十一章:意志 - 弐
どれだけの時間が経ったのだろうか。どれだけの距離を進んだのだろうか。血を啜り、生肉を齧って永らえてきたこの体も、とっくに限界を越えていた。
魔物が眠る朝になると、倒れるように僕も眠る。魔物が起きる昼になると、殺気や敵意に起こされる。それはもう人間よりも魔物に近いのではないか。今更か。
殺した魔物を数えるのは、とうの昔にやめた。昇る陽を数えるのも。魔族から奪ったこの魔剣は、それでもいまだ血に飢えて爛々と輝いている。
僕がくたばるのが先か、この剣が折れるのが先か。
……多くの魔物の気配がする。が、少しおかしい。今まで晒されていたような殺気や敵意といったものがない。
どこか懐かしい雰囲気。温もり——いや、活気だろうか。
視力を強化する。木々の間に僅かに見える原始的な住居は、確かに村の様相を呈していた。
当たり前か。魔物や魔族の全てが戦士なわけがない。生活を支える者もいれば、生物である以上、子供もいる。
ゲルドドを思い出す。彼にも子供が居たのかも知れない。
村の種族はおおよそ獣人型だ。ただし、さまざまな種族が入り乱れている。熊、狼、梟、蝙蝠——人?
少し近くに寄ってみる。襲う意図はない。ここにきて合理性よりも興味を取るとは、自分でも驚いた。
褐色の肌。小学生の真ん中くらいに見える。身なりが汚れていてはっきりとはわからないが、多分、女の子だろう。
なぜ人間の子供が魔物の村に。胸が騒めく。視界が揺らぐ。僕は何を考えている?
殺気。油断した。警戒されていないはずが無いのに。
この気配は魔族。探知してからでは間に合わない。障壁と風壁を展開し、身を縮める。
腕に大きな衝撃。何を喰らったかもわからない。当然の様に守りを超えてくる、規格外の威力。骨折くらいなら治癒魔法でなんとでも。
数回転して着地——と呼べるかはわからないが、魔族を視認する。大きいな。僕の二倍はありそうだ。装備は無い。住民か?
不可解な角度で追撃が来る。村から引き剥がす気だ。抗う理由はない。が、容赦もしない。
蒼い炎を薫く。範囲は出ないが、熱量は高い。そして追撃は防げないが、いくら硬くてもダメージは通る。
奴は焼かれながらも、その腕を僕の幻影に振るう。幻影と隠遁、最近世話になっている組み合わせだ。だが決定打がない。死角からさらに炎を薫く。
うめき声を上げたかと思えば、奴の足元から爆音と粉塵が巻き上がる。人間とは、存在の桁が違う。炎は散らされ、粉塵で僕の居場所も悟られた。
体制を崩した。この距離では避けられない。一か、八か。
ありったけの大きさで自分と背後を凍らせる。魔剣にも魔力をたっぷり吸わせ、刀身の大きさは僕の体ほどに膨れた。さあ来い。
腕が折れそうなほどの衝撃。長い。一秒か、二秒か。
眼前を拳が過ぎる。皮一枚を隔てたそれは、背後を覆う氷を粉々に砕く。
「バケモノが……」
久しく聞いていなかった魔族語。僕のことを言っているなら、そっくりそのまま帰したい。
「ニンゲンノコ、ナゼ」
力を失い、項垂れていく魔族は、少し驚いた様に顔をしかめる。
「……捕虜が産んだと聞いた……子供に……罪はない……」
「……ウンダ、ニンゲンハ」
「……さあな……死んだんだろうよ……」
そう言って魔族は動かなくなった。武器を持っていなかったのは、戦場じゃなかったから。武器を持たれていたら、歯が立たなかった。
痺れる腕で彼を埋める。特に理由はなかったが、弔っても良い気がした。きっと彼の家族も、村の中にいるのだろう。もしかすると、人間の子を育てた親かもしれない。
道草を食った。これ以上、余計なことを考えず、進まなくては。ここはもう、僕が居るべき場所では——
突如、村に火の手が上がる。内争か、いやこれは。
「人間か? ……何をしている。どこの所属だ」
軍人。どこかで見覚えがある。
「あなたたちこそ、何をしている。あそこは村だ! 戦士はいない!」
「所属とここに居る理由を聞いている!!」
こうしている間にも兵士たちが村を焼く。止めさせなくては。あそこには。あそこだけは。
「そこを退きなさい」
「誰が……」
構っている暇は無い。最大火力で押し通る。身体強化。魔力剣。
軋む腕を無理やり振るう。今だけは、限界を越えてでも。
一閃。目で追えない程の斬撃で魔力剣が掻き消される。刀。思い出した、奴は五芒星の——
「魔族の法術……貴様、『邪将』か。神楽の仇、『無元』が討つ!」
邪などと、どの口が言うか。罪なき村を襲うこいつらが。僕の大切な人を奪った、こいつらがっ!
身体強化を織り込んだ独自の魔法で影の衣を纏う。動かない手足は、これで動かす。
奴の斬撃は全てを無に返す理の剣。最初から守りは考えない。
剣戟と氷魔法の波状攻撃。物理は掻き消されないものの、刀の切れ味は侮れない。
攻撃の隙を作るな。斬られれば死ぬ。時間を掛ければ、村が危ない。
それでも奴は一歩も退かないどころか、僅かずつ前進している。
剣の腕はさすがに、人間一の実力者と言ったところだ。
「『無元』の真髄は『魔』に惑わされぬ心にある。——まやかしが通用すると思うな」
影の衣の中身が消えている事に気付かれた。しかし剣は本物。受けないわけには。
影の裏から奴の心臓を目掛けて、魔力を纏った突きを繰り出す。生身で受けられる技ではない。
剣が奴の腕を捉える——腕は捨てたか。
刀に魔力が掻き消される。縮地。無理矢理、体を奴と反対方向へ突き放す。
奴は腕を。僕は魔剣を失った。戦力の交換としては、あまりに不利。
とはいえ、奴もあの出血量では長く持たないだろう。次で決まる。
「名倉無元流、『逢魔の餞』」
開いた距離のまま、刀が垂直に下ろされる。降り注ぐ死に抗うことが、愚かに思えるほど。
『しってる? ユーカリって花をつけるの。とっても香りが良いのよ』
叫ぶ。死ねない。まだ死ぬわけにいかない。例え世界がどんなに無慈悲でも。どれだけの理不尽が降り注ごうとも。
魔剣に残る影の残滓を手繰る。縮地では足りない。幻影魔法を応用して、僕の存在ごと座標に飛ばす。
身体が千切れる感覚。治癒が追いつかない。もう少し生き永らえれば、それでいい。
手の感触だけを頼りに、魔剣を振り抜く。
血が熱い。冷たいのは僕の血ばかりか。いや、もはや誰の血かもわからないほど混ざってしまった。これで少しはハッタリにでもなるだろうか。
「あなたたちの大将は討った。被害を広げる前に帰れ。——これ以上は僕が相手をする」
腕も上がらない男の言うことだが、覚悟だけは本物だ。兵士の数が少なくてよかった。
小隊の独立行動か。五芒星が居るなら、戦力としては充分か。
遠目で『無元』の遺体を確認した兵士は、すごすごと引き上げる。なにせ敵は僕だけではない。懸命な判断だ。
じき、戦火も収まるだろう。これ以上ここにいては、また厄介な誤解を受ける。そしてそろそろ、僕にもその時が来る。
ああ、なんと言ったかな。ユーカリの花言葉……『思い出』とか、『再生』だったかな。
どうか、僕と違って、縁のある人生を。
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