第4話 ビシニアの奴隷


 覇王ハリス・マハーバルは、それまで王族や貴族の所有物だった奴隷制度を廃止し、奴隷の傭兵化を推進することで諸侯の体力を奪い、同時に諸侯の軍兵に頼らずとも金で動員できる兵力を作った。

 レジスの所属する傭兵ギルド『タルミナス』もそうして出来上がった組織の一つだ。


 とはいえ、国内での反発も大きかった。

 元々の奴隷所有者であった貴族層はもちろんの事、当の奴隷自身からも反発を受けた。


 奴隷身分は確かに不自由な身分ではあるが、反面で主人の側にも奴隷を養っていく責任が生ずる。奴隷は主人の資産なのだから、その労働力を損なうことは自らの資産価値を下げていくことに等しい。

 普通の主人ならば、奴隷には健康面も含めて最大効率の労働力を捧げることのできる環境を整えるものだ。あくまでも普通ならば、ではあるが。


 つまり、奴隷の側にも労働力を維持するための最低限の生活を保障されるというメリットがある。人の良い主人ならば、まるで家臣のような待遇を与えてくれる場合すらもあった。

 ハリスの政策がそうした貴族層・奴隷層から反発を買ったのもある意味では当たり前のことと言える。


 現在、アドラス帝国では公式には奴隷は存在していない。

 だが、地方に行けばまだまだ事実上の奴隷制度と言える物は残っている。レジスもそうした光景をいくつも見て来た。

 そして、多くの場合奴隷となるのは異民族や被征服国家の者達だ。国や民族といった『集団』から切り離された者にとって、誰かの所有物になることは新たな『集団』に属することであり、身の安全を得る為の手段でもあった。


「ビシニアでは、肉体労働は基本的に使役獣を使うのは昼間に言った通りよ」

「そのマグタイトを生み出すのが人間の役目……だったよな?」

「そうよ。じゃあ、その人間たちはどこから来ると思う?」

「それは……じゃあ!!」


 レジスの言葉の先を読んだようにアイシャが頷いた。


「そう。こっちの世界からさらって来る。ゴブリンやオーガは、その為に生み出された使役獣というわけ」


 口の中がひどく乾いたように感じた。

 次々聞かされる情報を整理するためにレジスは必死に頭を働かせている。その顔がよほど怖い顔に見えたのか、アイシャがレジスをなだめるように笑った。


「勘違いしないで。攫われたと言っても向こうにしてみれば貴重なマグタイトを生み出す資源だから、人間はそこそこ大事にされるわ。

 常に健康状態には気を配られるし、食べ物や飲み物もきちんと用意されている。肉体の健康が損なわれると、作られるマグタイトの量が少なくなるからね。

 でも、今日みたいに外を自由に歩き回ることは許されない。そして、定期的にマグタイトを回収される」

「回収……?」

「強制的に口から吸い出すの。ビシニアにはその為の道具がある」


 その光景を想像して、レジスは思わず口元を手で覆った。口から魂を吸い出すとは、まるで昔話に出てくる悪魔の所業だ。

 アイシャは遠くを見る目になって続けた。


「痛くはないわ。何の感覚もない。でも、マグタイトは人の感情や意識を動かすエネルギーそのものだから、使い切ってしまうと数日意識を失って起きられなくなる。

 それが繰り返されると、だんだん考えることが億劫になって単純な行動だけを取るようになる」

「単純な行動?」

「食べること、排泄すること、眠ること」


 言葉にならなかった。

 それでは奴隷というよりも家畜ではないか。


 ゴブリンに襲われたと思しき村は、住民が忽然と姿を消すことが多い。むしろ死体が残るのは稀なケースと言ってもいい。

 その理由がようやくレジスにも理解できた。


「アイシャも……そんな目に?」


 今のアイシャは感情をある程度表に出している。無気力状態から抜け出したのだろうか。

 だが、レジスの問いにアイシャはゆっくりと首を横に振った。


「私は、戦えたから……

 戦える人間はより貴重だから、私は戦争に駆り出されることの方が多かった、かな」


 アイシャの強さの秘密を知った気がした。

 ビシニアの戦争がどんなものかは想像もつかない。だが、アイシャの研ぎ澄まされた剣技を見る限り、生易しい物では無かったことは想像に難くない。


「だから、逃げた私を取り戻しに来たんだと思う」


 しばしの沈黙が訪れた。

 アイシャの話は衝撃的で、とても冗談などを挟める気分ではない。気楽な様子で話すアイシャがいっそ痛ましいとさえ感じた。


 ――何か、言わなきゃ


 そう思いながら思考を巡らせてみるが、レジスはアイシャにかける言葉を見つけられずに居た。


 レジスも先の戦争で両親を亡くし、今のギルドに拾われることで生命を繋いできた。レジスに限らず、今の帝国内にはそうして身内を亡くした者が少なくない。しかし、戦争を身近に感じるというほどでも無かった。

 十五年という時間は、戦争の痛みを忘れるには短すぎたが、戦争の痛みを感じ続けるには長すぎた。


 だが、アイシャは今もまだ戦争の最中に居る。現実に追手と戦いながら、ここまで逃げて来た。そして今、タルミナスに助けを求めている。


 レジスは心からアイシャを守りたいと思ったが、それを口にすることは憚られた。

 自分に出来ることは何もないかもしれない。アイシャよりも弱い自分は、足手まといにしかならないかもしれない。

 そう思うと、上手く言葉が出てこない。


 何度目かのさざ波の音を聞いた後、アイシャが不意に立ち上がった。


「先に宿に戻るね。無理矢理巻き込んでしまって、ごめんね」


 その場を去ろうとするアイシャの背中を見て、何故かは分からないが突然アイシャが消えてしまうような予感がした。ふと、アイシャはこのまま町を出て一人で追手と戦い続けるつもりなのかもしれないと思った。


 そう思った時、ようやくレジスは声を絞り出した。


「一緒に行くよ!」


 アイシャが不思議そうな顔で振り返る。その顔は、今までの神秘的な女神の顔ではなく、十六歳の普通の少女の顔だった。


「僕も、一緒に行く!」


 僕が守るとは言えない。むしろ今の実力ではアイシャに守られる立場になってしまうだろう。だから、せめて一人にはしないと伝えたかった。


 レジスの絞り出した精一杯の気持ちに対して、一瞬不思議な顔をしたアイシャだったが、すぐに納得した顔で頷いた。


「あ、そっか。宿には一緒に戻らないと、レジスが怒られちゃうよね。ごめんね」

「あ、いや……うん……そう……だね」

「行こう」


 アイシャに手を引かれると、レジスはそれ以上言葉を継ぐことが出来ずに大人しくアイシャについて行った。


 翌日からは特に大きな問題も無く、レジスが予感したようにアイシャが一人で出ていくことも無かった。

 相変わらずディエトの町に興味が尽きない様子のアイシャは、一日海を眺めていたり、市場だけでなく日用品を売る店なども見て回ったりして日々を過ごした。

 無論、監視役のレジスも一緒だ。


 そしてゴブリン襲撃事件から四日が経った日の夜、ハルトマンが再びディエトの町に戻って来た。

 アイシャは先日のゴブリン襲撃事件の想像と今までの経緯について、レジスに聞かせた話と同じことをハルトマンにも話した。

 ハルトマンは終始冷静に聞いていたが、全てを聞き終わるとやがてゆっくりと口を開いた。


「確認するが、ビシニアからこちらの世界へのゲートが開くのは六十日周期になるということだな?」

「ええ。そのはずよ」

「君がこちらの世界に来てから、何日経った?」

「私があなた方と出会ったのは、確かこちらに来てから十日目の夜のことだった」

「とすると、前回ゲートが開いたのが十四日前。次のゲートが開くまでには少なくとも四十六日の猶予がある、ということで間違いないな?」


 アイシャがコクリと頷く。

 話の流れから、どうやらタルミナスがアイシャを拒絶する心配は無さそうだと感じてレジスは内心安堵していた。


「分かった。今からここを発つ」

「今からですか!?」


 レジスが驚きの声を上げた。

 既に日は落ちて辺りはすっかり闇に包まれている。タルミナス本部に行くにしろ、出発は明日の朝になると思っていた。


「時間が惜しい。次の襲撃までに具体的な防衛体制を整えねばならん。俺達だけでなく、全正会員に非常招集がかかった」

「……!! それじゃあ」

「ああ。タルミナスはアイシャを受け入れ、ビシニアの追手を迎撃する。それがボスの決定だ」


 レジスは思わず胸元で握りこぶしを作った。

 アイシャを守りたいと思ってはいても、ギルドがノーと言えばレジスにはほとんど何もできなくなる。

 今装着しているプライマーすらも本来はギルドの物なのだから、ギルドを抜けて一人でアイシャについて行ったところで何の役にも立てない。生身の人間が一人居た所で足手まとい以外の何物でもない。


「レジス。アイシャにプライマーを返してやれ」

「は、はい!」

「全員戦闘体で駆ける。ファランまでは通常二日の道程だが、戦闘体の足なら明日の昼過ぎには着けるはずだ」


 ハルトマンの言葉を受けて、アイシャも戦闘体に換装した。

 荷物と言っても大した物があるわけではなく、荷造りはすぐに終わった。


「よし、行くぞ。アイシャにはまずボスに会ってもらう」


 夜の闇が落ちる中、レジス達三人は城門を飛び越えて北へと疾走を始めた。

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