第11話 慈悲

 

 *

 

「クリスティ・ノミネ・インヴォカート」


 レナトは神に捧げる聖句を読み、祈る。今までのアウト・デ・フェにおいて、この言葉を真実に受け止めたことはなかった。ただの式を進めるための文言に過ぎないと思っていた。けれど、明日の朝に命を散らす異端者たちが、こちらを慈悲を求める目でじっと見つめていることにようやく気付けばこそ、この言葉はやっと意味を持ってレナトの胸に染み渡った。


「ユダヤの教徒よ、最後に歌うことを許可する。歌えば苦しみは軽くなり、泣けば苦痛がさらに増す。だから、歌いなさい。貴方たちを悩ませる苦しみを取り払うために。これは最後の慈悲である」


 アウト・デ・フェの会場は騒然とした。誰もが、氷の男、冷酷の化身であるレナト・エレーラ・ルイスが、コンベルソに情けをかけるとは思っていなかったからだ。


 少しの騒然のあと、どこからか一人の男の歌声が小さく聞こえ始めた。「さよなら友よ、また会う時まで」。ユダヤ教の勢力圏にてよく歌われる民謡である。最初はおどおどとレナトと周囲をきょろきょろ見ていたコンベルソたちが、それに続いて歌い始める。会場は、コンベルソの歌声で満ちていく。さようなら、さようなら、友よ、と。


 今回のアウト・デ・フェでは、生きたまま火刑に処される予定のコンベルソはいない。鉄の輪で絞首の後に遺体を火刑に処されはするが。


 ユダヤ教の信仰では、キリスト教と同じく火葬は禁忌である。体を焼かれれば、復活の日に戻ってくることができないからだ。これが、異端審問や魔女裁判にて火刑が用いられる理由でもある。もうここにいるコンベルソたちは、復活の日に立ち会うことはできない。また会うときなど来ないのだ。それでも彼らは希望を歌う。合唱が、レナトの耳には心地良く感じた。コンベルソの文化を心地良いと感じるなど、異端審問官にあってはならないことだ。だからこそレナトは、「これは最後の慈悲である」と宣言したのだ。建前は誰にでも必要だ。


 合唱が静かになった頃、レナトは小さく笑った。それに気付いた者はいないだろう。異端者にも友がいる。家族がいる。愛する人がいる。それがこの合唱で明確になった。レナトの中で渦巻いていた「コンベルソやモリスコも愛のある人間かもしれない」という考えが、ここにそれが正しいと証明されたのだ。


 彼らは愚かなのではない。誰かを謀ろうとしたわけでもない。ただ、寂しかっただけなのだ。

 


 アウト・デ・フェは恙なく進行した。罪人の名と罪状を読み上げ、刑を言い渡して終わりだ。けれど最後に歌い、苦しみから解放されたコンベルソたちの顔には、今まで見たそれらにはなかった希望があった。


「ありがとうございます……」


 絞首の後火刑を言い渡したはずのコンベルソが、レナトに向かって感謝の言葉を捧げた。


「お前は処刑される。僕は感謝されるいわれなどない」


「いえ、最後に慈悲を頂けたことに感謝しているのです。歌えてよかった。私は改悛し、キリスト教徒になっても、出自はユダヤ人です。ユダヤ人として死ねて、良かった」


 死刑を言い渡されたというのに、コンベルソは涙ながらにひざまづいている。以前のレナトであれば、自分の前でひざまづき慈悲を乞うコンベルソを「気持ち悪い」と退けていたことだろう。けれど。


「そうか、ならばその誇りのために死になさい」


 レナトはそう言い、「次!」と声を上げる。もうそのコンベルソに視線を向けることはなかった。冷たい態度に見えるだろう。けれど、異端審問官であるレナトにできる、最大限の祈りであった。

 

 翌日の処刑も問題なく終わり、レナトはやっと家に戻ることができた。セシリアの料理が恋しい。疲れた体を引きずって自宅のドアを開けると、セシリアは出迎えのあと、いつものようにレナトの腰に抱き着いた。


「レナト」


「ただいま、セシリア」


「うん……噂、聞こえたよ。コンベルソの人たちに、歌っていいって言ったって」


「うん。言った」


「……ありがとう。レナト、分かってくれたんだね。異端者にも愛を持つ人がいるって」


「セシリアがいたから、そう思えるようになったんだ。でも、ふふ。これで僕は解任かもね。そうしたらセシリア、何処に行こうか。海を渡って遠くに行こう。誰も僕らを知らないところに。異端審問も、魔女狩りもないところに」


「すてきな展望だね」


 セシリアはレナトの腰に回す腕の力を強め、胸に頬擦りした。その髪を撫でてやると、セシリアはレナトの胸の中で安心したように微笑んだ。

 

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