第266話 父の罪の糾弾

 小領主の令嬢が庶民の娘のように走るものじゃない。

 そんなことはわかっている。

 だけど、いまは体面を構っている暇はない。


 とにかく逃げよう。

 できるだけ遠くに……。


 お父さまが外敵のスパイである証拠はレオに託した。

 もう私の手にはない。

 それを知らないエトーレは私を追ってくる。

 発見されたら最後、捕まってしまう。

 でも、少しでもそうなるのを遅らせたい。

 そのあいだにレオが証拠の品を持って逃げられるから。


 走っているさなか、レオに問われたことが思い浮かんだ。


 ——アリアはいまからどうするの?


 エトーレに見つからないよう逃げながら邸宅に戻る。

 レオに問われる前から決めていた。

 だけど、私は口をつぐんだ。

 正直に話したら、レオはきっと心配すると思う。

 だから伝えなかった。

 私と一緒にいては証拠の品を守れない。

 それに……。


 お父さまが犯した罪を娘である私が少しでもつぐないたい。

 心の底から強く思う。

 

 スパイである事実は変わらない。

 犯した罪をなかったことにはできない。

 でも、これ以上罪を重ねないよう説得する。

 これが私が……私にしかできないことだと思う。

 

 邸宅の門をくぐり、急いで書斎に向かった。

 徐々に歩く速度を抑え、息を整えていく。

 怒りや悲しみといった感情が心のなかにある。

 それを無理やり消せない。

 だけど、せめて表面的には隠す必要がある。

 唇の両端に力を入れ、ゆっくりと上げていく。

 

 書斎のドアの前に立ち、ノックをした。

 室内からお父さまの声が聞こえてくる。

 私は大きく息を吸い、ゆっくりと吐きだしていく。

 

 落ち着いて。

 冷静に。

 感情的になってはいけない。


 呪文のように心のなかで唱えたあと、ドアを開けた。

 いつものようにゆったりとした足取りで室内に入ってく。

 お父さまがいる場所の前まで来たところで足を止め、挨拶をした。


「どうしたんだ、アリア」

 お父さまの表情に少し動揺が浮かんでいる。

 私が小領主の娘になってから、お父さまとは距離をとってきた。

 食事時などは一緒に過ごすけど、それ以外は自室にいることが多い。

 だから、私が書斎に訪ねてきたことに驚いているようだ。


「お父さま、お話があります」

「……もう日が暮れた。明日にしないか?」

 お父さまの眉がかすかに動いた。

「お聞きしたいことがあるのです」

「明日ではだめなのか?」

「はい。いまじゃないと永遠に聞けない気がして」

 私はまっすぐにお父さまの目を見つめた。

 お父さまの瞳が揺れている。


「……なんだ?」

 少し息を吐き、お父さまが了承した。

「お父さまの犯した罪についてです」

 長年、私の心のなかにあった思い。

 それがとうとう口から出た。

「罪? 一体、なんの話だ?」

 お父さまは一瞬の間もおかずに答えた。

「デルカ伯父さまの毒殺を指示した罪です」

 私もまた間髪容れずに言った。

「なにをバカなことを……」

「お父さまが毒殺を指示する暗号文書を書いたのを知っています」

「いい加減にしな……」

「それを解読するためのもの……解読布を盗みました」

 私は言いながらお父さまの反応をうかがった。

 はっきりとした動揺はみせない。

 だけど、手先がかすかに震えている。


「暗号文書をデルカ伯父さまから預かり、それを解読布を使って解読したんです」

 私はお父さまを睨みつけた。

 お父さまは黙ったまま動かない。

 しらを切ろうと言い訳を考えているのだろう。

「……そうか。おまえが布を盗んだのか」

 お父さまがいつも通りの口調で言った。


 み、認めた?


 意外だった。

 自らの罪を認めてほしいと思っていた。

 だけど、現実的にそれは難しい。

 そう考えていたのに、こうもあっさりと認めるとは……。

 

「おまえが知らないデルカとの確執があったんだよ」

 お父さまは観念したような表情を浮かべた。

「だからって毒殺を指示するなんて……」

「デルカはおまえが思っているような善人じゃない」

「そうだとしても……それに、外敵のスパイをやっているのも許せないわ」

 私はお父さまの手をつかんだ。

 すると、お父さまは慌てて私の手を払った。

「……知らん。おまえはなにを言っているんだ?」

 お父さまはいつもと違う目と口調になった。

 軽く首を横に振り、少しずつ私から遠ざかっていく。


 お父さま?


 いつもと様子が違うお父さまに違和感を覚えた。

 毒殺を指示したことを指摘したときは、比較的冷静だった。

 それなのに……。

 スパイを否定するのと同時に態度を豹変ひょうへんさせた。

 

 なにかある。


 ふと思った。


「お父さま……」

 私が声をかけるのと同時に書斎のドアが物凄い勢いで開いた。

「パッツィさま!」

 叫び声と共にエトーレが飛んできた。

「エトーレ⁉︎」

 私は驚きの声を発した。

「ア、アリアお嬢さま」

 エトーレもまた驚いている。

「どうしたんだ、エトーレ」

 お父さまが早口で問いかけた。

「密書なのですが……」

 エトーレは話しながらちらりと私のほうを向いた。

「それがどうしたんだ?」

「そ、それが……」

 私に視線を残したまま、エトーレがつぶやく。

「私が奪ったわ」

 一歩後退しながら私は言い放った。

 

 さぁ、お父さま。どうしますか?


 私はお父さまの反応を見守った。

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