第142話 成長の証明

 親方に弟子入りし、練習のためのパンを焼き始めて早二年。

 一度だって、親方に褒められたことがない。

 職人になるのはまだまだ先だ。


 修行をはじめて二年で一人前になれるとは思っていない。

 でも、先が見えない毎日にときどき疲れる。

 兄弟子が一人前と認められた日は特にそう思う。 

 

「……うん、今日のパンは昨日よりずっと良い出来だ」

 焼き損じたパンを頬張りながらデルカさまが言った。

「本当に?」

 疑いまなこでデルカさまを見た。

 それから、視線を長椅子に置いたパン籠に向ける。


 親方が焼いた色も形も完璧で、良い匂いがするパン。

 あたしが焼いた焼け焦げた部分がたくさんある失敗作のパン。

 その二種類が並んでいる。

 どちらのパンが美味しいかは一目瞭然。


「本当だよ」

 デルカさまはあたしのパンを咀嚼そしゃくしている。

「絶対に嘘だね」

 あたしは頬を膨らませた。

「嘘をついたところで、私になんの得もないよ」

「それはそうだけど……デルカさまは優しいから」

「これまでのは苦味があったけど、今日のはそれがほとんどない」

「ほとんど……でも、あるんだね。苦味」

 あたしは肩を落とした。

 焼け焦げは味に直結する。

 少しでも焦げたら苦味が出てしまう。

 

「ヴィヴィはこの二年で格段に成長したよ」

「でもさ……」

 デルカさまの言葉が胸に突き刺さる。

 言葉通りに受け取ればいい。

 でも、無理。

 なぐさめにしか聞こえない。


「もっと私を信用してほしいな」

 デルカさまが苦笑いを浮かべた。

「当然、信用しているよ。でも……」

「よし、わかった。証明してみせよう」

 デルカさまがパン籠にあるあたしが焼いたパンを手に取った。

「どうするの?」

「もう少し待っててくれるかい?」

「うん、いいよ。なにをするの?」

 あたしはパンを見つめた。


 形が悪く、焼き色にむらがあり、焼け焦げている。

 我ながら下手だなぁと落ちこむ。

 

「ヴィヴィ」

 落ちこんでいるさなか、デルカさまが小声で言った。

「なに?」

 返事をしたところ、デルカさまが人差し指を口元に当てた。


 静かに……。


 目で語りかけてくる。

 あたしは口を閉ざし、デルカさまを見た。

 

 あそこ。


 デルカさまが庭の外壁を指した。

 あたしが出入りしている裏口の近くだ。


 なんだろう?


 外壁に注目した。

 草花が生い茂っている。

 よく見ると、その背後にある外壁の一部分に穴が開いていた。


 ほら、見て。

 

 デルカさまがもう一度、同じ場所を指した。

 あたしは目を凝らし、外壁を見つめる。

 すると……。


 あっ。


 叫びそうになり、思わず手で口を覆った。

 その状態のまま、外壁を見続ける。


 外壁の穴から誰かが入ってくる。

 とても小さい。

 

 子供?


 五歳くらいの少年が、四つん這いになって穴をくぐりだす。

 乱れた髪、ぼろぼろの薄汚れたころも、傷だらけの顔。

 とてもみすばらしい。

 教会で暮らす孤児以上だ。


 あたしはデルカさまに視線を送った。

 デルカさまは黙ったまま、少年の動きを見ている。

 勝手に敷地内に入ってきたと怒る様子はない。


 少年は穴をくぐりぬけ、敷地内に入ってきた。

 ゆっくりとした動きで立ちあがっていく。

 悪びれる様子が全くない。

 少年は足についた土を手で払いながら、辺りを見回している。


 あっ。


 ばちっと少年と目が合った。

「!」

 少年はおろおろとしはじめた。


「大丈夫だよ。こっちにおいで」

 デルカさまが叫んだ。

 すると、少年は少し落ち着きを取り戻した。

 ゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる。

 デルカさまと少年の様子からして、ふたりは顔なじみだと感じた。

 

「ヴィヴィ」

 デルカさまに呼ばれ、あたしは少年から視線を外した。

「なに?」

「いまから証明をするよ」

 デルカさまがあたしが焼いたパンを掲げた。


 どういうこと?


「彼はジャンニ。毎日ここにやってくるんだ」

 見守るような目でジャンニを見ている。

「孤児?」

「そうだ。教会に受けいれてもらえず、荘園内をさまよっている」

 デルカさまは心底悔しそうな顔をしている。

 

 外敵との戦いのせいで、荘園内には孤児が溢れている。

 本来、そんな孤児たちを受けいれる教会。

 でも、資金難で難しい状態にある。

 だから、教会は孤児の受けいれを制限しているらしい。


 教会はもちろん、荘園を治める小領主であるデルカさまは悔しいと思う。

 助けたくても助けられないから。


「縁があって、ジャンニには邸宅で余った食事を与えているんだ」

「そうなんだ……」

「それで今日はこれだ」

 デルカさまがパンを掲げた。

 あたしが焼いたパンだ。


「ジャンニ、パンは好きかい?」

 デルカさまが尋ねると、ジャンニは大きくうなずいた。

 あたしが焼いたパンがデルカさまからジャンニに渡る。

 

 どきどきする。


 ジャンニがパンを手にした。

 大きな口を開けてパンにかぶりつく。


 ジャンニは事情を知らない。

 だからこそ、正当な評価がもらえる。

 デルカさまはそう考えたのだろう。


「美味しい!」

 ジャンニはにっこりと微笑んだ。

「それはよかった」

「全部食べていいの?」

「もちろん」

 デルカさまの言葉にジャンニは大喜びした。

 どんどんと食べ進めていく。

 

 あたしはジャンニの食べる姿を見つめた。

 本当に美味しそうに頬張っている。

 

 嬉しい。


「ありがとう、デルカさま」 

 あたしは笑顔で話しかけた。

 ところが……。


 デルカさまの表情がどこか冴えない。

 顔色が悪く、どこか不安げだ。

 

「……ヴィヴィの成長が見られてよかった」

 悲しげな声でデルカさまがつぶやく。

「どうしたの?」

 不安になってデルカさまに聞いた。


「もっとヴィヴィの成長を見続けたい」

 悔しそうに言った。

「ずっとあたしを見ていてね」

「そうできたらいいが……」 

 デルカさまの視線があたしから外れた。


「……もうすぐ死ぬかもしれないんだ」

 弱々しい声で言った。

 こんなにも元気がなく、弱気なデルカさまをはじめてだ。


 死ぬかもしれないって……。


 そんなの嘘。

 嘘に決まってる!

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