二章:期待 - 壱

 


 鶴見の実家から東京都練馬区にある魔境軍人学校へ進学した僕は、そこから寮生活を送ることになります。送り出される時の母の憂い顔と、父の仏頂面は今でも鮮明に覚えています。


 魔力検査の結果によって、新入生たちは寮を振り分けられます。体裁的には上位実力者が下位のものを虐めたりしないように、ということらしいのですが、寮のグレードはまるでカーストを表すかのように、明らかな差がありました。


 僕たちのようなトップクラスの寮になると、外観はまるで家族向け高級アパートのようで、古めかしい実家とは違いホテルのような内装の2LDKを当てられました。

 たかだか5年ほどの歴史しかない魔境軍人学校ですが、新入生は先輩と二人一組で同じ部屋になるのがしきたりのようで、僕もそれに漏れなく先輩と生活することになります。


 加藤和真という名でした。ブリーチした髪を短く刈り込んだ、クラシックな様式の、気合が入ったとでも言うのでしょうか。いかにもな感じが、僕は苦手でした。


 和真先輩は西の出身で、僕が初めて出会うタイプの人でした。関西弁は動画でしか見たことが無かったので、この学校には全国から人が集まるのだなと言うのを実感しました。

 魔力判定はやはりAで、スキルは〈誘発〉と言うらしいのですが、要は魔力を込めた攻撃による衝撃を連鎖させるスキルのようです。


 とても高圧的で、どこか計算高く、一方で軍人としての意識が高い、僕と真逆の人だった気がします。



 僕は先輩から、軍人学校の生徒としてのいろはを叩き込まれました。とは言っても、授業や規律に関することではなく、むしろ真逆のことばかりでした。

 社会では舐められないことが大事だ、暴力は手段であって目的ではない、女は支配しろ、賭け事は嗜め、などです。


 入学式の前日、新入生全員がA組寮の前に集められます。僕も和真先輩に連れられて寮の外に出ました。

 するとB組寮、C組寮の新入生が一斉に並べられて、どうやら一番覇気の強い、おそらく三年生の男子学生に、品定めされているところでした。

 それが終わると男子はそのまま帰らせられ、女子はそれぞれの部屋組ごとに割り当てられました。僕と先輩の方にも、女子学生二人が緊張した面持ちでやってきます。


 先輩は二人を部屋まで案内します。僕は訳もわからず、とぼとぼとその後ろをついて行きます。女子学生二人と同じ心境でした。何をするのだろうと。


 部屋に入ると先輩は、女子学生二人にそれぞれ別の、先輩と僕の、それぞれの部屋に入らせて、僕にこう言うのです。


「お前の部屋に入れた方、あいつ犯せ」


 なんてことを言うのだと、僕は反抗しました。しかしその反抗もあっけなく、上下関係をわからせてやれ、やらなければここで生活できないと思え、と脅されるのです。

 僕は女性との、そう言った経験もありませんでしたし、何より道徳的に、人間的に間違っていることを強要されて、頭が真っ白になりました。

 先輩はそのまま自分の部屋に入って行き、なんだかどたどたと物音が聞こえてきて、僕はさまざまな想像を頭にめぐらせました。


 そうこうしているうちに、僕の部屋に入った女子学生が、部屋から飛び出して玄関から外に走って行きました。逃げたのです。

 僕はまだ頭の整理がついておらず、しかしこのままでは僕が先輩に何をされるかわかったもんではありませんから、先輩の激しい息遣いと、女性の押し殺すような声を背に受けながら、とりあえず追いかけました。


 女性の足には簡単に追いつきました。とりあえず待ってくれと、話をさせてくれないかと引き止めました。

 ガッと腕を掴むと、彼女の顔には明らかな敵意が感じられて、初めてそういった感情を目の当たりにした僕は、怯んでしまいました。


 言い訳がましく僕は言います。


「君に何かするつもりはない。だがそうなると先輩たちは黙っちゃいない。申し訳ないが、話を合わせてくれないか」


 それから数分、その場で説得しました。当然のことですが、すぐには僕のことが信用できないみたいで、最後まで不安の色は消えませんでしたが、最終的に逃げ場はないと悟ったのか、大人しく従ってくれました。


 僕の部屋へ戻って、小さな声で話をしました。どこから来たのか、どんなスキルなのか、何が得意で、何が不得意なのか。互いに少しずつ理解を深めていって、頃合いを見て僕たちは先輩の部屋を尋ねました。


 乱れたベッドと女子学生の泣き腫らした目元から目を逸らしながら、先輩と話をし、二人を返しました。先輩から「どうやった?」と聞かれたので、「初めてでうまくできませんでした」と適当に返します。

 後から思えば、勘が鋭い先輩のことですから、嘘を見破られていたのだと思います。



 授業が始まってからも、たびたびそういった機会はありました。ローテーションで充てがわれた女子と交わっては、先輩たちの気に入った女子が固定されるまで続いたんだと思います。

 僕は一人目のその女子が気に入ったと言ったら、先輩は囲っとけと言って、その日から僕の担当はその女子になりました。


 B組寮の子で、名前を橋本琴海と言います。たぶん、他の女子よりも気が強かったのだと思います。B組では他の一年生をまとめる、リーダー的な存在で慕われていました。


 琴海とは何度も会ううちに、本当の恋人のようになりました。授業がない日はたいてい二人で、少し遠い街へ出かけました。

 上級生たちは練馬や池袋の方に行って遊んでいましたが、僕たちは彼らに会うのが嫌だったし、一年生は学校から出る手当も少なかったので、何もない住宅街を散歩する程度でした。


 何度か、ホテルの休憩で交わったこともありました。あれだけ周りが好き放題していたので、感覚が麻痺していたのかもしれませんが、好き同士で交われることが、二人とも嬉しかったのだと思います。


「私、本当は軍人になんてなりたくなかった。戦うのは怖いわ。でも、優人がいるなら大丈夫な気がする」


 似たもの同士というやつでしょうか。でも、僕の心のうちは彼女に告げませんでした。彼女は勝手に、僕へ期待していたからです。ここにも一枚、壁がありました。



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