アイアルショッピングカプリチオ

八日

第1話

 今日という日を迎えるのが、二週間前から憂鬱だった。何せ相手は歴戦の先輩方を困らせ、担当を変えて欲しいと泣き付かせた客である。自信過剰すぎる先輩が鼻をへし折られて帰ってきた時は胸が空いたけれど、会社から表彰されるくらいのエリート先輩が涙目で「担当を変えてくれなければ辞める」と全員の前で訴えた時はゾッとした。その後、その客の担当が自分になったと知らされた時はもっとゾッとした。

 もちろん抗議はした。先輩方が対応できなかった客を、新人の私が対応できるわけがないでしょうと入社してからこれまでの散々な成績を見せつけて抗議をした。悲しいかな私の成績はもうずっと低空飛行で、ただ愛想がそれなりに良かったのでなんとかやってこられたのだ。自分で言うのもどうかとは思うが、人好きのする人相をしている自負はあった。今回に関しては、成績の悪さも人相の良さも裏目に出たようで、「先方の希望を叶えられるのは、時間に余裕のあるお前だけだ」「この客を担当するのであれば後の成績は問わない」「とにかくいつも通りに愛想良くして太客を逃さないことだけに注力しろ」と関係各所の偉い方々に次々と申し付けられた。

 そして今日、問題の客である赫夜かぐや家への初訪問となった。

 最初の訪問だけは一緒に来てくれるはずだった先輩は、直前になって腹痛を訴えてトイレから出てこなかった。時間が迫っても先輩が出てこない、と上司に訴えると「先方には連絡しておくので一人で行け」と命じられた。上司はなぜか私に胃薬を握らせて「餞別だ」と笑えない顔をした。

 かくして私はひとり、どこまでも塀が続く屋敷の門前に立っている。

 門は純和風で、この先は名のある寺院でこの門は戦前に建ったと言われれば信じてしまいそうな門構えだ。二年前に成功したいわゆる成金の豪邸とは思えない。

「こういうのもビンテージ加工っていうのかな」思わず独り言を漏らすと、端の方にあるカメラと目があった。

 ところで、この門は開けて入ってもいいものなんだろうか。インターホンも見当たらない。

「どちら様でしょうか」

 思わず体が跳ねた。周囲を見渡しても人は見当たらない。きょろきょろとしていると「カメラから見ています。どちら様ですか」と丁寧に補足された。

「AIRの公竹きみたけでございます」

 どもってしまったし、相手はカメラの向こうなのに深すぎるお辞儀をしてしまった。自分が迎えいれる側だったら怪しすぎて追い返すところだが、声は「伺っております。どうぞ」と涼やかだった。

 屋敷の玄関にたどり着くと、背の高い使用人が澄ました顔をして迎えてくれた。カメラから声をかけてきた人であるようだ。

「担当の方というのは、このくらいの頻度で変わられるものなのですか?」

「いやあ、まあ、時と場合によりますかね」

「お嬢様の無茶振りが原因でしょうか」

「いえ、どちらかというとこれは弊社の問題でして。ご不便をおかけして申し訳ありません」

 イメージと違ってよく喋る使用人だった。上司から言い付けられた通りの返答をするが、まさか使用人から聞かれるとは思っていなかった。

「これで最後ですよね?」

「何がでしょうか」

「いえ、お嬢様がね、コロコロ担当が変わるのが気に食わないと。なので、もう変わりませんよね?」

 意味を取りかねて微笑んでも、使用人はにっこり笑顔で私の目を見つめ返すばかりだった。応接室まで案内してくれているはずだったのに、使用人は立ち塞がるようにして私の前に立っている。

「……お約束は、できかね」ます、と続けようとすると、彼はずいっと一歩前に詰めてきた。

「でないと今後の訪問をお断りすることになります」

「変わりません」

「なら良かったです」

 心臓の脈打つ音がやかましい。少し落ち着く時間が欲しかったが、使用人は応接室の扉を開いてしまった。こちらでお待ちくださいと言われ、対面までまだ時間があることに安堵した。

 社内でかぐや姫様と呼ばれている赫夜家当主の名前は、そのままずばり赫夜ヒメという。高校生のうちに家業を継ぎ、大学時代に起業をして、その会社を急成長させた成り上がりのお嬢様だ。弊社を利用できる地位まで一気に上り詰めた手腕は素晴らしいのだと思うけれど、とにかく要望に無茶が多い。それに口が悪くて、どうやら人の好き嫌いも激しいらしい。五番目に担当した朴訥な先輩は、ほかに顔がいい人はいないのかと訪問の度に聞かれ続けたという。

 応接室の扉が開いた。背筋を伸ばして立ち上がると、満を辞して現れたお嬢様は今時珍しい縦ロールをふわりとなびかせて、「ま、いいとしましょう」と小さな声で言った。

 簡単に挨拶を済ませるとお嬢様は早速本題に入った。

「前の担当の方に頼んでいたものは、手に入ったのかしら」

「こちらです」

 先輩から持たされたものは三点だ。書籍、男性用衣類、そしてエナジードリンク。エナジードリンクなんて弊社でなくてもご用意できるものをなぜ注文されたのか分からなかったが、先輩は「何も聞かなくていい、とりあえず渡せばわかる」とそれしか言わなかった。だからお嬢様に「これは何?」と尋ねられた時は、やはりこれが地雷だったのだと悟った。

「と、言いますと?」

「ただのエナジードリンクなんて頼むわけがないでしょう。わたしが注文したのは、そのエナジードリンクを飲む御門みかど様の写真です。それに洋服も、本当に御門様のクローゼットにあるものなんでしょうね」

 思わず考え込んでしまった。

 御門様とは誰なのか。

 写真とは何の話なのか。

 クローゼット? 御門様とやらの?

「あなたのお店は、無いものは無いのでしょう? だったら用意できますわよね?」

 確かに弊社のキャッチコピーは「無いものは無い」だ。あらゆるものをご用意しますという意味を込めて、当時インターネット上で流行った言い回しをもって設定された。正直、どうかと思うキャッチコピーではあったが、こういうことを言われるのでやはりどうかと思う。

「確かに弊社はあらゆるものをご用意していますが、犯罪じみたものはちょっと……」

「少なくとも前任の方はお任せくださいとおっしゃっていましたわ」

 トイレに籠城した先輩を殴りたくなった。

「犯罪にならないようにすれば良いのよ」

 やり方を考えるのはそちらの仕事でしょうと言い残し、お嬢様は席を立った。

「ちなみにですが、この注文が叶わなければ他社へ乗り換えると息巻いていらっしゃいました」

 帰り際に使用人が言わなくてもいいことを伝えてきた。どう返事をしたのかは覚えていない。


 帰社後、上司に報告をすると、犯罪にならないようにご要望に沿うようにと言い付けられた。やり方を考えるのは私だけの仕事のようだった。

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