第264話 取り戻した記憶

 完全に日が暮れた。

 辺りは薄闇に染まり、人通りもまばらだ。

 

 ジェロが来ない。


 僕は不安にかられた。


 ジェロが指定した集合場所には誰も来ない。

 それは、僕が偽の暗号で集合場所を変更したから。

 だから、心配していない。

 問題はジェロだ。

 何事もなければ、ジェロは集合場所であるここにやってくるはず。

 でも、来ない。

 それは、不測の事態が起きたことを意味する。


 なにかあったのかな?

 同志たちが来ないのを不審に思い、計画を中止したのならいい。

 でも、もしひとりでもやるんだと決行したら問題だ。

 単独でルッフォ邸宅を襲撃するだけでも危険極まりない。

 加えて、パッツィに計画がばれて警備兵が動員されている。

 

 もし、捕縛されたら?


 計画がどうのこうのという問題じゃない。

 サングエ・ディ・ファビオは終わりだ。

 リーダーであるジェロが捕まったら、改革派を率いる者がいなくなる。

 そうなると自然解散してしまうだろう。


 まずい。

 ジェロの命を守るのはもちろん、改革派のためにもどうにかしないと。

 

 僕は慌ててルッフォ邸宅へ向かった。

 

 ジェロが計画をあきらめるとは考えられない。

 危険でも、ひとりであろうが……。

 きっと実行する。

 だったら、僕はそれを止めるまで。


 荒い息を吐きながら走っていく。

 そのさなか……。


「……オ」

 蚊の鳴くようなか細い声が聞こえてくる。

 一瞬、気のせいかと思った。

 だけど、また声が耳に届く。

「……レオ」

 誰かが呼んでいる。

 僕は足を止め、周囲を見渡した。


「レオ、ここよ」

 僕を呼ぶ声がする。

 その音を頼りに近づいていく。

 すると、積みあげられた木箱に隠れるようにして誰かがいた。


 誰?


 恐る恐る近づいていく。

 次の瞬間、手をつかまれた。

 ぐっと引っ張られる。

 何事だと視線を下に向けると……。


 アリア!


 木箱の陰に身を潜めるアリアの姿が飛びこんできた。

 この場所はルッフォ邸宅に程近い。

 加えて、隠れるようにして木箱の陰にいる。

 ただ事じゃない。


 僕も慌ててその場にかがみ込んだ。

 アリアは無言で僕の腕をつかみ、強い視線で見つめてくる。

 なにかを訴えるかのように……。


 もう一度、どうしたのかとゼスチャーで伝えようと思った。

 だけど、アリアが僕の腕をつかんでいてそれができない。

 

 アリアは僕になにも言わせないようにしているの?


 不審に思いながらアリアを見つめた。

『どうしたの?』 

 視線で思いを伝えようとした。


「レオ、よく聞いて」

 アリアは腕から手を離し、僕の目をしっかりと見つめた。

 とても真剣な目つきだ。

 僕は深くうなずいた。


「これを……」

 アリアは申し訳なさそうな表情を浮かべ、懐に手を入れた。

 それからなにかを取りだし、僕に差しだす。


 なんだろう?


 僕は差しだされた物を見た。

 ひとつは折り畳まれた紙。

 もうひとつは……。


 僕は目を見開いた。


 解読布——。


 どうして、これがここにあるの?

 小屋から紛失した物なのに……。


「ごめんなさい。レオの小屋から盗んでしまって……」

 アリアが深々と頭を下げた。


 なぜアリアが解読布を盗んだのか?

 とても気になる。

 だけど、答えを考える間もなくアリアは口を開いた。


「この文書と解読布をエトーレから守ってほしいの」

 切羽詰まったような声でアリアが言った。

 いつもの冷静さのかけらもない。

『これはなに?』

 僕は文書と解読布を見ながら手を動かした。

「……外敵に送った密書よ」

 少しためらいを見せたあと、アリアははっきりとし口調で説明した。


 外敵への密書⁉︎


 どうして、そんなものをアリアが持っている?

 密書を僕に託す理由は?

 アリアはなにを考えている?


 疑問が噴出してくる。


「このふたつは、お父さまが外敵のスパイである証拠となります。だから……」

『エトーレから守ってほしいんだね』

「ええ、そうです」

『これをどうすればいいの?』

 僕はアリアを見つめた。

 悲しさ、寂しさのなかに強い怒りを感じる。

「荘園にいては危険よ」

 アリアが僕にふたつの物を押しつけた。

 それを受けとり、僕はうなずく。

『僕はこれからどうすればいい?』

「安全な場所に避難して」

 アリアがじっと見つめてくる。

 僕も見つめかえす。


 アリアの瞳——。

 それと……。

 安全な場所に避難して、という言葉——。

 そのふたつが脳を刺激する。

 

 前にも同じようなことが……。


 脳裏に激しい光が差す。

 目がくらむほどの明るさ。

 それが次第におさまっていき、ここではない場所が脳裏に浮かんだ。


 とても静かな庭。

 目の前には金髪の美少女がいる。

 僕がレオになる前、ジャンニだった頃に出会ったアリアだ。

  

「安全な場所に避難して」

 幼いアリアが告げた。

 視線を下に向けると、僕の手にはしっかり解読布が握られている。

 

 これはあのときの記憶だ。

 アリアと出会い、解読布を託されたあのとき……。


 欠けていた記憶だ。

 アリアはジャンニに解読布を託し、安全な場所に避難してと言っていた。

 

 安全な場所って?


 記憶のかけらを探っていく。

 あと少しで届きそうで届かない。

 頑張れば思いだせそうな気がする。

 

 安全な……。

 

 脳裏に再び少女の頃のアリアの姿が思い浮かんだ。

 口が動いている。

 なにか言っているようだ。


 教会よ——。

 

 アリアが言った。


 教会?


 荘園やその周辺にはいくつか教会がある。

 そのなかでアリアが指定した教会、それは……。


 まさかあの教会⁉︎


 考えて思いついたわけじゃない。

 アリアの返答を聞き、即座によみがえってきた。

 

 そうだ、思いだした。

 同時に脳裏に浮かんだアリアが消えていく。


 当時、僕——ジャンニはアリアに解読布を託された。

 そのとき、約束をした。

 解読布を守り、荘園を抜けた先にある廃教会で会おうと……。


 そのあと、ジャンニは誰かに追われていることに気づき、解読布を地面に埋めた。

 追っていたのは覆面をしたエトーレ。

 あっという間に追いつかれ、首を締められた。

 そのとき、僕がジャンニの体に憑依ひょうい


 ジャンニはアリアとの約束を守ろうとした。

 だけど、再びアリアに会えずに……。

 僕がこの世界にやってきた。


 胸が痛い。


 この痛みは僕のものだろうか?

 もしかするとジャンニかもしれない。

 解読布は守り切った。

 だけど、もうひとつの約束は……。


「……レオ?」

 アリアに呼ばれ、僕は我に返った。

『ごめん、ぼうっとしてたよ』

「レオ、これを持って安全な場所に避難して」

『うん』

「それから、荘園が落ちついたら、密書と解読布をルッフォさまに渡してお父さまを告発して」

『……密書にはなにが書いてあるの?』

 恐る恐る聞いてみた。


「……荘園の騒動を利用して侵攻を促す文書よ」

 アリアが僕から目を逸らした。

『騒動って……まさか』

 僕は眉間に皺を寄せた。


 ジェロがルッフォ邸宅を襲撃する。

 この計画を利用してパッツィが外敵に侵攻を促す。

 

 まずい。

 このままだと荘園が外敵に侵略されてしまう。


 僕は唇を噛んだ。

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