第2話 マグタイト


 レジス達は夜明けと共にブオンの村を出て街道を東に向かい、ディエトの町に到着した。

 軍が動きやすいように整備された街道は快適で、馬車の走行を妨げるような障害物はほとんどなく、快適な旅路と言えた。


 かつて、このアルハドラ大陸はいくつかの国々に別れていた。

 それらの国々を斬り従え、あるいは滅ぼし、アドラス帝国という一つの国にまとめ上げたのが『覇王』ハリス・マハーバルだった。

 ハリスの治世は強権的な物ではあったが、人々はその中で平和を享受し、戦乱は徐々に過去のものになっていった。

 そして、十五年前のタイソン公ヤチカ・シルドラの反乱を最後にアドラス帝国内の戦乱は途絶えている。


 ディエトへ向かう街道もかつては国境警備の兵が目を光らせる物々しい場所だったが、今では兵よりも行商人の方が目立つような平和な街道に変わっていた。


 レジス達は町の入り口で馬車を返すと、城門をくぐって町の中へと入った。かつては籠城の為に築かれた城門も今ではほとんど飾りと化している。


 海に面するディエトの町は海産物を扱う市場が賑わいを見せており、道行く人も活気にあふれていた。

 交易船が停泊するような大きな港町ではない為、市場の客層は主に近所の農夫や商家のおかみさん達であり、ほとんどの客は住民同士顔見知りということになる。

 その中でレジス達よそ者の姿は目を引いた。


 レジスの服装は革のズボンに革の腰鎧、胸甲だけ鉄製という出で立ちで、ハルトマンはその上に鉄の肩当てをつけている。

 つまりは、どこからどう見ても『傭兵』という服装だ。


 一方のアイシャは上下とも布製で、長袖の上着にハーフパンツという格好だ。

 太ももの半ばから下は褐色のしなやかな足が露わになっているが、余分な脂肪を排除したような引き締まった足は、まるでカモシカのようなしなやかさを感じさせた。


 女性の衣服はワンピースのスカートが一般的なこの地方において、アイシャの服装はただでさえ人目につく。その上、アイシャの腰には一振りの武骨な刀が差してある。


 平和な田舎町でそんな三人組が歩いていれば、人目を引かぬはずはない。

 レジスは周囲のヒソヒソ声を気にしながら、物珍しそうにあたりをキョロキョロ見回すアイシャの手を引いて先頭を歩くハルトマンについて行き、やがて一軒の宿屋に入った。


「さて、昨日も話したようにアンタとレジスにはこの町に数日滞在してもらう。宿屋の代金は俺が払っておくが、それ以外に必要な物があればレジスに言ってくれ」


 ハルトマンはそれだけ言い終わると、宿屋の受付で金を払った後さっさと宿を出て行ってしまった。

 レジスとアイシャは宿屋の主人に部屋へと案内されたが、案内中に宿屋の主人が二人の姿をチラチラと見ていたのは気のせいではないだろう。

 この平和な町に不似合いな傭兵の客を気にかけているのだろうか。


 だが、部屋に入る直前、主人はレジスの耳元で「夜は声が響くのででお願いしますよ、旦那」と耳打ちした。

 見れば主人の顔がだらしなく緩んでいる。下世話な妄想をしているのはレジスにもわかった。


「い、いや、僕達はそんな関係じゃ……」

「またまたぁ。あっしが二部屋ご用意しましょうかと言ったのに、わざわざ同室でと指定されたじゃありませんか」

「そ、それは……」


 アイシャを監視するための措置なのだが、事情を知らない他人から見ればそう見えてしまうのも仕方ない。


「よ、余計なお世話だ」

「ごもっともで。こりゃあ、失礼致しやした」


 主人は自分の額をペシッと叩くと、部屋の鍵をレジスに渡して下に降りて行った。


 部屋にはベッドが二つあり、窓からは先ほど歩いて来た市場の景色が目に入った。アイシャは部屋に入るなり窓から見える景色にかじりついている。

 レジスはまるで子供のように目をキラキラさせているアイシャの様子につい頬を緩めた。


「よければ町を歩いてみるかい?」

「いいの!?」


 レジスの言葉にアイシャが嬉しそうに反応する。

 レジスは言ってしまってから少し迷ったが、ハルトマンからアイシャを監視しろとは言われたが宿屋に軟禁しておけとは言われていない。

 相手がビシニアンとは言え、アイシャには町に危害を加える意図はなさそうだし、観光くらいなら大丈夫だろうと思い直した。


 二人で宿屋を出て、先ほどまで歩いて来た道をもう一度引き返す。

 もっとも、今回はアイシャの興味の赴くままに市場の店を見て回った。


 近隣で獲れる野菜や果物を売る店もあったが、やはりというべきか市場には海産物を扱う店が多い。

 干物にした魚や貝の店、魚を塩漬けにして出来る魚醤や香辛料などを扱う店、エビやカニなどの甲殻類を店先で焼いて食わせてくれる店などなど。


 海沿いのさほど大きくない港町の市場などレジスにとっては珍しくもない光景だったが、アイシャにとっては見る物全てが新鮮な様子で、青と緑の目をキラキラさせながら見て回っていた。

 レジスはふと気になって「そんなに珍しいのか?」とアイシャに尋ねた。


「ええ、珍しいわ。向こうではこんなに人間が多くないから」

「人間が多くない?」

「向こうでは、作物を作ったり荷物を運んだりといった仕事には使役獣を使う。人間はそれら使役獣を動かすためのマグタイトを生み出すのが役目だから、こんな風に外を歩き回るのは珍しい。

 戦争でもないのにこんなに沢山の人間が動き回っている光景は、初めて見たわ」


 アイシャの口から『戦争』という言葉が自然に出て来たことがレジスには意外だった。

 レジスはいま十八歳だが、レジスの知っている戦争と言えば三歳の時に起きた『タイソン公の乱』だけだ。

 アイシャは十六歳だと言っていたが、レジスよりも多くの戦争を経験して来たのかもしれない。


 その後もしばらく市場を歩き回っていた二人だが、いつまでも興味が尽きない様子のアイシャに対してさすがにレジスが疲れて来て、「少し休憩しよう」と言った。


「ところで、君は自分でビシニアンだと言ったけど、一体どうやって『向こうの世界』から来たんだ?」


 木の樽を置いただけの椅子に腰かけながら、レジスがアイシャにかねてよりの疑問をぶつけた。

 昨晩森の中で出逢ってからずっと、気になっていたことだ。


 さきほど店先で買い求めた魚の串焼きを頬張ったばかりだったアイシャは、口の中が空になるのを待ってレジスの問いに答えた。


あちらの世界ビシニアにはこちらの世界に来る為の『ゲート』がある。二つの満月が重なる時にそのゲートを開けば、こちらの世界に来られるのよ」

「二つ……?」


 レジスには今一つ意味が分からなかった。月は一つのはずだ。

 その疑問を察したようにアイシャが言葉を継いだ。


「ビシニアの世界には月が二つある。大きな月は三十日、小さな月は二十日ごとに満ち欠けを繰り返す。そして、六十日に一度満月が重なる時がある。

 その時だけ、ゲートを開くことが出来るそうよ」

「……出来る?」

「ええ。詳しいことは私も知らない。おじさんが一つだけゲートを開ける『鍵』を持っていて、その鍵の使い方を教えてくれたのだけれど、どういう理屈でゲートが開くのかは分からないわ」

「その鍵は? 今も持っているのか?」

「残念ながら、ゲートを開いた時に消滅したわ。ゲートは不安定な物で、五分間ほどで消失してしまう。私ももうビシニアに戻ることは出来ないでしょうね」


 レジスには俄かに信じられない話だったが、アイシャが嘘を吐いているようには見えない。

 マグタイトの持つ能力は全てが解明されているわけではなく、タルミナス本部では様々な検証実験が繰り返されている。『ゲートを開く』という能力もそういった未知のマグタイト能力の一つなのかもしれない。


 少しの沈黙の後、レジスは次の疑問をぶつけた。


「その剣……大切な物だって言ってたよな?」

「そうよ」

「少し、見せてくれないか?」


 少しためらった後、アイシャは腰の剣を外して鞘ごとレジスに差し出した。

 剣にはズシリと重みがあり、束には何やら繊細な装飾が施されている。

 見た所、東方の島国で作られた剣に似ていた。

 こしらえは多少珍しくはあるが、刀身自体はそこら中に売っている剣とさして変わった部分があるようには見えない。


 レジスは剣を返しながら、「何でこの剣でオーガが斬れたんだ?」と重ねて問うた。

 アイシャは意外そうな顔をしてレジスの目を真っすぐに見た。


「普通斬れるものじゃないの?」

「斬れないよ。ビシニアンに対して普通の武器じゃあほとんど役に立たない。普通は戦闘体と同じようにマグタイトで生成した武器を使うんだ。

 例えば、僕のこの銃だけど……」

 言いながらレジスが手を広げると、虚空からマシンガンが出現した。


「この銃はマグタイトで作られている。普通の銃は火薬と火縄を使って鉛の弾丸を撃つけど、これは僕のマグタイトを弾丸に変えて撃つ。

 だから、弾丸が切れることはほとんどないし、弾丸の補充も必要ない」

「へえ……じゃあ、生身の相手には無敵ね」


 興味深げにアイシャが質問するが、レジスは首を横に振った。


「そんなに万能なわけでもない。マグタイトは人間の魂のエネルギーであって、物質的な力は持たない……はずだ。

 コイツの弾丸だって、生身の人間に当たってもほとんどダメージは無いよ。痛みは感じるけど、肉体に傷はつかないし、石や金属なんかの物質は破壊出来ない。鎧や盾で簡単に防がれてしまう代物だ。

 同じくマグタイトで出来た戦闘体やビシニアン――君の言う『使役獣』には有効打になるけどね。

 でも、生身の人間相手の殺傷能力という点では、普通の剣や槍、鉄砲とかの方がよほど有効だ。僕も野盗相手の商隊警護任務なんかの時は、剣と弓を使ってる。

 だから、生身の相手にも戦闘体にも有効打を与えられる君の剣は、僕らから見て異質なんだ」


「そうなんだ……私はおじさんからこの剣を扱う為の手ほどきを受けたけど、そんなに特別な物だとは知らなかったな」


「君のおじさんって……」


 言いかけたレジスだったが、突然言葉を切って立ち上がった。

 視線は真っすぐ城門の方に据えられている。


「感じる……アストラ反応だ!」

「え!? それじゃあ」

「ああ。ビシニアンが近くに居る」


 その言葉を受けてアイシャも立ち上がる。同時に城門の方から大きな悲鳴が響いた。

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