第268話 奇跡を祈る

 急いでジェロを探さないと。


 僕は焦る気持ちを抑えながら、ルッフォ邸宅に向かった。

 走りながら、これからやるべきことを思い浮かべていく。


 ジェロを探して計画を阻止し、一緒に秘密小屋に向かう。

 それからアリアに託された物とパッツィの糾弾きゅうだんをジェロに頼む。

 次に誰かに僕が書いた暗号——廃教会の文字を木札に刻んでもらう。

 それを持って僕はアリアを探す。

 ここで待っているというメッセージを伝えるために……。 


 計画を再確認したのと同時に刺すような視線を背中に感じた。

 突き刺すような鋭い視線。

 それを受けて背中に冷や汗が流れる。


 この感じは……。

 前にも味わったことがある。

 どこだったかと考えずとも答えが頭に思い浮かぶ。


 あのときだ。

 僕が異世界に転生してきたとき……。

 

 当時はなにもわからなかった。

 だけど、いまは視線の正体も目的も知っている。

 あのときと同じ視線。

 それをいま背に受けている。


 きっとあいつだ。


 僕は走りながら振り向いた。

 予想通りの顔が遠くに見える。


 エトーレ!


 あれから十年の時が流れた。

 エトーレの姿はほとんど変わっていない。

 だけど、僕は成長した。

 とはいえ、エトーレに追われて逃げ切れる自信はない。 

 いずれ捕まる。


 どうしよう。

 このままではアリアから預かった物を奪われてしまう。

 守ると約束したのに……。


 約束——。


 あのときも今回も守れないのか?

 アリアとの約束を……。


 いや、今度こそ守ってみせる。

 せめてさっき交わした約束だけは……。


 僕は必死に走った。

 それでもエトーレの足音と気配は確実に近づいてくる。

 あのときは託させれた解読布を土に埋め、エトーレの魔の手から守った。

 だけど、今回は無理だ。

 埋める時間などない。

 ただ、奇跡を祈りながら逃げるだけ。


 どうか、神さま。

 僕の願いを……。


 祈っているさなか、後ろから肩をつかまれた。

 逃れる間もなく、ぐいっと後方へと引っ張られる。

 その強い力に僕の体は耐えきれなかった。

 吹っ飛ばされるようにして地面に転がる。


「お嬢さまから預かった物を出せ!」

 エトーレが僕の肩をつかみ、怒鳴った。

 つかまれた肩が激しく痛む。

 それを我慢し、僕はエトーレをにらみながら首を横に振った。

 

 大人しく渡すつもりはない。

 隙あらば逃げる。

 そう心に決め、エトーレの動きを注視した。


「出せ!」

 エトーレが再度、怒鳴った。

 怒りと同じくらい焦りを感じる。

 どんなに怒鳴られようが絶対に渡さない。

 僕はエトーレをにらみ続ける。

「出すんだ!」

 叫ぶと同時にエトーレが僕の頬を打った。

 想像以上の強い力で口のなかが血の味で溢れる。

 

 絶対に屈しない。


 心を強く持とうと自分に言い聞かせる。

 だけど、強い気持ちでいられたのは最初だけだった。

 エトーレは僕の顔に続いて体に暴行を加えていく。

 あまりの痛みに心が折れそうになる


 守るんだ。

 今度こそ……。 


 折れそうになる心をどうにか奮い立たせる。

 でも、体は限界に近づいていた。

 決意は固い。

 ところが、肉体は悲鳴をあげている。

 

 もう限界だ。

 体が動かない。

 

 地面に横たわったまま、体が動かない。

 かろうじて腕が少し持ちあがるくらいだ。

 そんな僕の様子を見ているエトーレ。

 勝ち誇ったように笑い、僕の懐に手を突っこんだ。


 だめだ。

 絶対に奪わせない。


 気持ちに反応し、腕が上がる。

 懐から預かった物を持ち去ろうとするエトーレの腕をつかむ。

「離せ!」

 怒鳴るやいなや、僕の手を振り払った。

 続けざまに僕の腹を殴る。

 声にならない悲鳴を発し、僕はエトーレをにらんだ。

「この死に損ないが!」

 エトーレは足を上げた。

 危険だと察したものの、僕にはどうすることもできない。

 エトーレに蹴られるか、踏まれるかの二択。

 どちらにせよ、僕は……。


 死ぬ、のか?


 脳裏に最悪の事態が浮かんだ。

 いやだと抵抗したくてもできない。

 もう自力では……。

 できることはただひとつ。


 奇跡を祈る——。


 僕は視線に怒りと恨みを乗せてエトーレをにらんだ。

 エトーレに僕の思いが伝わるかどうかなんて関係ない。

 最後まで必死に抵抗したと僕自身が納得できたらいいだけ。


 エトーレの足が振りおろされる。

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