第147話 風見鶏領主の異名

 デルカさまの病死にまつわる疑念は、数日中に噂になって広がる——。

 

 根拠はないけど、直感した。

 庶民たちは娯楽に飢えている。

 だから、刺激的なうえ、お金のかからない娯楽となれば飛びつく。 

 自分以外の誰かの不幸やゴシップは格好のネタだ。


 内容が真実かどうかなんて関係ない。

 想像力を刺激し、誰かと共通できるかどうかが重要だ。

 噂とはそんなもの。

 ……馬鹿らしいけど。


「……ねぇねぇ、聞いた?」

 若い女性が一緒に歩いている中年女性にひそひそ声で言った。

「なぁに?」

 中年女性がさして興味もなさそうに答える。

「……デルカ前小領主さまが亡くなられたでしょう」

「ええ、聞いたわ。病死だそうね」

 中年女性が同情するような表情を浮かべた。


 あたしは前を歩くふたりの女性に耳を傾けた。

 すでにデルカさまが病死したことは知れ渡っているようだ。


「……病死じゃないらしいよ」

 ものすごく小さな声で若い女性が言った。

 中年女性が目を見開き、絶句している。

 その反応に満足したように若い女性が微笑む。

「病死じゃない?」

 視線を左右に走らせ、中年女性がつぶやいた。


「誰にも言わないでね……ここだけの話よ」

「……うん」

 中年女性が不安そうに若い女性を見つめている。

「……殺されたって噂よ」

「えっ⁉︎」

 中年女性が大きな声を発した。

 すると、若い女性が慌てて中年女性の口を手でふさいだ。

   

 殺された……。


 もう噂になっている。


 あたしは驚いた。

 

 いずれ噂になる。 

 予想はしていたけど、想像以上に早かった。

 それだけ、庶民たちは強い疑念を抱いたってことだろう。


 あたしはふたりの女性を尾行し、話を聞き続けた。


「殺されたって……誰に?」

 中年女性が若い女性に近づき、声を押し殺しながら聞いた。

「誰って……それはデルカさまが死んで得をする人物でしょう」

 若い女性は明言を避けた。

 名前を口に出して言うには危険すぎる。

 誰かが盗み聞きしているとも限らないから……。

 そんな気持ちが伝わってくる。


「得をする人物って……」

 中年女性が斜め上を向き、考えこんでいる。

 その様子を若い女性が見守るように眺めていた。


「うーん」

 まだ結論がでないのか、中年女性はうなり声を発した。

 そばで若い女性がもどかしそうにしている。

「……あっ!」

 中年女性の表情がぱっと明るくなった。

 結論に達したようだ。

 その直後、表情が急変。

 困惑をありありと顔に浮かべ、辺りに視線を走らせる。


「……気づいた?」

 若い女性に問われ、中年女性は黙ってうなずいた。

「この噂、どう思う?」

 辺りを警戒しながら、若い女性が質問した。


 気になる。

 あたしはふたりの回答に興味を持った。

 普通の庶民たちが噂をどのように解釈したのかを。


「どうと言われても……本当だとしてもなにもできないし」

 遠慮がちに中年女性が答える。

「そうだよね。でも、噂がもっと広がったら……」

 若い女性が意見に同意しながらも、なにやら含みのある物言いをした。

 

 噂がもっと広がったら?


 あたしは考えてみた。

 デルカさまが病死ではなく、殺されたと広まれば……。

 

 現状、なにも変わらないように思えた。

 噂は所詮しょせん、噂。

 根も歯もない話だとパッツィさまは一蹴いっしゅうするだろう。

 たとえ、庶民たちがデルカさまの病死を調査しろと願いでたところで無駄。

 願いでる先がこの荘園の小領主でもあり、当事者のパッツィさまだから。


 悔しい。

 真実が隠されたままになるなんて。

 でも、せめて噂だけでも流れてよかった。

 ひとりでも多く、パッツィさまに疑いをも持ってほしいから。


「噂が広がったら?」

 中年女性が若い女性に答えを求めた。

「きっと、ルッフォ大領主さまが動くわ」

 その答えにあたしは意表をつかれた。


 ルッフォ大領主さまが動く?


 あたしは首を傾げた。

  

 ルッフォさまはこの荘園のほか、たくさんの荘園を収める大領主。

 名前は知っている。

 けど、ほとんど見知らぬ存在。

 姿形はもちろん、どんな人物なのかも知らない。


「ルッフォ大領主さま? あり得ないでしょう」

 中年女性が否定しながら苦笑いを浮かべた。

「どうして?」

「だって、ルッフォさまはまれに見る風見鶏かざみどり領主さまだから」

 中年女性の言葉から、ルッフォさまへの尊敬の欠片も感じられない。

 それどころか、どこか軽蔑する雰囲気がある。


 風見鶏領主さま?


 あたしは首を傾げた。


「その時々の風向き次第で態度を変えるルッフォさまだからよ」

 若い女性が強い口調で言った。

「どういうこと?」

 発言の意図が汲みとれず、中年女性はぽかんとしている。

 あたしも同じだった。

 

「デルカさまの病死を疑う庶民が多少いても、ルッフォさまは意に介さない」

 若い女性が答えると、中年女性はすぐさま同意した。

「でも、庶民たちの声が大きくなっても無視し続けたら……」

 言葉の先を考えさせるかのように、若い女性が中年女性に視線を送った。

「……ルッフォさまが批難される?」

「正解!」

 若い女性がにっこりと微笑んだ。


 噂話が広がり、デルカさまの病死を疑う庶民が増える。

 そうなってもパッツィさまは動かない。

 不満を抱えた大勢の庶民たちの怒りは大きくなっていく。

 その矛先は、パッツィさまより強い権力を持つルッフォさまに向かう。

 そのルッフォさまは、風見鶏の異名を持つ大領主。

 庶民たちの思いを無視できなくなる。

 そうなったら……。


「だから、ルッフォさまはデルカさまの病死について調べるはずよ」

 若い女性は得意げに言った。

「なるほど」

 中年女性がぽんっと手を打つ。


 デルカさまの病死を調べる?


 あたしは足を止めた。


 ルッフォさまが調べるという考えは、若い女性の意見だ。

 だから、絶対じゃない。

 でも、一理ある。

 

 もし、本当にルッフォさまがデルカさまの一件を調べることが決まったら……。

 

 まずい!

 

 デルカさまが殺されたなら、犯人は必ず証拠隠滅いんめつを図る。

 そうなる前に証拠を確保しないと。


 あたしはデルカさまの邸宅に急いで向かった。

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