六章:魔族 - 壱




『四時方向、距離180、ニンゲン、八』

『リョウカイ』



 二年も行動を共にしていると、魔族が話す簡単な単語は分かるようになりました。逆に二年もしてこれしきだったので、通訳の女性がいかに秀才だったかを思い知ります。


 日を追うごとに軍人との邂逅頻度は減り、代わりに質の低い傭兵が増えました。

彼らは不安なので群れて動きます。が、一人一人の練度は低いので、魔族にとっては良い的です。


「人間!?」

「や、魔族だろ!!」

「どっちでもいい、敵だッ!!」


 魔族の、魔術に関する技術は、人間に比べて圧倒的でした。こちらの世界に来る前から魔法文化を発展させてきたのですから当たり前です。

 一方で人間は〈スキル〉を使います。これは魔族にない力です。これを持って人間は魔族と渡り合うことができます。



 ほんの一部ですが、魔族から魔術の使い方を教わりました。身体強化や防壁、自然魔術は、魔族のそれと遜色ないほどに洗練されています。

 しかし、それでも提頭頼吒の圧倒的な膂力と魔力の前では赤子も同然です。それほどまでに種の壁が人間を阻みます。



『捕虜、帰還』


 僕は未だに、魔族軍の会合には参加させてもらえず、この侵攻の意義すら知らず、他の人間捕虜との接触も絶たれています。通訳の女性とも、もう一年以上は会ってないでしょう。


 当たり前です。僕は人間なのですから。しかしそう思ってるのは魔族側だけで、僕自身はもうとっくに人間であるなどと思っていません。当然、魔族でもありません。


 孤独でしたが、それが心地よかったのかもしれません。何にも属さないことが、唯一の救いだったのです。彼女を殺した社会こそが、僕にとって本当の敵なのかもしれません。


 遠くで魔族たちの祭囃子が聞こえます。こうやって騒ぐ次の日は、たいてい大きな戦果が上がる日です。



『酒、飲むか』



 鳥頭の魔族、仲間からは『ゲルドド』と呼ばれていましたが、彼は僕の監視を担当していました。

 時々、こうやって気遣うそぶりを見せますが、盃を交わすつもりもありませんでした。


 ただ、この日は一口だけ飲んでみようかなと思ってみたのです。理由はありませんが。


『……彼女、すまない』

『ゲルドド、ワルクナイ』


 魔族にも人の心があるのでしょうか。いえ、魔族には魔族の心があるのでしょう。彼らもまた一人であり、同時に魔族という種であるのです。

 お酒の味は、人間と変わりませんでした。



 翌日は魔族の僕、地竜の引き車に荷物を乗せて大移動します。感覚的には、この侵攻で川口あたりまで戦線が動くでしょうか。


 当然、人間側が黙ってみているはずもなく、遠くから多量の魔力を感じます。このクラスだとおそらく傭兵ではなく、軍人でしょう。それも百戦錬磨の。



 僕は魔族から人間に間違われないよう、オークの髑髏から作られた黒塗りの面を付け、魔族の匂いを醸しながらゲルドドと行動します。

 ゲルドドは感知能力に長けていて、数の少ない人間の群れを見つけては、僕が狩っていきます。


 激しい戦場でしたから、次から次に人間と邂逅します。相変わらず僕は彼らの顔を見ません。死に逝く彼らの表情は、見たくありません。


 また遠くに人影が現れます。まだこちらに気づいていません。いつものように、体が勝手に気配を消して近づきます。それが琴海だと気付くのに、数瞬かかりました。


 かつて僕に失望した目を向けた相手。勝ち気で負けず嫌いな相手。そして僕が初めてを捧げた相手。



 その数瞬の隙に、左右から剣が迫りました。その気になれば一蹴してしまえましたが、あえて僕は彼らと時間をかけて戦いました。

 そんな僕に対して、ゲルドドは違和感を感じ取っていました。感知能力の高い、彼のことですから。


 今日のところはお互い、痛み分けで終わりました。あの提頭頼吒が居てなんとかならない相手が人間側に居るとは思えませんでしたが、魔族側に悔しげな空気が漂っていたのを覚えています。


 いつも通り魔族と離れて一人でいると、ゲルドドから呼び出されます。懐かしい、捕虜を閉じ込める檻の前でした。



『こいつ、殺せ』



そこには地面に這いつくばり、足を折られた琴海の姿がありました。



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