第12話 失意
数日の後、またトルケマダ卿がトレド異端審問所を訪問するという知らせが入った。本当に解任されるかもしれない。けれど、それもいい。セシリアと共にいられるなら──。
いつも通りトルケマダ卿に供するチョコレートを入れるカップを磨き上げながら馬車を待つ。数刻経った頃、窓の外に異端審問所の紋章が入った馬車が停まる。トルケマダ卿だ。レナトは覚悟を決めて、出迎えに向かう。期待を裏切ったと詰られてもいい。解任されるなら万々歳だ。そう思いながら審問所の門に向かい、トルケマダ氏を迎え入れる。
「トルケマダ卿、今日もご機嫌麗しく」
「ああ、レナトよ。先日のアウト・デ・フェでは趣向を凝らしたと聞いたぞ。向上心があって何よりだ!」
「……え?」
「チョコレートでも飲みながら話をするとしよう、客室に通してくれ」
「は、はい。只今」
マドリードにはどんな風に先日のアウト・デ・フェの様子が伝えられているのだ。きっと詰られると予想していたレナトにとって、トルケマダ氏の反応は予想外だった。
貴賓室にトルケマダ氏を通し、温かいチョコレートをカップに注ぐ。トルケマダ氏はそれをぐいと飲み、カップを置いた。
「それで、あの人狼はどう処分したのだ?」
「しょ、処分? いえ、僕の家で軟禁しておりますが」
「なんだ、まだ殺していなかったのか」
憮然とした表情でトルケマダ氏は口元を拭いた。殺す、殺すとは。今となっては考えられない言葉が頭の中をぐるぐると巡っていた。
「処遇を頼んだはずだが?」
「それは……農民の怒りに触れることをするなとのことでしたので、てっきり、生かしておけとの命令かと」
「レナト、火刑にしてはならんとは言ったが、秘密裏に殺すことはできんのか。失望するぞ。秘密裏に殺せる環境など、この審問所には山ほどあるだろう」
「その、考えつきませんでした……」
「まあいいだろう。先日のアウト・デ・フェの様子は聞いている。コンベルソに歌わせたというのは、これまた心憎い趣向だ。その功績をもって許す」
「は、はい……」
想像の外にあった言葉ばかりを浴びせられて、眩暈がした。
トルケマダ卿はセシリアを殺すつもりだったのか。
僕の慈悲は、ただの趣向として捉えられたのか。
トルケマダ卿のことは、たった先ほどまで尊敬していた。敬愛していた。けれど、この心無い言葉の数々に、あんなに敬愛していた思いはばらばらと崩れていく。
「あの……解任とか、されないんですか? 僕はコンベルソに歌わせたんですよ」
「解任? 何を言っているのだ。レナトよ、私はそろそろ引退を考えている。次代の本部長官は決まっているが、その次席にお前を置きたいと考えている。昇進だ」
頭が痛い。水銀を飲んだような吐き気がした。物事の全てが、悪いように進んでいる。本部があるマドリードに異動となれば、誰がセシリアの面倒を見るのだ。セシリアをマドリードに連れていくことはできるだろうか。頭痛と吐き気の中でもなんとか頭を回すが、次にトルケマダ卿の口から出てきた言葉が、レナトの心臓に止めを刺す。
「ああ、異動の前に人狼は処分しておくのだぞ」
そう言い、トルケマダ卿はからからと笑う。レナトの心臓は引き裂かれたも同然だった。
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