第143話 胸騒ぎの正体

 もうすぐ死ぬかもしれないんだ——。


 デルカさまが言った。

 それも突然に……。


 なにが起きたのか?

 なにを言っているのか?

 

 頭が混乱した。


「デルカさま、どうし……」

「本当に美味しかったよ」

 声をかけるのと同時にジャンニが大声で言った。

 明るい声にあたしの暗い声がかき消される。

「それはよかった。ジャンニ、このお姉さんが焼いたんだよ」

 いつも通りの口調でデルカさまが言った。

「美味しかったです、ありがとう」

 ジャンニはしっかりとあたしを見つめ、お礼を述べた。

「……どういたしまして」

 返事をしたものの、心は別のところにあった。


 もうすぐ死ぬかもしれないんだ——。


 デルカさまの言葉……。

 気になって仕方がない。


「ジャンニは礼儀正しいね」

 デルカさまがジャンニの頭をなでた。

「うん、おじさんに教えてもらったから」

「偉いぞ」

「えへへっ。じゃあ、僕、行くね」

 ジャンニが手を振って立ち去っていく。

「またおいで」

 デルカさまが声をかけると、ジャンニは振り返って手を振った。

 その様子を見てデルカさまが微笑んだ。


 あたしは外壁の穴から出ていくジャンニを見ていた。

 完全に姿が見えなくなったところで、深く息を吐く。

 

 このまま何事もなかったようにしたほうがいいのかもしれない。

 頭ではそう思う。

 でも、心が納得しない。

 言葉の意味が気になるから……。


 デルカさまを見た。

 先ほど見せた不安そうな様子は欠片かけらもない。

 見間違えたのかと錯覚するくらいに。


「デルカさま。さっきの言葉だけど……」

「さっきって?」

 不思議そうな顔をしてデルカさまが聞いてくる。


 とぼけているのか、それとも本当に気づいていないのか?

 よくわからない。


「さっき、もうすぐ死ぬかもしれないって言ってたよね」

 まわりくどいのは面倒臭い。

 だから、直球を投げた。

「……ひとはいずれ死ぬもんだよ」

 デルカさまはぼそっと言った。

「それはそうだけど……」

「私も年だ。いつ死んでもおかしくない」

 苦笑いを浮かべ、デルカさまは長椅子から立ちあがった。

 そのままゆっくりと歩いていく。


 逃げた。

 そう感じる。


 なにかあったんだ。

 そう思う。

 

 なにがあった?

 ……わからない。

 

 胸騒ぎがする。

 こんなことははじめてだ。



 それから数日間、あたしはデルカさまの様子を熱心にうかがった。

 なにかあったのかもしれないという予感。

 胸騒ぎの正体を確かめるために。


 でも、何事もない。

 いつも通りのデルカさまだった。


 思い過ごしだったんだ。


 あたしはほっと胸をなでおろした。

 その翌日——。


「デルカさま?」

 いつも通り、長椅子に座ってあたしが焼いたパンを食べているさなか。

 デルカさまはパンを手にしたまま、動きを止めた。

 心ここにあらず。

 そんな様子だった。


「デルカさま。もしかして、すごく不味まずかった?」

 あたしはデルカさまの手にある食べかけのパンを奪った。

「……い、いいや、そうじゃないよ」

 我に返ったようにデルカさまがパンを取り戻した。

 すぐさまパンを食べはじめる。


 おかしい。


 気のせいなんかじゃない。

 明らかに変だ。


「デルカさま、教えて。なにがあったの?」

 あたしはデルカさまの手を握った。

 デルカさまがあたしをじっと見つめている。


 出会ってからずっと、あたしはデルカさまに助けてもらっている。

 それなのに、なにひとつ恩返しできていない。

 だから、助けられることがあるなら手を貸したい。


「なんでも話して。あたしはデルカさまを助けたいんだ」

 あたしは訴えかけるように言った。

 それに対し、デルカさまは唇を噛んだ。

 瞳がゆらゆらと揺れている。


「ヴィヴィ……」

 デルカさまがなにか言おうとした矢先、口を閉ざした。


 悩んでいる。

 話そうかどうかと……。


「あたしはいっぱいデルカさまに助けてもらったんだ。だから……」

 必死に訴えた。


 デルカさまは荘園の小領主。

 その小領主さまが、あたしみたいな孤児に悩みを話すなどありえない。

 わかっている。

 だけど、デルカさまの悩みを一緒に背負いたい。

 そう思うのは無礼かもしれないけど。


「……ヴィヴィ、頼みがあるんだ」

 重そうにデルカさまが口を開いた。

「うん。もちろんいいよ」

「この頼みを引き受けたら……」

 デルカさまが言い淀んだ。

「どんなことでも引き受けるよ。言って」

 背中を押すようにあたしは元気よく言った。


「危険な目に遭うかもしれない」

 重々しい声で言い、真剣な目つきでデルカさまがあたしを見た。

「大丈夫、任せてよ」

 あたしはどんっと胸を叩いた。

「じゃあ……」

 決意を固めたような強い目をし、懐からなにかを取りだした。

「これを預かってほしいんだ」

 デルカさまがそれをあたしに差しだす。

 

 紙?


 あたしは差しだされたものをじっと見つめた。


 これってなに?

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