第271話 ダンテの戦い

 本当にこれでよかったのか……。


 俺は走りながら考え続けた。


 レオの安全を第一に優先するなら、俺の下した決断は間違っている。

 だけど、レオの意思を尊重するならこれで正解。


 ジェロとアリアお嬢さまに渡してほしいとレオに託された物がある。

 それを確実に手渡す。

 

 レオ自身が身の安全よりも選んだこと——。

 ふたりになにを託し、なにを望んでいるのか俺にはわからない。

 だけど、レオは俺に頼んだ。

 これを持ってエトーレから逃げ、ふたりに渡してほしいと……。


 レオのことが心配だ。

 それでも俺は行く。

 たとえ身の危険があろうも。  

 俺はいつもレオに助けられてばかりだ。

 それなのに、なにひとつ恩返ししていない。


 いつかレオを助ける。

 

 ずっと思ってきた。

 だけど、なかなか実現できず……。

 でも、やっとめぐってきた。

 レオを助ける機会が——。


 俺は懐に触れた。

 レオに託された物がある。

 これを死守し、指示された通りに手渡す。

 いっぱい俺を助けてくれたレオ。

 今度は俺がレオを助けるんだ。


 走る速度を一段上げた。

 少しでも早く懐の物を届けたい。

 その一心で……。


 懸命に走っているさなか、前方に人影が見えた。

 姿形から警備兵でないと判断できる。

 ほっと胸を撫でおろした。

 その人物の横を張り抜けようとした瞬間——。


「あっ、アリアお嬢さま!」

 俺は慌てて足を止めた。

「えっ?」

 お嬢さまが声を発した。

 俺が急に立ち止まり、見知らぬ男に声をかけられて驚いたのだろう。

 お嬢さまは目を丸くしたあと、まじまじと俺を見つめた。


 どうしよう。

 いきなり預かった物を渡しても受け取ってもらえないだろう。

 どうすれば……そうだ、レオの名前を出せばいい。

 

「あの……」

 意を決し、お嬢さまを怖がらせないよう気遣いながら声を発した。

「あなた、たしかレオのお友達ですよね?」

 早口でお嬢さまが話しかけてきた。

「は、はい。そうです」

 俺は驚いた。

 まさか俺の顔を覚えているとは思わなかった。

「レオは、レオはどこにいるんですか?」

 切羽詰まったようにお嬢さまが聞いてくる。

「そ、それは……」

 俺は返答に困った。


 レオはエトーレに襲われている。

 そう答えるのは簡単。

 だけど、エトーレはパッツィ小領主さまの右腕だ。

 お嬢さまはそのパッツィさまの娘。

 正直に話していいものかどうか悩む。


「教えてください」

 お嬢さまが一歩近づき、俺の目をじっと見てくる。

 その視線から、レオを心から案じているのだと伝わってきた。

「レオがエトーレに襲われて……」

「なんですって⁉︎」

 お嬢さまは驚愕きょうがくの表情を浮かべた。

「それで……」

 続きを話そうとした矢先、お嬢さまが走りだそうと動きだす。

 俺は慌てて腕をつかんで止めた。

 お嬢さまが鋭い目で俺をにらんでくる。


「聞いてください」

 お嬢さまの腕をつかんだまま、俺はゆっくりと話した。

「急がないとレオが……」

「レオに頼まれたんです」

 言い聞かせるように少し強い口調で言った。

「……なにを?」

 お嬢さまが不審そうに聞いてくる。


 俺はお嬢さまから手を離し、懐に入れた。

 そこから預かった物を取りだしていく。

「これと……」

「! これって私がレオに託した物よ。どうしてあなたが……」

「おそらく、エトーレに襲われたから守るために俺に預けたんだと思います」

「……」

 お嬢さまはなにも言わず、うなだれている。


「それと、これをお嬢さまにって……」

 俺はネウマ譜を差しだした。

 それをお嬢さまがじっと見ている。

「これは……?」

 ゆっくりと手を伸ばしながらお嬢さまがつぶやいた。

「わかりません。ただ、お嬢さまに渡してほしいって言われて」

「そう、ですか」

 ネウマ譜を受け取り、すぐさま広げて内容を確認している。

 最初は首を傾げていたけど、次第に前のめりになっていく。

 最後には目を見開き、はっとしたように視線をさまよわせた。

 俺にはわからないなにかに気づいたようだ。


「……お願いがあります」

 押し殺したような声でお嬢さまが言った。

「はい、なんでしょうか?」

「これをジェロに渡してください」

 ネウマ譜以外の物を差しだした。

「承知しました。伝言はありますか?」

「好きなように使って構わない、と伝えてください」

「はい」

 俺は再びレオから預かった物を懐にしまった。


「アリアお嬢さま。一緒に避難場所に行きましょう」

 いまにも立ち去りそうなお嬢さまに俺は声をかけた。

 レオだったら、きっとそうするだろうと思ったから。

「避難場所?」

「はい。おそらく、そこにレオとジェロも来ると思います」

「……」

 お嬢さまがじっとネウマ譜を見つめている。

 これからどうするべきか考えているようだ。

 俺は決断を待った。


「私は行くところがあります。あなたは避難場所へ行ってジェロに渡してください」

 決意を固めたような強い目をしてお嬢さまが告げた。

「おひとりでは危険です。一緒に行きましょう」

「ご厚意に感謝します。ですが、行くところ……行かなければならないところがあります」

「ですが……」

「必ずジェロに届けてください、お願いします」

 お嬢さまは深々と頭を上げた。

 それから顔をもとの位置に戻し、すぐさま駆けだした。

「お嬢さま!」

 呼び止めたけど、お嬢さまは止まらない。

 どこかに向かっていく。

 いまなら追いかけて止められる。

 だけど、お嬢さまはそれを望んでいない。


 懐にある物をジェロに届ける——。

 

 それがレオの願いでもあり、お嬢さまの望みだ。

 

 行こう。

 

 俺は決意を固め、走りだした。

 ここから緊急避難場所まではまだ遠い。

 しっかりと気を引きしめていこう。


 薄闇のなか走り続ける。

 次の瞬間、目の前に何者かが躍りでてきた。

 行手を阻むようにして俺の前に仁王立ちしている。


 誰だ?

 

 目を凝らした。

 黒っぽい衣装を身につけ、上半身をゆらゆらと揺らしている。

 ときおり風に乗って血の匂いがした。


「……渡せ!」

 ドスの効いた声を発しながら俺に近づいてくる。

 

 この声は……。

 エトーレ!


 背中がぞくっとした。


 エトーレがここにいるということは、レオは……。

 無事に逃げたのか?

 それとも……。


「渡すんだ!」

 エトーレが俺の腕をものすごい力でつかんだ。

 逃げようとしても逃れられない。

「離せ!」

 どうにかして逃げようとつかまれた腕を動かす。

 だけど、びくともしない。


 逃げないと。

 預かった物を守らないと。


 焦る。

 だけど、エトーレの手から逃れられない。

 そのなか、ふと気づいた。

 エトーレが頭部から血を流していることに……。


 頭に深傷ふかでを負っている。

 

 活路が見えた!

 

 俺はつかまれていない方の腕を動かした。

 チャンスは一度きり。

 狙いを定めて一発で……。


 そこだ!


 俺は深傷を負っている部分を見定め、そこを一撃した。

 これでダメなら打つ手なし。

 あとは運次第。

 

 心のなかで成功するよう祈っているさなか——。

 俺の腕をつかむエトーレの手が緩んだ。

 その直後、エトーレの上半身が大きく揺れた。

 そのまま後ろに倒れていく。


 いまだ!


 俺は一気に駆けだした。

 エトーレが起きあがるまでに少しでも遠くへ行く。

 ある程度距離を取れば、俺の足なら逃げ切れる。


 急ごう。


 ジェロに届けるんだ。

 レオとアリアお嬢さまの願いを叶えるために……。

 

 俺は必死に走った。

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