九章:幸せ

 



  彼女は修道服を脱いだ。彼女の意思だったとも言えるし、状況がそうさせたとも言えるが、僕の代わりに傭兵派遣への登録をした。

  以前と違い、日雇い専門の業者だった。主要戦線から離れた地域で、身柄を隠しながら日銭を稼ぐ生活だ。


  当然、横のつながりも何もなく、その日の案件をこなすだけだった。別に傭兵でなくとも良かったのだが、今時ふたりが食い繋ぐ方法など多くはなかった。


  戦っていたのは僕だが、彼女は次第に疲弊していった。人の悪意に触れた、あの時からだ。

  同時に、僕を戦わせることしかできない、自分に疲弊しているのだ。


  信仰というのは、どうやら難しいらしい。修道服を脱いだ彼女は、次第に祈りを捧げることが減った。

  逆に、僕と馴れ合う時間が増えた。傷の舐め合いと言った方が正しいだろうか。結局、僕は彼女を傷つけてばかりだった。



  二年が経った。世間との繋がりは薄かったものの、一つの噂だけは入ってきていた。どうやら、人間側が優勢を取り始めたとの事だった。

  『五芒星』という飛び抜けた才能たちが、魔族四天王と互角に渡り合い始めたのだそうだ。その中には『勇者』と呼ばれる最高戦力もいるらしかった。どうせなら、もっと早く来てくれたら良かったのに。



「嫌です。あなたを放っても行けないし、私に安息を得る資格もありません」


  加奈子さんには平和になった街で暮らしたら良いと提案したが、彼女は嫌がった。嫌がるというより、少女のようにぐずったと言った方が正しいかもしれない。

  一方で、僕もどこかでほっとしたのは事実だった。



  『五芒星』が一角、『光雨の神楽』一団がここ、甲府の街へ視察へ来た。五芒星と言っても、早い話が軍人だ。彼らに絶対に会わないようにしなければいけないはずだった。

  ところが彼女らは突然、基地に現れた。僕がたまたま傭兵稼業で出てきていた基地だ。彼女らの来訪に、僕は内心焦っていた。



「ここに、やたらと実績を上げている『浅間加奈子』ってのがいるなぁ? そいつを労いに来たんだが、どこいる?」


  浅間加奈子、俺が傭兵登録してる、彼女の名だ。


「んー、やっぱいねーよなあ。ま、男所帯だ。女っぽくしてるとは限らねえ。ちょっと探させてもらうぜ」


  まずい、ここまで来たら逃げ出す訳には行かない。彼女らは僕の顔を知っているのだろうか。


  『光雨の神楽』は女性だ。武器は弓矢。格好は軽装備。女性にしては短すぎる髪と鋭い目付きが、彼女の性格を物語っている。

  あれは獲物を探す目だ。おそらく、僕を探しに来ている。


  先手を打つか? いやまだ、ただ労いに来た可能性も——



「てめえか」



  気がつけば眉間に光の矢が迫る。自然と腰が落ちる。頭上を射線が掠めた。この勢い、障壁や風壁では逸らせなかった。危なかった。


「焦ったな。殺気が漏れてたぜ」


  縮地魔法と身体強化、僕の出せる最大速度。五芒星と正面からやり合う実力も勇気もない。逃げに徹する。どこへ? なぜ、五芒星が僕を?



 ——骨が軋む。身体強化の限界を超えている。だけど、僕の素性がばれた以上、加奈子さんも危ない。



 ——追手はいないか。神楽の射程距離外に出るのは想定外だったか?




「加奈子さん!」


  内職の革鎧修繕をしていたところを、抱きかかえ去る。持ち物は現金だけ。加奈子さんの名前が渡った以上、クレジットカードも使えない。

  人目につかない道は予め目星を付けてある。ここで見つかったら、加奈子さんを守りきれない。


  逃げるなら富士山の方だ。深い森に入ってしまえば、逃走者の方が有利——



「思いのほか甘めえな」


  声? ——いやブラフ。察知魔法の反応は逆側だ。縮地で避けるも、光の矢は足を掠める。初めからこれを狙ったか。


「抉るつもりだったんだがな。ま、なんにしろゲームセットだ。俺は追跡が本職だぜ?」


  泳がされていたな。パートナーが居ると知って。

  もう二人では逃げ切れない。まして足をやられた。覚悟を決めるしかない。


「加奈子さん、とにかく遠くへ」

「足手まといですね。……どうか死なないで」


  落ち合う場所は決めている。待つ時間も。これで時間さえ稼げれば、僕が死んでも彼女は生きる。


  この相手には距離は取れない。そして矢を打ち出す速度は僕の魔法発生を許さない。死ぬつもりで受けるしかない。


  走る加奈子を横目に、神楽は弓を絞る。こちらの考えを悟ったか、早打ちよりも威力に重点を切り替えた。

 が、この距離なら。


  懐のナイフを投合。縮地魔法で加速されたそれは神楽の重心を狙う。避けられないだろうが、撃ち落とされるだろう。初手さえ取れれば良い。


  神楽は下がりながらナイフを撃ち落とす。反応が良すぎるな、仕掛けがあるのか。とはいえこちらは距離を詰めない訳には行かない。おそらく目眩しも無意味。ならば。


  眼前に無数の光。早打ち型に切り替えなければ、このタイミングでは打てないだろう。それならばぎりぎり致命傷は避けられる。

  障壁と風壁の併用。スピードを犠牲に、確実に近づく。バックステップで距離を取れる速度ではない。



「人間が俺の矢を弾くかよっ……!」


  上に跳ばれる。アクロバティックは向こうが上手か。垂直に放たれる光の雨。まさに光雨か。

  やり過ごすことはできるが、それでは距離が離れる。風壁を解除し、氷の足場を築き上げる。


  左腕は逝ったが、距離は詰まった。剣の間合いまで、あと一歩。空中で避けられる道理はない。


「女、もろとも、死にやがれ!」



  突如、目の前が発光。森を覆うほどの矢が放たれる。奴の奥義か。これを狙っていたのだ。

  ただでやられる訳にはいかない。障壁も解除し、全てを縮地と空蹴魔法に賭ける。



  神楽の胴体を切り裂く。上を取れば、光の矢は降らない。



「はあっ……はあっ……」



  腕が上がらない。肋も逝ったか。血も流しすぎた。




「加奈子……さん……」




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