ビシニアンズゲート

藤瀬 慶久

第一章 異界から来た少女

第1話 オッドアイの少女


「クソッ! バケモノめ!」


 闇夜の中でマシンガンの銃声が響く。銃口から吐き出された光弾はオーガの両腕に弾かれ、さしたるダメージも与えられずにいた。


 レジスはチラリと後ろに視線を向ける。

 彼の背後には闇夜の森が広がっているが、森の向こうには二十戸ほどの小さな村が見えていた。

 今その村にはかがり火が焚かれ、野盗の襲撃に備える態勢を取っている。


 だが、それら村の自警団の装備ではこのオーガ怪物に傷一つ付けられないことをレジスはよく承知していた。

 何としても、このオーガをここで食い止めなければならない。


 レジスがオーガに視線を戻すと、一瞬目を離した隙にオーガの拳が高々と振り上げられていた。


 再び「クソッ!」っと口走りながら、レジスが後方に大きく飛ぶ。だがその背中は太い木の幹に当たり、思ったほどの跳躍にはならなかった。


防御シールド!」


 レジスが叫ぶと同時にレジスの前に光の盾が出現する。だが、オーガの拳は光の盾を割り砕き、その勢いのままレジスの左肩をしたたかに打った。

 レジスの左肩は大きくえぐれたが、その傷口からは赤い血は噴き出さず、代わりに光が大きく噴射する。

 レジスのダメージを見て取ったオーガが再び拳を振り上げた。


 次に来るであろう拳の衝撃に備えてレジスが身を固くしたちょうどその時、オーガの後ろの木が揺れた。

 瞬間、暗闇から空中に少女が飛び出した。少女が持つ剣は見る間に光に包まれ、上空から勢いを付けてオーガの頭上に振り下ろされる。

 咄嗟に反応したオーガも両腕を上げて防御態勢を取るが、先ほどレジスの弾丸を弾き返したオーガの守りは少女の一刀に為すすべなく切り裂かれ、無防備になった頭部に少女の剣が直撃した。


 頭頂部から首元までを大きく切り裂かれ、3m以上もあるオーガが轟音を立てて倒れ込む。オーガの体は光の塊となり、そのまま風に吹かれた砂のように夜の闇の中に溶けていった。


「大丈夫?」


 少女はレジスの側に寄ると手を差し出し、レジスを助け起こしてくれた。


「ああ、ありがとう。君は――」


 言いかけたレジスの言葉を遮るように、もう一体のオーガが木々の間から姿を現した。直ぐに少女は剣を構え直したが、新手のオーガは何もしないうちに前方へと倒れ込んだ。見れば背中に大きな刀傷を負っている。


 新手のオーガも光の塵に変わっていく中、オーガの後ろから男が現れた。

 年のころは四十歳半ばくらいで、アゴの先に不精髭が張り付いている。手には少女と似たような光の剣を握っていた。


「よう。待たせたな、レジス。お前一人でよくオーガを倒せたもんだ」

「ハルトマン隊長! いえ、この人に助けてもらいました」


 ハルトマンと呼ばれた男は「ふ~ん」と気の抜けた返事をしたが、少女に対して警戒を解く様子はない。


「……で、こちらさんは?」

「え? ギルドの増援ではないのですか?」

「増援なんざ聞いてないな。今回の任務は俺とお前の二人で行うはずだが……」

「え……? じゃあ、君は……?」


 二人からの視線を受けて少女は剣を鞘に仕舞い、戦闘の意思がないことを示した。それを受けて、ハルトマンの方も手に持った剣を鞘に仕舞った。


「初めまして。私はアイシャ。向こうの世界から来た『来訪者ビシニアン』よ」


 少女の言葉を聞きながら、レジスは少女の顔から眼を逸らせずにいた。


 ――色違いの瞳オッドアイ……


 月明かりを受け、少女の目は緑色と青色に輝いている。褐色の肌と黒髪。そして身につけた異国風の装束は、アイシャと名乗る少女に神秘的な雰囲気を与えていた。


 アイシャに見惚れるレジスとは対照的に、ハルトマンの方はアイシャに対して警戒の色を隠さない。鞘に仕舞った刀にはいつでも抜けるように手が添えられていた。


「ご丁寧なご挨拶どうも。

 ビシニアンと言えば大鬼オーガ小鬼ゴブリンのような異形の怪物の姿をしているモンだが、アンタも変身したりするのかい?」

「それは誤解よ。オーガやゴブリンはビシニアンの使う使役獣に過ぎない。本物のビシニアンは、私やあなた方と同じような姿形をしている」

「ほう……。で、そのビシニアンが一体何の用でここに?」

「人を探しています。タルミナスのマクスウェルという人物なんだけど、なにか知っていることはありませんか?」


 アイシャの言葉にレジスとハルトマンが思わず顔を見合わせる。

 知らないどころではない。彼ら二人はまさしく傭兵ギルド『タルミナス』のメンバーであり、マクスウェルは彼らを束ねるギルドマスターの名前だ。


「そいつは俺らのボスの名前だな。だが、ボスがビシニアンに知り合いがいるとは初耳だ。その名をどこで知った?」

「おじさんにそう言われたのよ。こちらの世界コロニアにタルミナスという組織があって、そこにマクスウェルという人物がいる。必ず私の力になってくれるはずだ、とね」

「おじさん? そのおじさんとやらの名は?」

「ナリマサ……ナリマサ・ササキ」

「ナリマサ?」


 レジスはその名を聞いても訳がわからなかったが、ハルトマンには何か思い当たることがあるのか、幾分か警戒を解いた様子だ。

 ハルトマンはしばらく沈黙していたが、刀から手を離して「それを証明できる物はあるか?」と聞いた。


「おじさんの手紙よ。私も内容は知らない。けど、マクスウェルに渡せばわかると言っていた」


 アイシャが懐から取り出した手紙は、「中身を知らない」というアイシャの言葉を裏付けるように封がされたままになっていた。


「……分かった。じゃあまずはボスに手紙を取り次ごう。途中の町まで同行してもらい、そこでボスの返事を待ってもらう。それでいいか?」

「構わないわ」

「じゃあ、ひとまず武器を預からせてもらおうか」


 言いながらハルトマンがアイシャの腰に目をやる。アイシャの腰には少女には似合わない武骨な剣が差してあった。独特の反りを持つ片刃の剣だ。

 だが、アイシャはその言葉に難色を示した。


「それは出来ないわ。この剣は大切な物。一時とは言え、他人に預けることはできない」

「それじゃあ、人の居る町へ案内することはできないな。アンタがその剣で町の人を襲わないという確証がない」

「……」


 初めてアイシャが口ごもる。

 しばし考え込んだ後、アイシャが一つの提案をした。


「分かったわ。では、これをあなた方に預ける、という条件でどう?」


 そう言ってアイシャが右手を広げて前に出した。人差し指には銀色の指輪がはめられている。


「この指輪は『戦闘体アストラル・ボディ』を構築するための『プライマー』よ。これを指にはめない限り、私は戦闘体に換装することが出来ない。

 ……戦闘体というのは――」

「ああ。その辺りは俺達も知ってる。人の魂のエネルギー『マグタイト』を使って構築する、戦うための仮の体のことだな。

 筋力・跳躍力・反射速度なんかの身体能力が生身の数倍に強化され、治癒力も飛躍的に高くなる。

 生身のままなら、例え暴れてもすぐに取り押さえることが出来る、てことか」


 アイシャが頷き、ハルトマンの言葉を無言で肯定した。

 実のところ、レジスやハルトマンの指にも同じものがはめられている。


「しかし、プライマーそれを渡すことは結局武器を渡すことと同じじゃないのか?

 その剣もマグタイトで形成しているモノだろう?」

「いいえ、これは仮初めではなく実体を持つ剣よ」

「何?」


 ハルトマンが驚きの声を発した。

 レジスのマシンガンやハルトマンの剣はマグタイトで形成した武器であり、本人の意志一つで自由に出し入れが可能だ。その代わり、戦闘体に置き換わっていない生身の状態では出現させることはできない。


「実体を持つ剣……なるほど。か」


 今回もハルトマンには何か思い当たることがある様子だったが、レジスには事情が一切呑み込めない。

 だが、レジスがどういう事情なのか質問しようとした矢先にハルトマンが「いいだろう」と言ってアイシャの言葉に同意を示したため、口を挟む機会を失ってしまった。


「それじゃあ、その指輪を預からせてもらおうか」


 ハルトマンの言葉にアイシャが頷くと、自らの手で右手の指輪を外した。

 瞬間、アイシャの頭上に魔法陣が出現し、アイシャの体を飲み込む。魔法陣がアイシャの足元に達した時には、アイシャが胸と腰に纏っていた鎧が消えていた。

 恐らく鎧も含めた戦闘体を構築しており、生身に戻ればただの服になるようにしてあったのだろう。

 今のアイシャは、腰に剣一振りを差した布服の姿に変わっている。


「レジス」

「は、はい!」

「コイツはお前が持っておけ」


 言いながらハルトマンはアイシャの指輪をレジスに手渡した。

 これがレジスの手元にある限り、アイシャは戦闘体に換装することが出来ない。例えアイシャが町中で暴れたとしても、戦闘体に換装したレジスになら容易に取り押さえることができるだろう。


「こちらも改めて自己紹介しよう。俺はハルトマン。タルミナス第三部隊の隊長だ。で、こっちが……」

「あ、レジス。レジス・ジーベックです」

「ハルトマン……レジス……」


 今聞いた名前をアイシャが口元で繰り返す。


「当面、レジスにはアンタの世話係をさせる。俺がボスの返事を受け取って来るまでの間、困ったことがあったらコイツに言ってくれ」

「分かったわ」


 アイシャは改めてレジスに向き直ると、ニコリと笑った。


「よろしく。レジス」


 アイシャの笑顔にレジスは固まってしまった。見惚れてしまったと言ってもいい。

 それほどに、月の光を受けたアイシャの笑顔は神秘的だった。

 レジスは「あ、はい。こちらこそ」と返事をしたつもりだったが、その声は口の中でモゴモゴとした音に変わってしまった。


「とりあえず、今回の任務は完了だ。ブオン村に戻ろう」


 ハルトマンの言葉にレジスも視線を森の向こうに投じる。

 森の奥ではブオン村のかがり火が先ほどと変わらぬ様子で燃え続けていた。

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