第270話 絶対に見捨てない

 奇跡は二度も起こらない——。

 

 物語の鉄則だ。

 そう、一度だけ起きるから奇跡。

 二度起きるのは奇跡じゃない、必然——。

 なるべくして起きること。

 だったら僕が願うのは奇跡じゃない、それは……。


 エトーレの手から短剣が落ちていく。

 その数秒後にエトーレの上半身が大きく揺れ、そのまま地面に倒れた。

 僕の視界からエトーレが消え、その代わりにヴィヴィが登場した。

 手には血のついた大きな石を持っている。


 ヴィヴィ!


 そう、奇跡じゃない。

 僕が願ったのは友達の助けだ。


「レ、レオ。だ、大丈夫……じゃないよね」

 震えながらヴィヴィが声をかけてきた。

 手にある石を投げ捨て、僕に向かってくる。

「ダンテと一緒にレオを探してたんだよ。そうしたら……」

 ヴィヴィは僕を助け起こしながら、視線だけをエトーレに向けた。

『危険だから、逃げて』

 目で訴えた。

「レオを置いて行けないよ。一緒に……」

 話しているさなか、地面に転がっていたエトーレが動いた。

 ヴィヴィがびくりと体を震わせる。


「うっ……」

 うなり声を発しながらエトーレが起きあがっていく。

『逃げて!』

「逃げないよ。もう二度とレオを見捨てたりしない」

 強い視線で訴えてもヴィヴィは応じない。

『秘密小屋に行って!』

「行くならレオも一緒に……」

 ヴィヴィが話している途中でエトーレが完全に立ちあがった。

 頭部から血を流しながら、ゆらりゆらりと歩いてくる。

 短剣を手にして……。


『早く!』

「いやだ!」

『ヴィヴィだけでも……』

「いやだ、いやだ、いやだ!」

 言い合っているあいだにもエトーレがやってくる。

 上半身を揺らし、目に怒りを宿らせて……。


『ヴィヴィ!』

「絶対に見捨てないんだから!」

 ヴィヴィは叫んだ。

 それとほぼ同時にエトーレが短剣を振りあげた。

 

 殺される!


 そう思った瞬間——。

 ヴィヴィが僕に抱きついた。

 全身で僕を短剣から守るようにして……。


 ヴィヴィ!


 動けない僕はエトーレの攻撃を止められない。

 ヴィヴィを跳ねのけることすら……。


 悔しさのあまり唇を噛み、ありったけの力でエトーレをにらんだ。

 

「……」

 エトーレの手が止まった。

 振りあげた短剣をそのままに視線を別の方向へ向けている。

「……ちっ」

 舌打ちをし、エトーレは短剣を鞘に収めて走りだした。

 向かっている方角からして目的はすぐに判明。

 ダンテを追っている。

 僕たちを殺すより、アリアから預かった物を奪取するのを優先したようだ。


 助かった。


 僕は抱きついているヴィヴィの背中を軽く叩いた。

 ヴィヴィは僕から離れ、辺りを見渡している。

 危機を脱したことを知るや、ほっとした表情を浮かべた。


『どうして逃げなかったんだよ。僕をかばう暇があったら逃げて……』

 視線で怒りを伝えている途中でヴィヴィがそれを遮った。

「これで十年前の罪が少しは消えたかな?」

 寂しげな表情をしてヴィヴィがつぶやいた。

『十年前?』

「うん。あたし、覆面男がレオの首を絞めているのを隠れて見ていたよね」

『うん』

「そのせいでレオは声を失った。あのとき、見て見ぬふりをしなかったら……」

『ヴィヴィのせいじゃないよ』

「ううん、あたしはレオを見殺しにしたんだよ」

 涙を浮かべながらヴィヴィが必死に訴えてくる。


 違う。

 ヴィヴィは僕を見捨てたりしていない。

  

 見て見ぬふり?


 たしかにそうかもしれない。

 だけど、十年前は僕もヴィヴィも子供だった。

 力のない子供が大人に刃向かえるはずがない。


 隠れていて正解だった。

 ヴィヴィは正しい判断をしたんだ。

 見知らぬ僕を命をかけて助けようとしていたら、きっとふたりとも……。


 そう、だから僕はヴィヴィに対して少しも怒ったり恨んだりしていない。

 逆に感謝している。

 教会で再会して以降、よくしてもらった。

 パンをくれる支援者であり、初めてできた友達でもある。

 僕に対して罪悪感があったからという理由だったからかもしれない。

 だけど、本当に感謝している。


『ありがとう』

 僕は全身の痛みに耐え、手振りと共に視線に感謝の気持ちを伝えた。

「えっ?」

 ヴィヴィが目を丸くしている。

『さっきもそうだけど、いつも僕を助けてくれてありがとう』

「感謝するのはあたしのほうだよ。助かってくれてありがとう」

 ヴィヴィは言い終えるのと同時に僕に抱きついた。

 全身を通じて感謝の思いが伝わってくる。


 もう僕に対する罪悪感はないよね?

 そんなもの、最初から抱く必要はなかったのに。

 だけど、ヴィヴィは十年ものあいだ苦しんできた。

 きっと解放されたよね?

 これからは晴々とした気持ちで生きてけるよね?


 さまざまな思いが浮かんでは消えていく。

 目に映る景色も素通りするように脳裏に留まらない。

 浮かんでは消え、浮かんでは消えて……。

 意識が徐々に……。


「レオ、治療してもらいに行こう」

 言うが早いか、ヴィヴィは僕を背負った。


 治療している暇はない。

 僕にはやり残したことがある。


 アリアから託された物はダンテに預けたから一安心。

 でも、ジェロを見つけられなかった。

 だけど、きっと大丈夫。

 なんとかなる……。

 一番の気掛かりは廃教会の場所を記した暗号ネウマ譜だ。

 無事にダンテからアリアの手に渡ったとしても、解読できるかは不透明。

 おまけに、廃教会の場所が伝わったとしても僕の意図を察してもらえるかはわからない。


 廃教会で再会する——。


 十年前、アリアとジャンニがした約束。

 それをなんとしても果たしたい。

 

『ヴィヴィ』

 僕は背負われた状態のままなんとか顎を動かし、合図を送るようにヴィヴィの肩に押し当てた。

 すると、異変を察したヴィヴィが首だけを動かして僕を見た。

「どうしたの?」

『治療はしなくていい』

 視線で必死に訴える。

「……治療、しない? どうして?」

 ヴィヴィが動揺している。

『行きたいところがあるんだ』

「行きたい場所? 医者のところじゃなくて?」

 ヴィヴィの言葉に僕はまばたきをし、肯定の意思を送った。

「! 治療しないと、このままじゃ……」

『いいんだ』

 ゆっくりとまばたきをし、懇願するような目でヴィヴィを見つめた。

「……わかった。だけど、そこへ行ったあと、治療するって約束して」

 ヴィヴィが涙声で言った。


 約束——。


 ヴィヴィと約束したい。

 だけど、守れるかどうか……。


 僕はただじっとヴィヴィを見つめた。


「……どこ? レオの行きたい場所って?」

 僕の答えを待たずしてヴィヴィが聞いてきた。

『この道をまっすぐ』

「わかった。分かれ道になったら顎で行く方向を教えて」

 ヴィヴィはゆっくりと歩きだした。

 

 ヴィヴィ、ありがとう。

 出会ったときからお世話になりっぱなしだ。

 そして、いまも……。


 僕に衝撃を与えまいと、ヴィヴィは気遣ってあまり揺らさないようにしてくれている。 

 なのに、僕はヴィヴィに恩をひとつも返せていない。

 返したいけど、その機会はきっと……。


 分かれ道に差しかかり、僕は行く方角を顎で伝えた。
 その意図を察し、ヴィヴィが方向を変えて進んでいく。


 廃教会まではまだ距離がある。

 それまでに僕の体はもつだろうか?

 正直、わからない。

 だけど、最善を尽くす。

 それがジャンニの体を借りた僕にできる恩返しだから。


 体が鉛のように重い。

 意識が時折ふっと飛ぶ。

 視界がぼやけてくる。


 そのときが近い。


 僕は直感した。

 だけど、あきらめたくない。

 最後までがんばるんだ。


 残る力の全てを意識に集中させた。

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