第261話 罪なき処刑

 ダニエラ——。


 私はゆっくりと目を閉じた。


 十五年前、ダニエラはアリアを産んで間もなく処刑された。

 無実の罪によって……。


 ダニエラはデルカ前小領主の妹で、生まれながらに全てのものを手にしていた。

 権力者の娘という血筋。

 美貌と栄華。

 そんな彼女が私を選んでくれた理由は、いまだにわからない。

 大した家柄ではない私と結婚してくれたことを感謝している。

 少しでもその恩を返したい。

 だから、義兄であるデルカを精一杯支えた。


 デルカは善人ではあるが、権力者としては物足りなかった。

 ずる賢い他の小領主たちと渡りあえるだけの能力が決定的に足りない。

 お飾り大領主と同じくらい無能だった。

 それだけならいい。

 私が補佐すれば大丈夫だから。

 だけど、デルカの無能ぶりは周りを傷つけた。


 

「デルカ夫人、妻——ダニエラを助けてください」

 私は義兄の夫人に深々と頭を下げた。

 デルカ夫人はなにも言わず、見下すような目で私を見ている。

「夫人。もう一度、よく思いだしてください」

「何度も言ったけど、私、たしかに見たのよ」

 顎を少し上げ、デルカ夫人がイライラしたような声で言った。

「本当に見たのですか?」

「! 見たわ、この目でしっかりとね。ダニエラが花瓶を割ったところを」

 デルカ夫人が怒鳴った。


 花瓶を割った……。

 たったそれだけのことでダニエラは大領主の兵に捕えられてしまった。

 特別高価な花瓶だったわけじゃない。

 弁償しようと思えばできるだけの物だ。

 それなのに、問答無用で捕らえられたダニエラ。

 全ては花瓶の持ち主であるルッフォ大領主夫人の思うがままに……。


 ダニエラはデルカ夫人と共に、ルッフォ大領主邸宅で行われた茶会に呼ばれた。

 その席でのこと。

 ルッフォ夫人が大事にしていた花瓶が何者かによって割られたという事件が起きた。

 目撃者はデルカ夫人。

 

「ダニエラが花瓶を割ったのを見ました」

 デルカ夫人はルッフォ夫人の前で堂々と証言した。 

 それにより、ダニエラは捕縛。

 ルッフォ夫人の逆鱗に触れ、すぐさま処刑すると宣言された。

 

 花瓶を壊して処刑——。


 そんな法はデルカが支配する荘園にはない。

 だが、ルッフォ夫人の一声で大領主令となった。


「デルカさま。どうかルッフォ大領主さまにお取りなしを……」

 私はデルカ夫人を説得するのをあきらめた。

 普段から横暴なデルカ夫人。

 正論を解いたところで無駄だと改めて悟った。

 だから、善人であるデルカさまにすがった。


「……助けたいけど、ダニエラが無実だという証拠がないし」

「ダニエラはデルカさまの妹でしょう。だったら……」

 なおもデルカさまに頼んだ。

「妻が目撃したと言っている以上、私にはどうしようもできない」

 デルカさまがうなだれた。

「そうよ。大領主さまが決めたこと。私や夫に頼んでもどうしようもないわ」

 勝ち誇ったようにデルカ夫人が言った。

 

 私はデルカ夫人のその態度に違和感を覚えた。


 少しも助ける気がない。

 それどころか率先してダニエラの刑を確定させようとしている。


 なぜ?


 私はデルカ夫人を見た。

 ときおり、視線を左右に走らせては下を向く。

 震える手先を押さえるように、ぎゅっともう一方の手でつかむ。

 

 まさか、花瓶を割ったのはデルカ夫人⁉︎


 デルカ夫人を凝視ぎょうしした。

 いつもと違う様子なのは明らか。

 だけど、デルカ夫人が真犯人である証拠にはならない。


「デルカさま。ルッフォ大領主さまにこの一件を詳細に調べるようお願いしてください」

 私はデルカさまの目をじっと見つめた。

 デルカさまの瞳が揺れている。

「だ、大領主さまに意見なんてできるわけないでしょう」

 割って入るようにデルカ夫人が大声を上げた。

「ですが、ダニエラは否定しているんです。だから、ちゃんと調査して……」

「刑はもう確定したの。無駄よ」

 デルカ夫人が怒鳴った。

「デルカさま」

 私は感情の全てを視線に乗せ、デルカさまを見た。

 デルカさまも私を見ている。

 ところが、次の瞬間、目をそむけた。

「……もう無理だ」

 デルカさまが肩を落とし、沈んだ声で言った。

「デルカさま!」

 怒鳴る私を残し、デルカさまと夫人は立ち去った。


 信じられない。

 たかが花瓶を割っただけで処刑だなんて。

 しかも、たいした調査も行わずにだ。

 デルカ夫人の証言だけでダニエラを犯人だと決めつけた。

 なぜなんだ?


 翌日、予定通りダニエラが処刑された。


 ダニエラの死。

 デルカ夫人の冷酷な仕打ち。

 横暴な大領主さまのやり方。


 悲しみや怒りに私は頭がおかしくなりそうだった。

 このまま狂い死しそうなほどに……。

 そんな私を正気に戻す出来事が起きた。


 大領主がたいした調査を行わなかったのは、デルカ夫人が他の小領主たちを買収したから——。


 そんな噂が荘園内に広がった。

 当初、ルッフォ大領主は調査をする意向を示した。

 ところが、お飾り大領主であるルッフォは小領主たちの即刻処刑を進言。

 それに応じてダニエラは殺された。


 なぜ、デルカ夫人が小領主たちを買収してまで処刑を急いだのか?

 答えは明らかだ。

 花瓶を割ったのはダニエラじゃないから。

 真犯人はデルカ夫人。

 ダニエラに罪を被せたのもデルカ夫人。

 なにもかもデルカ夫人が仕掛けたことだった。


 デルカ夫人が憎い。


 それと同じくらいルッフォ夫人も憎い。

 花瓶を割っただけで死刑を言い渡した。


 ルッフォ大領主も憎い。

 小領主たちの圧力に屈して調査を行わなかった。


 この荘園の制度が憎い。

 権力者が勝手に都合の良い法を作っている。


 憎い! 

 力のない私たちのような庶民を虐げる権力者が……。



 ゆっくりと目を開けた。

 現実に戻ると当時にダニエラの姿が脳裏から消えた。

 

 ダニエラの恨みを晴らす。

 その一心で今日まで生きてきた。 

 ようやくかたきを打てる。


 まず、庶民を虐げるいまの荘園を潰す。

 それからルッフォが支配している荘園をひとつにし、隣国に併合。

 法による荘園の支配、これこそが私が目指すもの。


 ダニエラの死を無駄にしないため。

 アリアに良い世界で生きてもらうため。


 そのためだったら、私は裏切り者やスパイと呼ばれてもいい。

 殺されても……。


 もうすぐ終わる。

 ダニエラの死後、ずっと進めてきた計画が動きだした。

 もう止められない。

 外敵によって荘園は攻撃される。

 そうなれば、混乱状態の荘園にそれを食い止めるだけの力はない。

 

 滅ぼされればいい。

 こんな腐った荘園なんて。

 でも、大丈夫。

 すぐに新たな荘園に生まれ変わる。

 私が荘園を束ね、隣国とひとつに……。

 そのあと、私は荘園の唯一の権力者となって庶民たちを支配する。


 もうすぐだ。

 ここで待っていれば、じきに知らせが……。


 恍惚こうこつ感に浸っていたところ、突然書斎のドアが開いた。

 無防備な状態だったため、頭が思うように動かない。

 何者だと探る間もなく、剣先が私の首先に突きつけられた。


「動くな!」

 覆面をした男が怒鳴った。

 予想外の出来事に私は唾を飲みこんだ。

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