八章:救い




日本の多くの地域には避難命令が出ていて、特に田舎の街や村はもぬけの殻だった。ただ、一部ではこの避難命令に反して、自分たちの土地を離れずに集落化している地域もあった。

大抵、そう言った場所に残るのはご老人だ。いまさら生まれ育った土地を捨ててまで生き延びたくないと、若者に道を譲るつもりなのだろう。


諏訪湖のそばに一千人ほどが暮らす集落も、その一つだ。



「おーい、あんたたち、差し入れだ」

「いつもありがとうございます」

「あれ、兄ちゃんまた残党狩りかい?」


僕と浅間さんは集落のご厚意に生かされていた。僕は代わりに、周辺の魔物を狩ることで恩返しをしていた。むしろ、それを目的に流れ着いたのだ。


結局、僕には戦うことしか残っていなかった。表立って戦線に加われない今、取り残された集落を守ること以外にできることが無かった。


ここでは川魚がよく獲れる。集落の人たちは、焼いたり干したりした魚や、個人で細々と育てている野菜などを、よく届けてくれる。


「統率の取れていない、知性のない魔物ばかりですから、大丈夫ですよ。それよりも皆さんはなるべく木々の深いところへは近づかないでください」

「本当に助かるよ、ありがとう。ただ、姉ちゃんを泣かせるような真似だけは、絶対にするなよ」



泣いてくれるだろうか、とも思ったが、それなりの返事をした。僕は彼女に依存している。彼女がいなければ、今にでもこの喉を掻き切っていただろう。

彼女は鎖だ。僕と現世を繋ぎ止める鎖。それか、僕を現世に縛り付ける鎖。


魔物の残党たちは、野生と一緒だ。痕跡を見つけるのは、僕には難しく無かった。

彼らはほとんど習性で動く。統率者がいなければ、熊や山犬も同然だ。


ただし、いつこの集落に魔族たちが現れるとも限らない。今は捨て置かれているだけの場所だが、魔物は数を増やしているから、そのうち彼らの寝床になるかもしれないのだ。

そうなった時、僕ができることは何もない。いや、ここの人たちが逃げるための殿にはなるだろうか。その時、浅間さんはどうするのだろうか。


数日もすると、集落中に僕の存在が知れ渡った。目立ちたくは無かったが、人の少ない場所では人伝に情報がよく回る。体感したのは初めてだったが。


初めて見る若い、といっても三十代の男から呑みに誘われた。若い人が居ることも意外だが、酒場があるのはもっと意外だった。

連れられた場所は酒場というより、薄汚い立食会場だった。ここにも若い人たちがたくさん居る。何より、多くの武器がある。嫌な予感がした。



「腕が立つんだってな。詮索はしねえ。が、協力しくれないか?」


いわゆるレジスタンスだった。咄嗟に和真先輩の顔が頭を過る。


違うのは、『神罰』が敵対していたのはあくまで魔族軍であって、日本では無かった事だ。

ここに居る彼らは、明確に謀反の意を示していた。捨てられた、そういう感覚なのだろう。だとしたら僕も同じだ。


結局、僕は誘いを拒んだ。理由はいくつもあったが、浅間さんの存在が大きかった。彼女が居るのに、これ以上罪を重ねる事はできない。


「では、あなたはこのまま見過ごすのですか?」


浅間さんに諭される。言う通り、彼らはこのままだと滅ぶだろう。魔族も、軍も、そこまで甘くはない。戦力の差が大きすぎるのだ。

かと言って、僕に何ができるだろう。彼らを諭すか? どの口が?


「私も行きます。大丈夫。きっとわかってくれる」


半信半疑でしたが、従いました。きっと追い出されるだろう。たまたま流れ着いただけの修道女の話など、誰が聞くだろうか。僕でもなければ。



予想通りの反応だった。いや、思ったよりもあっさりしていたかもしれない。僕たちはすぐにこの集落を出ることにした。一刻も早く。


彼女には辛いだろうが、これが戦時だ。いつだって正論よりも己の正義が勝つ。彼らの正義は、彼女に否定されたのだ。



「……急ぎましょう」

「でも、まだお世話になった人たちに挨拶が——」


彼女を抱き抱えて横に飛ぶ。音のない弓矢が僕らの影を撃ち抜いた。

女性の、一般人の足では、この追撃から逃れられそうにない。


「やめてっ! やめてくださいっ!」


そう。これはきっとレジスタンスに投げた言葉だ。そう思うことにした。

彼らはそんなもので止まりはしない。長い時間をかけて準備した武器や人を、こんな流れ者に台無しにされてたまるものかと。


矢の方向へ縮地魔法と身体強化で距離を詰め、一網打尽にする。こんな鈍の剣では、楽に死ねないだろうに。

察知魔法への反応はあと二箇所。浅間さんに近づけてはならない。人を相手取るのは、悲しいことに慣れている。


隠遁魔法で身を隠しながら小隊ごと葬っていく。闇から現れる冷気と斬撃の嵐は、夜の森に小さな叫び声さえ呑み込んだ。



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