第8話 下水路にて(前)
広大な下水路が、どのような構造をしているのか。それを把握することは、ほぼ不可能に近い。
当然ながらアリエキシアスは見取り図など持っていない。ならばどのようにして、この下水路を出るのかと言えば。
「“
「“
外套を翻すと、その中から砂が溢れ出す。そして、その砂が独りでに床を這いまわっていった。
やがて砂が描いた、その複雑な形は……
「ほー、地図か」
トゥーラが感心する。そこには、この下水路を模したと思しき地図が描かれていた。
その正確性はトゥーラにはわからない。だが、アリエキシアスは自信満々だ。
「浄化と解析は大得意だからね。大船に乗ったつもりでいてくれ」
得意満面のアリエキシアス。彼女はペンと紙を取り出すと、地図の模写を始めた。
この地図は、あくまで砂で描かれたものだ。当然ながら持ち運ぶことは出来ない。そんなことをすれば、あっさりと崩れてしまう。
とは言え、地図を確認したくなる度に魔法を使っていては疲れてしまう。なので、紙に写すことで地図を持ち歩けるようにするのだ。少しばかり時間と手間はかかるが、こういった工夫は必要なものなのだ。
そこで、カシャリ、と。聞いたこともない音がした。
「なんだ!?」
咄嗟に、トゥーラが刀に手をかけ、音のした方に向く。
そこには、驚いた顔のアイナがいた。
「えっと……なに?」
突然怒鳴られて、唖然とするアイナ。
だが、トゥーラは鋭い眼光でもって周囲を警戒している。
誰かが、何かが近づいている。そう予感し、殺気立つトゥーラ。
敵はアイナの後方から来るのか。彼女を庇うように進み出るが、下水路では音が反響し、距離も方向も正確には把握出来ない。
「今の音、なにかいやがる……備えろ」
「いや、待って待って。違うから」
臨戦態勢のトゥーラに、アイナは奇怪な板を差し出した。怪訝そうな顔をして、トゥーラがそれを見る。
差し出されたのは、長方形の板。その片面は光っており、その光の中に、何かが見える。
それは、床の地図だった。板の表面に、寸分違わず地図が写し取られている。
それを見て、トゥーラもアリエキシアスも、呆気に取られていた。これからアリエキシアスが時間をかけて模写しようとしていたそれを、この板は一瞬で写したというのか。
「な、なんだいそれ!?どうなってるんだい!?」
「これ、あれか。あのさしんとかいうやつか?」
「写真、写真ね!ちょっと待って!」
未知の存在に興奮する二人に、アイナは気圧されていた。
そう、当然のことだ。この世界に、スマートフォンが存在するはずもないのだから。
これは、なんと説明したものか。おそらくは習慣的に、メモの代わりにスマートフォンのカメラ機能を使ってしまった。しかし、スマートフォンなんてものをどう説明すればいいのだろうか。
持ち運べる電話……いや、電話から説明しなくてはならないのか。しかし、今使ったのは電話とは無関係の機能だ。多目的な機器の説明というのは、なかなかに難解なものなのだと思い知らされる。
「ええと、これはこうやって、画像を保存できる機械なんだけど」
「機械?この中で、一瞬で絵を描いているのか!?」
「絵じゃなくって、デジタルデータかな。描いてるわけじゃないよ」
「でぃじ……?どういう意味だい?」
「デジタルの意味?え、なんだろ……」
そもそも、機械の理屈など知らずに使っている者が多数派だ。おそらくアイナもそうなのだろう、詳しい説明は出来やしない。それでもアリエキシアスは興奮して、あれこれと聞いてくる。
とりあえず素人ながら、色々と説明していく。果たして合っているのかどうか、確認も出来ないのだが、不安になる。
それでもアリエキシアスは喜んでいるし、質問は次から次へと溢れてくる。それが、なんとなく嬉しいやら楽しいやら。なんとなく、アイナの気分も明るくなってしまう。
「…………来たな。今度は間違いない」
不意に、トゥーラが呟いて刀を抜いた。
ぴたりと、アリエキシアスとアイナの会話が止まった。緊張が場を支配する。
トゥーラの視線の先、暗闇の向こうから何かがやって来る。足音が聞こえてくる。人間……では、ない。
現れたのは、人間のようで、人間ではなかった。人の形はしている。二本の足に、二本の腕。だが、それは人間ではない。
彼らの全身は、石で出来ていた。
「数は五……式神か?」
石人形は、手に手に武器を持っている。動きは緩慢だが、その武器を振るえば人間を殺傷することは容易だろう。
それに、全身が石であるのなら、刀で切断するのは困難だ。すなわち脅威。すなわち敵である。
「おい、魔導師。ありゃあなんだ?」
「ゴーレムだね」
トゥーラの問いに、アリエキシアスが即答した。
「数秘術の中でも高等な技だ。土や石を使って、人間を模造する。疲れ知らずの労働力だ。あまり複雑な仕事はできないけれどね」
ゴーレム達が、武器を構えた。地下水路を歩き回り、見つけた人間を殺せ。おそらくはそう命じられているのだろう。成程、それならば単純な仕事だ。
ゴーレムが、走り出す。それほど速くはないが、足音が響く。全身が石で出来ているのだから、重いのは当然だ。
さあ、どう迎え撃つか。
敵の数は五。武器は剣が三、斧が二。道幅は、横に三人並べる程度か。
全身が石ならば、その守りは甲冑も同然……いや、中身も石ならそれ以上だ。
加えて、体重は人間を遥かに上回る。まともに切り結べば、重量差で押し切られるのは間違いない。
なら、狙うべきはどこか。わからぬなら、詳しい者に聞くべきだ。
「……石のくせに手足が動いてやがる。どうなってる?」
「関節は泥で造っているのだろう。本来は全身が泥なのだけれど────」
アリエキシアスから必要な話だけを聞くや、トゥーラは動いた。即決せねば死ぬのが戦場だ。
一息に踏み込み、まずは先頭の一体に白刃を振るう。まともな反応も出来ず、一刀の下にゴーレムの首が落ちた。そのまま地に倒れ伏す胴体。どうやら、首を斬れば死ぬのは人間と同様らしい。
すかさず、左右にゴーレムが回り込んでくる。それぞれが剣を振り下ろし、頭蓋を叩き割らんとする。しかし、トゥーラは既に後方へと飛び退り、その場にはいない。
「もう少し下がってろ」
アリエキシアスとアイナに注意しながら、今の攻防を再認する。
所詮は人形、仲間の死を悼む心も、恐怖する本能もない。それは兵士としては便利なものだ。
だが、頭は悪い。さらには技もない。
あの体重で技を駆使されれば、恐るべき強敵であっただろう。あるいは連携でもされれば、この狭い通路では厄介だったろう。
だが、どちらもない。ならば、やりようはいくらでもある。
剣を振り上げながら進んでくるゴーレム。その無防備な腰を切断し、即座に次に視線を向ける。
振り下ろされる剣。その振りは遅く鈍い。トゥーラの刃はするりとゴーレムの手首に滑り込み、切断してみせた。
剣を握った手が床に落ちて割れる。返す刃で、無防備な首を刎ねた。
「残り、二!」
斧を持つ二体が迫る。
斧という武器は厄介だ。その重さから細やかな技は望めぬが、代わりに力一杯叩きつければ致命的な威力となる。振り下ろされた斧を受ければ、間違いなく刀剣ごと叩き殺される。単純故に恐ろしい武器なのだ。
そして、ゴーレムの重量と技量ならば、初めから全て斧やら鎚やらで武装すれば良かったろうに。そう思いながら、トゥーラは壁側へと駆けた。一息に、ゴーレムの脇をすり抜ける。
その背中を追うように振るわれる斧。しかし、それは壁を割り、その勢いを失った。
すかさず振り上げられた太刀が、ゴーレムの肘を断ち切る。
武器を失ったゴーレム。その背後からもう一体が斧を振り上げながら出てきた。
「ハッ、鈍い!!」
トゥーラは武器を持たぬ方のゴーレムを間に挟み、盾とする。連携は行わないにしても、同士討ちは回避するようにはなっているのだろう。この状態であれば、斧は振るわれないようだ。
代わりに、隻腕となったゴーレムの腕が振るわれる。石の拳は槌に等しい。殴打を受ければ、重傷は免れまい。
故に、その肩をすかさず斬り落とした。
両腕を失ったゴーレム、その影から身を低くして飛び出すと、もう一体の膝を容易に切断する。支えを失って転倒した上半身が砕ける。
残るは腕のない石人形がひとつ。最後の一刀は、もはや何の工夫もいらぬ後始末にすぎなかった。
「他愛なし」
トゥーラは呟いて、血払いをする。それから、血など付いている筈もないと気が付いた。
「トゥーラさん、すごいね」
「こんなもん、どうってこたぁない」
初めてその武勇を目撃したアイナが呟いた。
だが、トゥーラとしては不満気であった。この程度の弱卒、何の誉れにもならぬと言わんばかりだ。
トゥーラは刃こぼれを確かめ、納刀する。それを尻目に、アリエキシアスはゴーレムに残骸を検分していた。
「んー、これは……まずいかな?」
緊張感なく、アリエキシアスが呟いた。
なにやら頭部を確認して、あれこれと呟いている。そして、二人に振り返った。
「居場所を知られた。すぐに次が来るよ」
地上、既に朝日も昇った頃。アドルアルディ家の邸宅、その一室にて。
丸眼鏡の優男、オルフレード・アドルアルディが、不意に顔を上げた。
「五体、消失した」
オルフレードが下水路に放ったゴーレムは、全部で二十。それが彼の管理、制御できる数の限界だ。
それらを五体ずつの編成で下水路を巡回させていたのだが、そのうちの一組が瞬く間に失われた。
オルフレードはすぐに下水路の地図に視線を落とした。
ゴーレムが何を見て、聞いたのか、詳細は感知できない。ただ、いつ、どこで破壊されたのかはわかる。それを地図と照らし合わせれば、敵の居場所も知れる。
「ここ、か。リベルト、どう見る?」
傍らに控えていた騎士、リベルトに問う。彼は地図を見て、しばし黙考すると、何点かを指示した。
「アリエキシアスが下水路の構造を把握していると仮定した場合ですが、退路はこれらのいずれかでしょう。で、あればゴーレム共の進軍経路は……」
リベルトの指示に従い、オルフレードはゴーレムに命令を下す。魔術師であるオルフレードよりも、騎士であるリベルトの方が軍略に長じているのだ。故に、采配を出すのはリベルトであるべきだと、オルフレードは納得していた。
一通りの策を進言すると、リベルトは紅玉のあしらわれた首飾りをかける。アリエキシアスの物と同様、浄化の魔法が施されたものだ。
すなわち、彼もまた、これより下水路に赴くのだ。
「行って参ります、御館様」
剣を帯び、リベルトが出陣する。
戦場は暗く汚れた下水路。女子供を拐かし、あるいは殺す為の名誉なき戦い。恥じるべき行いである。
だが、それでアドルアルディ家の繁栄とリヴォグリフ帝国の安寧が手に入るならば、安いものだ。
リベルトは陰鬱な顔で、退室した。
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