第265話 約束を実現させるために

 ジェロと荘園が危険だ。

 僕は手にした文書——密書と解読布を見つめた。


 これを持って安全な場所に移動し、騒動がおさまったらパッツィを告発してほしい。


 この決断にいたるまで、アリアは相当悩んだと思う。

 荘園と庶民たちを守りたい。

 そうするためには、父親であるパッツィを裏切る必要がある。

 

 庶民たち。

 父親。


 このふたつを天秤に乗せ、アリアは苦悩しただろう。

 その結果、パッツィの罪を暴く証拠を僕に託した。

 

 荘園と庶民たちを守る——。


 アリアが苦渋の選択をした。

 それを僕は支持する。

 だから、たとえ危険でもパッツィが外敵のスパイである証拠を守ってみせる。


「間違いなく危険な目に遭います」

『エトーレが追ってくる?』

「ええ。だから、断っても恨みません。本来、私がすべきことですから」

 まっすぐにアリアが僕を見つめている。

『やるよ。約束する、必ずこれを守ってみせる』

 僕もアリアを見返した。


 約束——。


 今度こそ守ってみせる。

 昔、ジャンニがした約束——解読布を守って安全な場所で再会することは果たせなかった。

 だから、せめて今回は……。


 アリアはあの時した約束を覚えているだろうか?


 ふと思った。

 当時、アリアは解読布を邸宅外に出そうと必死だったはず。

 だから、忘れてしまったとしても不思議じゃない。


 ふっと息を吐き、僕は託されたものを懐にしまった。

 

『アリアはいまからどうするの?』

「私は……それより、急いで安全な場所に避難して」

 アリアは必死な目をし、僕の手をぎゅっと握った。

 手を通じて焦りが伝わってくる。

『わかったよ』

 僕はうなずき、どこへ避難すべきか考えた。


 一番安全なのは、おそらくヴィヴィたちが待つ秘密の小屋だ。

 ジェロを探しだし、一緒にそこへ向かうのが理想。

 だけど、僕の私的感情が別の場所を指す。


 ジャンニとアリアが約束した場所——廃教会。

 そこでアリアと再会を果たしたい。

 でも、アリアに託された物がある。

 それを放棄して約束を果たそうとするのはあまりに無責任。


 だったら、まずはジェロを探す。

 そのあと一緒に秘密小屋に避難し、アリアから預かった物を預ける。

 それから、僕ひとりで廃教会へ向かおう。

 

『アリア。僕、約束の場所で待って……』

 手で僕の意思を伝えているさなか、アリアが立ちあがった。

「守って、お願い」

『待って……』

 僕の制止を振り切り、アリアは走り去ってしまった。


 約束の場所で待つ——。


 伝えているさなか、アリアが行ってしまった。

 ちゃんと届いただろうか?

 それとも……。


 ダメだ。

 ちゃんと伝えないとアリアは来ない。

 そんな気がする。

 いまのアリアは僕との約束どころじゃない。

 父であるパッツィを止めようと奔走ほんそうしている。


 どうにかして、廃教会で再会したい。

 ジャンニと交わした約束を実現させたい。


 叶えたいと強く思う。

 どうしても……。


 だったら、ちゃんとアリアに伝えよう。

 ダメでもともと。

 やれることはすべてやる。


 僕は決意を固め、小屋に戻った。

 採譜台にある紙に暗号ネウマ譜を記していく。

 日時は入れない。

 場所だけを記す。


 廃教会——。


 完成した暗号ネウマ譜を懐に入れた。

 それから、今後の計画を練っていく。


 まず、これを持ってジェロを探しだして秘密小屋に行く。

 真っ先にアリアから預かった物をジェロに託す。

 事情を説明し、パッツィを糾弾きゅうだんする役目をジェロに頼む。


 次にジェロかダンテに暗号を解読してもらい、木札に廃教会の文字を刻んでもらう。

 それを持って僕はアリアを探す。

 どこへ行ったのかわからない。

 だけど、荘園内にいるのは間違いないと思う。


 この計画でいこう。

 そう簡単にうまくいくとは思わない。

 だけど、最善を尽くす。

 そうじゃないと、あとで絶対に後悔するだろうから。


 僕は急いで小屋を出た。

 向かう先はルッフォ邸宅。

 ジェロの足取りは不明だけど、やろうとしていることは明白だ。

 なにがなんでも予定通り計画を実行するはず。

 それならば、必ずルッフォ邸宅付近にいる。


 急がないと。


 アリアから預かった物をエトーレから守る。

 同時にジェロを探しだして秘密小屋向かう。


 優先すべき事項を頭に思い浮かべる。


 やるんだ。

 必ずやり遂げるんだ。


 僕は自分に強く言い聞かせ、全速力で走った。

 ルッフォ邸宅に向かっていく。

 そのさなか、鋭くて刺すような視線を背中に感じた。

 気配はしない。

 だけど、たしかに視線を感じる。


 誰だ?


 僕は振り向かず、視線を背中に浴びながら走り続けた。

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