第140話 第一号になれ!
デルカさまがあたしに新たに依頼をしてきた。
ひとつは、これまれどおりの接してほしいとのこと。
無礼を働かないよう気遣いながら、極力いつも通りに振るまう。
かなり難しい依頼だ。
でも、あたしは引きうけた。
あとひとつは?
あたしはおじさんが話してくれるのを待った。
「親方に弟子入りすること」
おじさんがあたしをじっと見つめている。
「弟子入り?」
「そうだ。私はそれなりに権力があるから、親方に口添えはできる」
あたしと目が合った状態のまま、おじさんは言った。
「でも、それでは意味がない」
軽く頭を振りながらも、あたしから目線を外さない。
「自分の力で弟子になるんだ」
力強い声でおじさんが言った。
あたしだけの力で弟子になる……。
心のなかで唱えた。
これまで、誰ひとり女の弟子を認めてこなかった工房。
弟子になりたくて頼んだ女は、あたし以外にもいたはず。
それなのにひとりもいない。
なぜ?
女がパン焼き職人になってはいけないという法律はない——。
デルカさまがそう言っていた。
つまり、弟子になれないのは決まりがあるからじゃない。
これまでそうだったから……。
そんな理由にもならないバカげた習慣を守っているだけ。
だったら、その古臭い習慣をぶち破ればいい。
あたしはしっかりとおじさんの目を見た。
「うん」
「よし。必ず女のパン焼き職人の第一号になりなさい」
「やるよ、絶対に!」
あたしは拳を天高くかかげた。
「デルカさまー!」
あたしはパンを抱え、長椅子に座っているデルカさま目掛けて走った。
「どうしたんだい、ヴィヴィ」
デルカさまが驚いたような顔をしている。
「聞いて、聞いて」
「なんだい?」
「配達人になって三年目にして、ようやく親方が認めてくれたんだ!」
嬉しさのあまり、あたしはその場で飛び跳ねた。
「認めた?」
「うん、あたしを弟子にしてくれるって」
パン籠を長椅子に置き、デルカさまの手を握った。
「そうか。ついに……私の依頼を見事にやり遂げたね」
デルカさまが何度もうなずく。
「今日からあたしはパン焼き職人の弟子!」
あたしは両手を上げた。
「ところで、あの頑固な親方をどうやって説得したんだい?」
懐から布包みを出し、おじさんはあたしにお菓子をくれた。
「配達人になった一年目は、親方や職人たちと仲良くすることを心がけたんだ」
あたしはもらったお菓子を食べながら説明した。
「まずは
「挨拶したり、雑用を引き受けたり……そうしたら名前を覚えてくれた」
話しながら、当時のことを思い浮かべた。
思いだすだけで顔がほころんでくる。
「二年目に入って、新しい依頼先を探すことを計画したんだ」
「なるほど。新しい
「うん。商人のジュゼッペさんと仲良くなって、お金持ちを教えてもらったんだ」
あたしは胸を張って答えた。
「あの気難しい商人から情報をもらえるなんて大したもんだよ」
「気難しい? そう? 優しいおじいさんだよ」
「そう言うのはヴィヴィくらいだ」
デルカさまが苦笑いを浮かべた。
「それで、顧客を増やした結果、弟子入りが許されたんだね」
「ううん」
あたしは大きく首を横に振った。
「売上に貢献したのは認めるけど、弟子入りとは別の話だって」
「はははっ、親方らしいね」
「正直、当てが外れてがっかりしたよ」
あたしがいるとパン焼き工房に利益がある——。
それを証明するため、職人たちと仲良くしたり、顧客を増やす努力をした。
でも、親方の心にはちっとも刺さらず。
それはそれ、これはこれだと弟子入りを認めなかった。
「だから、作戦を変更したんだ」
「売上に貢献してもダメとなると……」
問題の答えを考えるようにデルカさまが首を傾げた。
「追いかけまわしたんだ」
「えっ?」
デルカさまがぽかんとした。
「暇さえあれば、親方を追いかけまして言い続けたんだ」
「なんて?」
「弟子にしてって」
「それは親方は困っただろうな」
「うん、困ってたよ」
わたしはその頃のことを思いだして笑った。
「だろうね。それでどうなった?」
子供のように目を輝かせ、デルカさまが聞いてきた。
「一ヶ月くらいしてからかな、とうとう
「どんな風に?」
「頼むから勘弁してくれーって」
あたしは親方のモノマネをした。
声、表情、動きの全てにおいて似ていたらしく、デルカさまが大笑いした。
「親方には悪いけど……ヴィヴィ、よく頑張ったね」
「ありがとう」
あたしは頭を下げた。
「でもさ、少し心配なことがあるんだ」
先ほどまでの楽しい雰囲気が一瞬にして消えた。
細く長い気を吐く。
「どうしたんだい? できるかぎり力になるよ」
優しい声でデルカさまが聞いてきた。
心配事は工房内のことで、デルカさまは関係ない。
だから、言ったところで心配をかけるだけ。
それなら言わないほうがいい。
でも、デルカさまは相談してほしそうな目をしている。
どうしよう……。
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