第4話 同居



 レナトは図書館で本を探している。片腕に持っている本は、犬の飼い方、犬の扱い方、犬のしつけ方……そんなものばかりである。先ほどから正論で殴られ続けたレナトは、とうとう人狼を飼うにあたって腹をくくった。そのため昼休み明け早々に図書館に足を運んでいたのだ。


「おや、レナト様。犬でも飼われるのですか」


 図書館司書が眼鏡を掛け直しながらレナトをじっと見る。


「犬……少し縁があってね、犬を……」


「そうですか。レナト様は独身でしょう。犬がいる暮らしというのはいいかもしれませんね。はい、貸し出しいたします」


「ありがとう」


 レナトはそそくさと鞄に本を入れ、図書館を出た。近くの店で果実水を頼み、ぱらぱらと本をめくる。


「玉ねぎと葡萄は食べられないのか……鶏の骨もダメなのか!?」


 思わず声が出た。狼と言えば野山を駆ける適当な動物を喰らっているイメージがあったからだ。


「意外と、食べさせてはいけないものが多いんだな……犬を飼うというのは中々に骨が折れる……」


 セシリアは犬ではないが。だが、狼は野生の犬という認識であるレナトにとって、そう大した差はないだろう。ページをめくるほどに犬の面倒な生態が露わになり、レナトは大きなため息を吐いた。毎日の運動や、躾の仕方を知るほどに、面倒すぎて頭が痛くなってきた。人狼を散歩に出すわけにもいかないから、散歩の代わりに家で運動できる道具を買いそろえなければならない。金がかかる。非常に金がかかる。


 ともかく、必要なものを揃えなければ。服もいつまでもボロ布を纏わせておくわけにはいかない。レナトは服や食べ物、セシリアの寝床になる毛布などを買い、自宅に戻った。


 食べ物をキッチンに置き、ゲストルームとして空けてあった部屋を軽く掃除する。それからセシリアのために買った服に尻尾を通す穴を作る手芸も始めて、人狼を迎え入れる準備が終わった頃にはすっかり夕方になっていた。人狼との約束は今日中に果たさなければならない。レナトはもう一度家を出て、トレド異端審問所へと足を急がせた。


 地下牢の奥に足を踏み入れると、セシリアはレナトの足音に気付いたのか、鉄格子の近くまで寄ってきていた。


「お待たせ、セシリア」


「いっぱい待った」


「うん、ごめんね。セシリア、外で暮らすことなんだけどね」


「うん」


「僕と一緒に暮らしてくれるかい?」


 確定事項である。セシリアが首を横に振ったとしても、セシリアに他に行くべきところはない。そうすればこの牢の中からは出られないのだ。


「ただし、条件があるんだ。僕の家から出ちゃいけない。君は人狼だから、外に出たらまたこうやって牢屋に入ることになってしまう。それでも、いいなら……」


 セシリアが簡単に首を縦に振るとは思えない。何しろ森で自由に生きてきた人狼だ。軟禁、というより監禁に近いそれを受け入れるはずもない。それに、もしかしたら人狼にも乙女心というものがあるかもしれない。妙齢の男と暮らすことに抵抗を感じる可能性がある。けれど、他にこの人狼を牢から出して、ある程度の自由を与えられる手段も無く──


「うん、わかった」


「君には酷だとも思うんだけど、って、え?」


「レナトと暮らす」


 断られると思っていたレナトは少々面食らった。セシリアは嫌がると思っていた。森を自由に生きてきた人狼が、監禁を受け入れるだなんて。けれどセシリアはレナトの迷いなど気にする様子もなく、紅い瞳でレナトをじっと見つめていた。


「ほ、本当に僕と暮らせるのかい」


「うん。レナトいい人。ご飯くれた。セシリア、すごくお腹空いてた。喉も乾いてた。トマスはなにもくれなかった。でもレナトはくれた。それと、迎えに来てくれた。レナト、嘘つかなかった。信じる」


 なるほど、トルケマダ氏はこの人狼を厚遇はしなかったようだ。ただ食事を出すよう言っただけでここまで信用されているのもどうかと思うが、セシリアはきっと今まで悪意に晒されずに生きてきたのだろう。だからレナトが本心ではまだセシリアを受け入れ難く思っていることにも気付いていない。何処までも純粋に育った森の仔は、鉄格子の間からレナトに手を差し出した。


「レナト、握手する。人は仲良くしたいとき握手する」


「……それは村で習った事かい?」


「うん。セシリアはレナトと仲良くする。だから握手する」


 セシリアは鉄格子から出した手を振って、握手を求めてくる。レナトからすれば、矢張りこの人狼は埒外の厄介者だ。本当は共に暮らすなど考えられない。このまま牢獄に閉じ込めておきたい。けれど。この悪意も毒気もない人狼を前にすると、如何せん調子が崩される。


 小さくため息をついて、レナトは手袋を外した。素肌の手で、セシリアの手に触れる。セシリアは躊躇いがちなレナトの手をぎゅっと握った。セシリアの手は、人間のそれとは違うと思い込んでいたが……柔らかくて温かい、普通の少女の手だった。


「レナトとセシリア、友達!」


「と、ともだち?」


「握手した、友達! レナト、ドーゾヨロシク!」


 セシリアは握手した手を強く握りしめた。本当に、どうにも手に負えないほど調子を狂わされる……レナトは軽い頭痛を感じながら、セシリアになされるがままになっていた。


 そのあとどれくらい握手していただろうか。とりあえずレナトはセシリアの牢についていた鍵を開け、セシリアを解放した。ボロ布一枚だけを纏っていた体に、とりあえず先ほど買ってきた服を着せる。長いローブに、脚にも靴を履かせる。頭からすっぽり包むようなフードつきのローブにセシリアは不服そうだが、こうでもしないとセシリアを連れて街など歩けない。尻尾までしっかり隠し、レナトはセシリアと手を繋いだまま異端審問所を出た。思った通り、あれは何だとすぐに走り出そうとするセシリアの手を引っ張って、とりあえず自宅に辿り着く。異端審問所から近いところに家を買ってよかった。もう少し歩く距離が長かったなら、セシリアの力をもってすればすぐに手を解かれてしまっていただろう。


 家のドアを開け、セシリアを中に隠すように鍵をかける。セシリアはやっとレナトに引っ張られなくなったのが嬉しいのか、それともレナトの家の中にあるものが珍しいのか、また四つん這いになって家の中をうろつき始めた。


 そんなにおかしいものがこの家の中にあるとも思わないが。レナトはソファに座り、セシリアを好きなようにさせた。セシリアはリビングをぐるりと一周すると、今度は窓の外に興味津々のようだ。


「残念だけど外には出してあげられないよ」


「うん。約束だから、わかってる。レナトがセシリアにねぐらくれる代わり、セシリアはレナトの言うこと、聞く。」


「……わかっているならいいんだけれど」


 レナトはまだこの人狼の約束とやらを信用できずにいる。セシリアは先ほどから約束、信用と繰り返すが、人狼ごときの……そして子どもの頭を、何処まで信じられるものか。期待はしていない。窓から逃げ出すかもしれないことを考えたら、窓に鉄格子をつけるべきだろうか。そんなことを考えていると、人狼はリビングを動き回るのをやめ、ソファに座るレナトの前に立った。


「レナト、セシリアはどこで寝ればいい」


「……セシリア、君のねぐらに案内しようか?」


「ここ、違うの?」


「ここはリビング。ねぐらは別に用意してあるよ」


「窓はある?」


「出窓があるよ」


 ついておいで、とレナトは立ち上がる。セシリアはそれに素直についてきて、二人で階段を昇る。二階には三つ部屋があり、一つはレナトの書斎、もう一つはレナトの寝室だ。これからセシリアのものになる部屋のドアには、タイルで作ったプレートをかけておいた。


「セシリア、いい? このタイルが貼ってある部屋が君のねぐらだ。他の部屋は入っちゃいけないよ。もう一度言うけど、勝手に家の外に出ることも禁止だ」


「うん、わかった」


「いい子だね。じゃあ、ここが今日から君のねぐらだ」


 ドアを開けると、換気のために開けておいた窓から風がふわりと吹き抜け、カーテンを揺らしていた。ベッドの上には布団だけでなく包まれるように毛布も置いて、クローゼットの中には先ほど手作業した服を入れてある。机はあっても使わないだろうが……移動させるのも手間なため、そのままにしてある。


 セシリアは出窓に飛びつき、外の匂いをすんすんと嗅いでから、今度はベッドに飛び込んだ。


「お日様! 風! ふわふわ!」


 要領を得ない語彙だが、どうやら気に入ったようだ。


「本当にセシリアのねぐら?」


「そうだよ。好きに使っていいんだよ」


「レナト、ありがとう!」


 毛布にくるまってベッドの上を転がりながら、セシリアは礼を言う。礼儀はないが、心からの礼だということは分かっているため、レナトは小さく「うん」と言い、ベッドに座った。


「村のヒト、もっと小さいねぐら」


「そう」


「レナト、お金持ち?」


「そう、かもしれないね」


「すごい!」


 やっと毛布から這い出してきたセシリアは、また部屋の中をぐるりと回っては喜んでいる。これらを何のために使うのかはわかっていないだろうが、それは追々教えればいいだろう。それよりも、まずは。


「……セシリア、身体を拭こう」


 傍に来てやっとわかったのだが、いや、当然だが……セシリアの身体は土や泥で汚れていた。森で暮らしてきて、ここ数日は地下牢に入れられていたのだ。何にせよ、この部屋が初日でぐちゃぐちゃに汚れる前に綺麗にしければならない。セシリアの手を引いてもう一度リビングに行く。セシリアを木の椅子に座らせ、レナトは水を用意する。


 たらいに入れた水に布を浸し、セシリアの体をしっかりと拭いていく。まずはべたべたに汚れた銀髪から拭いて、それからセシリアに服を脱ぐよう促す。年頃の乙女ならば男に裸体を見せることをためらうだろうが、セシリアは素直に服を全部脱いで椅子に座りなおした。へその下からは毛皮で包まれており、人間とは違う骨格がありありとわかる。


 狼の癖に警戒心がなさすぎる、とも思うが、セシリアの暮らしてきた環境を思えば、警戒心がないのも当然といえる。森の護り手として、蝶よ花よと大切にされたのだろう。


 汗と泥で汚れた体を清め、土が入り込んでいる爪も切って、髪と尻尾に櫛を通してやって、最後に体中に香油を塗れば、見窄らしさはすっかり消えて、銀の人狼がそこにいた。顔は、泥を落としてみれば成程、端正な顔立ちをしている。大きな紅い瞳を銀色の長いまつげが彩っている。頬はほんのりと血色がよく、世間一般で言えば美しい部類の顔をしていた。


 異形とは人を惑わす外見をしているというが、セシリアはその通り、顔だけを見れば人を惑わすに値する。大きな耳と下半身を見れば異形のそれで、美しい顔に意味はないのだが。


 清めた体にもう一度ローブを着せてやると、セシリアは自分の体から香る油の匂いに慣れないのか、体中をくんくんと嗅いでいた。


「あまいにおい」


「そうだね。さて、体も清めたし、ご飯にしようか」


「ごはん!」


 セシリアはがたんと音を立てて椅子から立ち上がる。もう日もとっぷり暮れて、夜である。確か読んだ本には、犬はよく食べると書いてあった。狼も、しっかり食事をとる生き物なのだろう。買ってきた果物とパン、それからソーセージをテーブルに置くと、セシリアは大きな瞳をきらきらさせてテーブルの前でよだれを流している。せっかく清めたというのに、早速台無しになりそうな勢いだ。


「セシリア、僕の家に住むとなったからには、今日からは人間らしく生活してもらうよ。皿はかじらない、座って食べる」


「わかった、お皿たべない」


「いい子だ。では食事にしよう」


 レナトも椅子に座り、神に祈ってから食事を始める。セシリアもそのまねをしたのか指を組んで頭を下げ、それからソーセージを手でつかんだ。


「セシリア……熱くないのかい?」


「おててあつい」


「だろうね。これを握って」


 ソーセージから一旦手を離させて、手を布で拭いてからフォークを握らせる。持ち方は初日から小うるさくは言うまい。


「こうやって、ソーセージを刺すんだ」


 セシリアの手に握らせたフォークをソーセージに導き、フォークの切っ先でソーセージを刺すと、ソーセージの皮がぱりっと音を立てる。


「おお……」


「人間はこうやって道具を使って生活するんだ。セシリアも、この街で……この家で暮らすのならば、人間として暮らしてほしい」


「むずかしい……セシリアは森で暮らしてたから。でもレナトがそういうなら、がんばる」


「理解してくれてありがとう。使い方は少しずつ覚えればいいからね」


「うん!」


 レナトが導くままに、セシリアはやっとソーセージを咀嚼する。食べ方も赤子のように汚いが、初日にしてはフォークを持てただけ上出来だろう。オレンジもナイフで剝いてやると、セシリアはじっと興味深そうにその様子を見ている。セシリアにとってオレンジの皮は手で剝くものなのかもしれない。切り分けたオレンジを皿にのせてやると、セシリアは握ったフォークで不器用にオレンジを刺して食べ始めた。素直でよろしいことだ。


 腹が満たされたらすぐにうつらうつらと舟をこぎ始めるセシリアを抱きかかえて部屋に連れていき、ベッドに下ろすと、セシリアはすぐに寝息を立て始めた。本当に、赤子と変わらない。押し付けられたのは犬の世話ではなく赤子の世話だったか。次に図書館で借りるべきは犬のしつけ方ではなく育児の本かもしれない。レナトはそう考えながら、自室のベッドに体を沈めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る