第267話 密書のありか

 私が密書を奪った——。


 エトーレが自らの失態を告白する前に私は先手を打った。


「‼︎」

 お父さまが目を見開き、私を見ている。

「外敵へ密書を送らせないために奪ったの」

「申し訳ありません」

 私の言葉に重なるようにしてエトーレが謝罪した。


「そうか……」

 落胆したようにお父さまは肩を落とした。

「もう否定できないですよね、お父さま」

「……そうだな」

 肩を落としたまま、お父さまが観念したように答えた。

「どうして外敵のスパイになったの?」

 一番気になっていることを問いかけた。

 素直に答えてくれるとは思わない。

 だけど、聞かずにはいられなかった。


「おまえは私が金や権力のためにスパイになったと思っているのか?」

 お父さまは顔を上げ、私をじっと見つめた。

 とても悲しげな目をしている。

「……いいえ、思わないわ。小領主になる前の優しいお父さまを知っているから」

 私は本音で答えた。

「そうか……」

「だから、知りたいの。どうしてスパイになったのかって」

「きっかけはおまえの母——ダニエラの死だ」

 声を絞りだすようにしてお父さまが答えた。


「お母さま?」

 私は首を傾げた。

「そうだ。おまえを産んでしばらくしたあと、処刑された」

 お父さまの言葉に私は耳を疑った。


 病死や不慮の死ではなく、処刑された?

 なぜ?


 疑問を抱いた私に対し、お父さまは事情を語ってくれた。

 いまにも泣きだしそうな表情を浮かべながら……。

 初めて聞く母——ダニエラの死についての悲しい話。

 私はそれを唇を噛みながら聞いた。


「事情はわかったわ。だけど、スパイになって荘園を隣国に併合するのは反対よ」

 私は率直に意見を述べた。

 それを聞き、お父さまが意外そうな顔をした。

「ダニエラ……おまえの母はこの荘園の犠牲者だ。そのかたきをとるには……」

「気持ちは理解できます。でも、そのために庶民たちを苦しめるのは間違っているわ」

 私は声を荒らげた。


 母の死はとても悲しい。

 腐った荘園の主従関係の被害者だ。

 だから、荘園を改革したいという気持ちを抱いた。

 ここまでは理解できる。

 でも、方法が間違っていると思う。


「戦いで荘園そのものを変えることはできるかもしれない」

 私は話しながら廃教会を脳裏に浮かべた。

 建物を破壊し、そこから新たな街づくりをする。

 でも……。


「だけど、荘園で暮らす庶民たちは変えられない」

 戦いで奪われた命。

 壊された建物と生活。

 それらは新たな街づくりでは再生できない。

 それどころか、失った恨みを新たな国に向けるだけ。


「荘園を改革するには、平和的な手段で庶民たちを巻きこんで行うべきだわ」

 荘園は権力者たちのものじゃい。

 庶民たちのものだ。

 

「おまえの考えは間違っていない。だけど。それは理想論だ」

「ええ、認めます。現実的じゃないということは」

「だったら……」

「でも、そこであきらめたら庶民たちが犠牲になります」

「犠牲のない改革などありえない」

「やってみる前からあきらめ……」

 お父さまと言い合っているさなか、私は後ろから両手を押さえられた。

 

「申し訳ありません、アリアお嬢さま」

 耳元でエトーレの声が聞こえた。

 急いで私はエトーレの手から逃れようとしたけど、びくともしない。

「エトーレ、密書を奪って予定通り届けるんだ」

 お父さまが慌てた口調で指示した。

「承知しました。お嬢さま、失礼します」

 エトーレは謝罪しながら、私の懐を探った。


「!」

 エトーレは私の手を解放した。

「どうした、エトーレ?」

「あ、ありません」

 エトーレが珍しく感情をあらわにした。

 激しく動揺している。

「アリア!」

 お父さまが私を叱るように呼んだ。

 私はにっこりと微笑み、お父さまを見つめた。


「お嬢さま、密書はどこに? まさか、燃やしたのですか?」

 エトーレの焦りが声を通じて伝わってくる。

 私はなにも答えず、ただ微笑み続けた。

「いや、燃やさない。私を糾弾きゅうだんするためにな」

 お父さまが怒りを抑えるように唇を噛んでいる。

「では、どこかに隠して……あっ!」

 エトーレが叫んだ。

「隠し場所がわかったのか?」

 お父さまが身を乗りだした。


 私は内心、穏やかでいられなかった。

 密書は燃やしたと思ってほしかったけど……。

 それは失敗。

 せめて、どこかに隠したと考えてほしい。

 

「誰かに預けた可能性が高いと思います」

 エトーレの言葉に私の心臓が激しく動いた。


 隠したのではなく、預けた。

 バレてしまった以上、どうしようもない。

 あとは誰に預けたのか気づかなければ……。

 表情に出さないよう気をつけながら、エトーレを凝視ぎょうしした。 

 

「誰に?」

 お父さまがエトーレを追求した。

「見知らぬ人物には渡さないでしょうから……あいつだ」

 エトーレが悔しそうな表情を浮かべた。

「あいつとは?」

「十年前と同じあいつです」

 お父さまに告げるやいなや、エトーレは書斎から駆けだした。


 十年前と同じあいつ——。

 それはレオ。


 見抜かれた。

 レオが危険だわ。


 私は急いで書斎を出た。

 廊下を走り、邸宅の門に向かっていく。

 だけどエトーレの足は早く、すでに姿が見えない。


 門を出て左右に視線を走らせた。

 エトーレがいない。

 どちらに向かったのかさえわからない。


 レオ、どうか無事でいて。


 私は心の底から祈った。

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