六章:魔族 - 弐




 ゲルドドは捕虜の中から彼女を見つけたのでしょう。そして一通り拷問した後、僕の前に連れてきたのでしょう。

彼にとって、僕が信頼に足るかどうか、その試練なのです。



『ムカシノオンナダ』

『なら、問題ないな?】


 ええ、問題ないでしょう。問題ないはずです。あの琴海ですから。

 最終的には僕を見下し、失望し、去っていった彼女のことを、この後に及んで庇う必要がどこにあるでしょうか。


 剣に手を掛けます。せめて、苦しませないように、一太刀で——



 ゴロン、と転がった鳥頭にはまだ感情があるのか、悲哀と嘲笑の笑みが感じ取れました。


 おそらく、他の魔族がすぐに集まってきます。僕は琴海を背負って、身体強化と空蹴を同時発動しながら、最大出力で山を降ります。


 それでも足の速い魔物、魔族には追いつかれます。グリフィン族やワイバーン族は、空から一直線に僕を目掛けます。

琴海を背負ったまま、空蹴と風斬を切り替えながら応戦します。



 魔物たちは器用に、遠距離から魔術を使って弱らせてきます。僕は木の影に隠れながら、転げ落ちるように逃げ続けました。

あの提頭頼吒が来ては一巻の終わりです奴の耳に届く前に、どこか身を隠せないといけませんでした。

 

 意識も薄くなってきた頃、僕は最後の手段で、魔族の技術である黒焔魔術と剛氷魔術で大きな爆炎を作りました。

 周囲一帯を僕たちも巻き込んで吹き飛ばし、かろうじてその隙にできた小さな洞穴に身を隠しました。



 目を覚ますと、またも牢獄の中でした。僕にとって大事だったのは、そこが”どちらの”牢獄かということです。



「目を覚ましたな、裏切り者くん」



 ああ、嫌な方だ、と思いました。久しぶりに聞いた日本語は、軽蔑と敵意を抱え、鼓膜の奥の三半規管を揺らしました。


 どうやら琴海の証言で、僕が魔族側に付いていたと知れ渡ったようです。

 それに加え、戦場で何人もの兵士に姿を見られています。別に肩を持って欲しかったわけではありませんが、どこまでもこの社会は好きになれないな、と素直に思いました。



 軍の規定に則り、正式な形で軍議にかけられます。弁明の余地はほとんどありませんでしたが、脅されていた、と苦し紛れの言い訳はしました。

 魔族の言葉が少しわかる、などと余計な事は言いませんでした。言ったら利用されることがわかっていたからです。


 簡易裁判所では、琴海が話す場面もありました。改めて見ると彼女は学生時代よりもさらに目は鋭く、髪は短く、それでいてしっかりと大人の女性になっていました。足は折れていましたが。

彼女の僕を見る目は、まるで僕を見ていないようで、まるで鬼や邪でも見ているかのように思えました。



 軍議の結果は、当然有罪でした。ただし、数少ない魔族領での生還者でもあったので、すぐに殺される事はありませんでした。

 旧中野刑務所へ輸送され、魔石でできた手錠と足枷を嵌め、泥まみれの檻の中へ投獄されます。


 遠くの檻からは魔物の鳴き声も聞こえました。きっと僕はもう、魔物や魔族と同じ扱いなのでしょう。

 とっくに人間である事は捨てたはずなのに、今更これでもかと突きつけられる扱いは、まだ僕の臓物にどす黒い何かを募らせました。


 それは今までに感じたことがないほどの、孤独と、空腹と、痛みと、嫌悪でした。

 臭い飯を喰い、糞尿まみれになりながら、かわるがわる検察と名乗る悪魔たちの相手をしました。


 時には体を奪われたこともありました。「ゲテモノのくせに可愛い顔しやがって」と。お前の方がよほどゲテモノだと言える生気も根拠もありませんでした。


 彼女を、片岡を奪った彼らに、今度は僕自身も奪われていくのか、と悔しくはありました。しかし抵抗する気力もなく、僕は自然と心にリミッターをかけて行きました。


 悪魔どもはいなくなり、代わりに母が来ました。



 痩せこけ、肌は皺だらけになり、目の周りは真っ赤に腫れ上がっていました。



「ああ、優人、優しかった、ただ教師になりたかっただけの、私の優人」



 謝ることもできませんでした。僕はただ、リミッターを掛けたこの心でさえ、壊れていくのを感じました。

 泣き崩れた母を検察が連れ出しました。母は良いように使われたのでしょうか。ああ社会とは、どこまでも、どこまでも。


 ご飯すら食べられなくなった僕の元へ、いろんなカウンセラーやら医者やらが来ました。しかし彼らの言った言葉の一つとして僕は覚えていません。



 もう少しで楽になれる、もう少しで彼女の元へいける、そう思った頃に、君がやってきました。



「あなたの罪を教えてください」


「——思えば、小学2年生の時、魔境臨界した時から始まったのだと思います」



 君はただただ、僕を認めました。僕の過去を聞き、僕の罪を聞き、責めるでもなく、同情するでもなく、ただ僕を認めました。



「あなたは孤独です。ただ、道に迷っただけ。自己を、期待を、仲間を、責任を、人を、魔族すら裏切り、あなたに残ったのは小さな孤独」



 ぽつ、ぽつ、とゆっくり語る君の言葉には、何一つ憂いを帯びていませんでした。だからこそ、小さな小さな心の穴に、滲み入ってきたのかもしれません。



「あなたも、あなたの罪も認めます。もう孤独ではありません。あなたに必要なのは理解者ではなく、ただ隣にいる人なのです」



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