第269話 叶えたい約束

 エトーレが足を振りおろした次の瞬間——。

 

 僕の視界に奇妙な光景が飛びこんできた。

 足を振りおろそうとしていたエトーレがぶっ飛んだ。

 そのまま地面を派手に転がる。


 なにが起きたの?


 状況を確認しようと思った。

 だけど、体が動かない。

 仕方なくエトーレを観察した。

 相当衝撃を受けたらしく、まだ寝転がっている。

 

 なにかがぶつかったのか?

 

 頭を整理しようとした矢先、背後から上半身が持ちあげられた。

 とても強い力で僕を起こしてくれている。


 誰?


「レオ!」

 正体を確認するより先に聞き覚えるのある声がした。

「大丈夫か?」

 声がする方向に痛みに耐えながらゆっくりと首を動かした。

 

 ダンテ。


 僕は心のなかで名前を呼んだ。

 それと同時に涙が浮かんでくる。


「レオ、すぐに治療……」

『ダンテ、聞いて』

 僕は視線でダンテに訴えた。

「どうした?」

 ダンテがいまにも泣きだしそうな声で聞いてくる。

 それに答えず、僕は必死に視線で訴えた。


『懐の物を持って逃げて』

 僕は必死に眼球を動かした。

 何度も懐を差すように視線を送る。

「懐? そこになにかあるのか?」

 ダンテが意図を察してくれたようだ。

 僕はうなずく代わりに何度もまばたきをした。

「わかった……これだな」

 ダンテが僕の懐からアリアから預かった物を取りだした。

「これをどうすればいいんだ?」

 僕に問いかけながら、ダンテがちらちらと視線を動かしている。

 エトーレの様子をうかがっているようだ。


 ジェロに渡してほしい——。

 

 そうダンテに伝えたい。

 僕はありったけの力を腕に集め、首元に持っていった。

 そこから一枚の木札——ジェロの名前が刻まれた物をダンテに示す。


「ジェロ? これをジェロに渡せばいいんだな?」

 ダンテが問いかけてくる。

『うん』

 僕は視線で訴えたあと、まばたきをした。

 そのあと、すぐさま別のふたつの木札を示す。


 アリア——。

 ネウマ譜——。


 それを見たダンテは、預かった物のなかから僕が書いたネウマ譜を指した。

「これをアリアお嬢さまに渡すのか?」

『うん』

 僕はまばたきをしながら思った。

 

 僕の計画は失敗。

 当初の予定では、暗号ネウマ譜を解読してもらって木札に廃教会と記してもらうはずだった。 

 だけど、そうしたところで木札をアリアに届けるだけの力がもう残っていない。

 それならば、奇跡を信じて暗号ネウマ譜そのものをアリアに届けてもらう。


 アリアがなにもかも知っているなら、廃教会というメッセージが伝わる。

 伝わってほしい。

 その反面、伝わらないでほしいと願う。

 

 アリアに暗号の内容が伝わる。

 それは同時に僕の正体に気づいているということだ。

 アリアが嫌っているサングエ・ディ・ファビオの一員であると……。


 伝わってほしくない。

 これが僕の偽らざる本音。

 だけど、ジャンニのことを考えると逆の感情を抱く。

 伝わってほしい。

 ジャンニとの約束を果たすために……。


「わかった。必ずジェロとアリアお嬢さまに渡すよ」

 ダンテが力強く言った。

『逃げて』

 僕は目で訴えた。

 それはすぐにダンテに伝わったようで、明らかに動揺を見せた。

「一緒に逃げよう」

『それを持って逃げて』

 僕は必死に目で訴え続ける。

「だけど……」

 逃げようとしないダンテに対し、僕は視線を動かした。

 ダンテを見て、それからエトーレに視線を移す。

『エトーレが来る前に行くんだ』

「でも……」

『時間がない。預かった物を守って』

 ヴィヴィのように素早く、正確に伝わらないのがもどかしい。

 それでも強い思いを乗せてダンテに視線で伝える。


「……わかった」

 唇を噛み、悔しそうな表情でダンテが僕を見た。

 それから僕を地面に優しく寝かせ、立ちあがる。

『ありがとう、ダンテ』

 僕は微笑んだ。

 ダンテも微笑み返した。

「じゃあ、行くよ」

 ダンテは申し訳なさそうな表情で走っていった。

 

 ダンテがアリアから預かった物を守ってくれる。

 とはいえ、僕の役目はまだ終わっていない。

 やれることをやる。

 ……最後に。


 僕は両腕に力を入れ、地面を張っていく。

 少しでも力になりたい。

 腕の力だけで地面を進み、エトーレに近づいていく。

 エトーレは衝撃から立ち直りつつある。

 その証拠に上半身を起こし、ある一点を見つめていた。


 ダンテ!


 エトーレは見ていた。

 アリアから託された物を僕がダンテに渡したことを……。


 急ぐんだ。


 地面を這い進み、立ちあがろうとするエトーレの足をつかんだ。


 時間を稼ぐ。

 少しでいい。

 ほんのちょっとでもいいから時間を……。


「離せ!」

 エトーレが必死に足を動かし、僕から逃れようとしている。

『離すものか』

 僕も必死に抵抗する。

「ちっ!」

 舌打ちすると同時にエトーレが腰に下げた短剣を抜いた。

 きらりと光る剣先を目にした瞬間——。


 あぁ、僕はここで死ぬ。


 そう思った。

 エトーレが短剣を高々と振りあげたのと同時に脳裏に浮かぶ。


 また約束を果たせなかった。

 せめてジャンニがした約束だけでも……。

 守りたかった。

 だけど……。

 

 エトーレが短剣を振りおろす。

 それを目にして覚悟した。 


 無理かもしれない。

 僕はここで死ぬから……。

 でも、もし最後にもう一度だけ奇跡が起きたなら……。

 アリアとジャンニの約束を……。


 僕は来るべきときを無抵抗のまま待った。

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