第141話 デルカの生きがい

「私ではどうにもできないかもしれないが、話すだけで楽になるかもしれないよ」

 デルカさまがなぐさめるようにあたしの肩にそっと触れた。


 どうしようか。


 あたしは悩んだ。


「迷惑じゃない?」

 恐る恐る聞いてみる。

「迷惑? どうして?」

「だって、愚痴ぐちなんて聞かされても面白くないだろうし……」

「子供なんだから、そんなことは気にしなくてもいい」

 デルカさまがあたしの顔を覗きこんできた。

 大丈夫だと目が言っている。


 話してみようかな。


 デルカさまの目を見ているうちに、そんな気になった。

  

「あのね……」

 言葉を発したところで、少し間を置いた。

「うん、うん」

 安心させるかのようにデルカさまがうなずく。

「弟子にしてもいいけど、パン焼きの練習は当分無理だって言われたんだ」

 あたしは肩を落とした。


 弟子になれば、合間を縫って親方がパン焼きを教えてくれる。

 そう思っていた。

 これまで、親方が弟子たちに練習させているのを見てきたから。

 でも、弟子になると同時に練習はさせられないと伝えられた。


「……まさかとは思うが、ヴィヴィが女だからか?」

 デルカさまの眉が少し動いた。

「ううん、違う」

 即座に否定した。

「だったら、理由は?」

「パンの材料費が値上がりしたから」

 あたしは親方から聞いた理由を包み隠さず伝えた。

 すると、デルカさまは難しい顔をして腕を組んだ。


「……外敵の侵攻と天候不良が原因だなぁ」

 誰に言うでもなくデルカさまがつぶやく。

「親方も同じことを言っていたよ」

「仕方ないというべきなんだろうけど……」

「うん、仕方ないよ。兄弟子たちの練習が優先だから」

 あたしは自分を納得させるように言った。


 そう、仕方がない。

 材料費が値上がりしたのは親方のせいじゃないから。

 でも……。

 せっかく弟子になれたのに、練習させてもらえないのは辛い。

 偽りない正直な気持ちをぐっとお腹の底に沈めた。

 

「とはいえ、パンを焼く練習をしないことには職人になれない」

 デルカさまの言葉にあたしはうなずいた。

「しょうがないよ。一生練習できないわけじゃないし、気長に待つよ」

「よし!」

 突然、デルカさまが声を張りあげた。


「親方に手紙を書こう」

「えっ?」

 あたしは首を傾げた。

「毎日頼んでいるパンに加えて、もう一品依頼するんだよ」

「もう一品?」

「そうだ。ヴィヴィが練習用に焼いたパンを一緒に届けてもらう」

「えっ⁉︎」

 予想外のデルカさまの発言にあたしは驚いた。

 驚きすぎてなにも言えない。


「良いアイデアだろう?」

 にっこりとデルカさまが微笑んでいる。

「……ダメだよ」

 あたしは目を伏せて答えた。

「どうして?」

「だって、弟子になったばかりだから焼き損じ……失敗作になるよ」

「失敗? それは違うよ」

「違うって?」

 あたしはデルカさまを見た。

「ヴィヴィが一人前の職人になるために必要な一歩」

 

 職人になるために必要な一歩——。


「そうかもしれないけど……焼き損じのパンは美味しくないよ」

 あたしはデルカさまを止めようと思った。


 毎日、工房では兄弟子たちがパン焼きの練習をしている。

 焼きあがったパンのほとんどが焼き損じ。

 つまり失敗。

 それをあたしはもらって食べている。

 美味しくないけど、空腹を満たすのには問題ないから。


「私はヴィヴィを練習させるために依頼するんじゃないよ」

「だったら……」

「生きがいのためだ」

「生きがい?」

 言葉の意味がよくわからない。

 あたしは首を傾げた。


「ヴィヴィが職人になるまでの姿を見ていたい」

 穏やかな表情でデルカさまが語った。


 あたしを見つめる目。

 あたしを包みこむようは暖かい雰囲気。

 

 これまでこんな風に誰かに接してもらった経験がない。

 戸惑いながらも、嬉しさが込みあげてくる。

 

「私には子供がいないんだ」

 一瞬、デルカさまの表情に寂しさが浮かんだ。

「……そうなんだね」

 どう返答していいのかわからず、あたしはあいづちを打った。

「だから、ヴィヴィが娘のように思えてならない」

「……アリアお嬢さまがいるのに?」

 何気なく言った言葉にデルカさまが反応した。

 とても困った顔をしている。


「あの子には立派な父親がいる。それに……」

 なにか言いだそうとしたところで、デルカさまは口をつぐんだ。

「ヴィヴィが成長していく様子を私に見せてくれないか?」

「成長……」

「そうだ。この荘園で初めての女パン焼き職人になるまでを」

「うん。パン焼き職人になったら、一番最初に焼いたパンを食べてね」

 あたしは微笑んだ。

「もちろん、いまから楽しみだな」

「あたし、頑張る!」

「その意気だ。じゃあ、親方に手紙を書くから届けてくれるかい?」

「手紙?」

「毎日、ヴィヴィが焼いた練習用のパンを届けてもらう依頼書だよ」

「ありがとう。お願いします」

 あたしは深々と頭を下げた。


 翌日からあたしのパン焼きの練習がはじまった。

 親方はあたしを特別視したりしない。

 当たり前のように重労働や力仕事を与えられる。

 それと同時に、兄弟子たちと分け隔てなく指導をしてくれた。

 男だから、女だから……。

 そんなことは絶対に口にしない。


 あたしは本当に恵まれている。


 優しい親方。

 女だからと変な目で見ない兄弟子たち。

 あたしに支援してくれるデルカさま。


 だから、絶対に成し遂げる。

 パン焼き職人になる夢を——。

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