性に近付いて声をかけた。


「リエンさん」

「あら、お帰りレジス」


 リエンと呼ばれた女性は、レジスを見てニコリと笑った。が、すぐにアイシャの姿を認めて少し不審な顔になる。


「そちらは?」

「今度ウチの隊に入ることになったアイシャ」

「あらあら」


 そう言いながらリエンは立ち上がり、「リエン・ヤンです。よろしくね」とアイシャに声を掛ける。アイシャも自己紹介を返した。


「今度アイシャも宿舎に入ることになったから、マーラムさんに部屋を用意してもらいたいんだけど」

「マーラムさんならさっき調理場に居たと思うわ。夕食の仕込みか何か――」


 その時、さっきまで壁の依頼票を見ていた男の一人が受付に近付いて来て「すまねえな姉さん。この依頼、詳しく聞きたいんだが」と声をかける。

 リエンも手慣れた様子で帳面をめくり、「そのご依頼でしたら――」と仕事に戻ったことでレジス達は受付を離れた。


 アイシャが周囲を見渡しながら、「レジス達もここで仕事を請けるの?」と質問した。

「いや。ここは一般会員が仕事を請ける場所だ」

「一般会員?」

「ウチのギルドは一般会員と正会員に別れていて、一般会員は基本的に歩合制なんだ。数ある依頼の中から自分の好きな依頼を選び、仕事をこなして報酬を受け取る。

 商隊の護衛とか一時的な警備、それに畑を荒らす動物の駆除なんかの依頼が多いかな。

 時々帝国軍の依頼で盗賊の討伐に参加したりもするね」


「じゃあ、レジス達は?」


「僕達正会員は、ギルドから直接仕事を割り振られる。

 一般会員で請ける人が居なくて残ってしまった依頼とか、ボスが一般会員には任せられないと判断した依頼なんかは正会員に回される。

 正会員はギルドから振られた仕事を拒否することはできない。その代わりに固定で給料が払われるし、宿舎に部屋ももらえるんだ」


 理解したのかしていないのか、アイシャが「ふうん」と曖昧な返事を寄越す。


「それじゃあ、ここの人達もゴブリンと戦えるんだ」

「いいや。プライマーを貸与されるのは正会員だけだ」


 レジスはやや胸を張り、誇らしそうに言った。

 実際、戦闘体での戦いは生身の体を動かす感覚が大きく反映されるので、生身での運動能力は重要になる。プライマーを貸与されることは、それだけ優秀な兵士であるという証でもあった。

 レジス自身も剣は人並みには扱えるし、ただのゴロツキ相手ならば戦闘体無しでも負けない腕前は持っている。


「だから、この前みたいなゴブリン退治の任務は一般会員には回されない。返り討ちで皆殺しにされるのがオチだからね」

「ゴブリンが来ることが事前に分かるの?」

「事前にはさすがに分からないかな。

 だけど、本部には『探知』を主任務とする人が居て、ビシニアのゲートが発生したことが分かるんだそうだ。

 発生したゲートの大きさによって防衛に向かう人員が選抜される。今回は僕とハルトマン隊長の二人で対処できるはずだったけど、まさかオーガが三体以上も来ているとは思わなかった」


 レジスが少し肩を落とす。

 実際レジスはオーガに歯が立たず、結局はアイシャに助けられたのを思い出したのだ。


「じゃあ、ゴブリンやオーガのことはこちらの世界ではあまり知られてないってこと?」

「あまりどころか、ほとんど知られてないよ。公表すれば大きな騒ぎになる。有効な対抗手段がほとんどないからね。だから、僕達タルミナスが秘密裏に処理するんだ」

「人知れず世界を守る正義のヒーローってわけね」

「そういうこと」


 気恥ずかしさと誇らしさが入り混じった顔でレジスが頭を掻く。

 アイシャはそんなレジスの気持ちを知ってか知らずか、既にカウンターに並ぶ料理の数々に興味を移している。

 ちょうどその時、奥の調理場から恰幅のいい中年の女性が出て来た。


「マーラムさん」


 マーラムと呼ばれた中年女性は、レジスの姿を認めると「おやまあ、お帰り」とにこやかに近づいて来た。

 先ほどのリエンと同じく、アイシャを紹介してマーラムも自己紹介を返す。


「マーラムさん。アイシャを宿舎に案内するように言われたんだけど、空いてる部屋はあるかな?」

「物置になってる部屋があるよ。今から掃除するから、アンタも手伝いな」


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