第139話 おじさんの正体

 遠くからおじさんを呼ぶ声が聞こえてくる。

 呼んでいるのは、おじさんの姪のアリア。

 あたしと同じ年頃らしい。


伯父おじさまー!」

 アリアが呼んでいる。

「そろそろ戻る時間だな」

 面倒くさそうにおじさんが言った。

「戻るって……」

「伯父さま、ここにいらしたのですね」

 あたしの真正面に少女が現れた。

 

 綺麗な金髪に青い目。

 身長はやや低くて細身。

 

 あたしはアリアに見惚みとれた。

 どれほど欲しても、決して手に入らない容姿。


 ……羨ましい。


 あたしは燃えるような赤髪で、どこにでもある茶色の目。

 男と見紛みまがうほどの長身に加え、がっしりとした体格だ。


 軽いため息をつく。


 比べると悲しくなるのは容姿だけじゃない。

 服装から察するにアリアは令嬢だ。

 対してあたしは孤児。

 雰囲気も雲泥うんでいの差だ。

 全身から発せられる令嬢の空気感がアリアにはある。


 あたしは……?

 明るくて元気いっぱいの孤児?


 深いため息をついた。


「アリア。この子はパン焼き工房の……」

「伯父さま。お客さまがいらっしゃいました」

 アリアがおじさんの言葉を遮った。

 まっすぐにおじさんだけを見ている。

 まるで、この場にあたしが存在していないかのように……。


「急いでください」

 アリアが丁寧な口調で話した。

「ああ、わかった。いま行くよ」

 おじさんの表情がどことなく暗い。

「……じゃあ、ヴィヴィ。また明日」

「うん」

 あたしは返事をし、おじさんに背を向けた。

 出口へと向かっていくさなか——。


「伯父さま、急いで着替えてください」

「……この格好じゃダメか?」

「使用人と間違われても良いのですか?」

 叱るような口調でアリアが言った。


 使用人と間違われる?

 庭師は使用人じゃないの?

 

 あたしは首を傾げた。


「見知った相手だ。間違えたりしないさ」

 おじさんが笑いながら言った。

「……威厳いげんを保つべきです」

 きっぱりと言い放つアリア。


 威厳って?

 

 あたしは足を止め、ふたりの会話に耳を傾けた。


「威厳なんて保ったところで……」

「伯父さまはこの荘園の小領主なのですよ」

 アリアが怒ったような声で言った。


 この荘園の小領主……。

 ってことはつまり……。

 おじさんが……。


 あたしは振りかえり、おじさんの姿を眺めた。

 庭師のするような格好をしている。

 どこからどう見ても庭師。

 威厳のかけらもない。

 にこにこと笑顔の絶えない気の良いおじさんに見える。


 でも、おじさんは小領主。

 つまり、デルカ小領主さま……。


 あたしは大口を開けたまま、おじさん……小領主さまを見つめた。

 それと同時に、これまでの出来事がよみがえってくる。

 庭師のおじさんと決めつけて、軽い口調で話してきた。

 長椅子の隣に座ったり、お話をしたり、お菓子をもらったり……。

 小領主さまに対して無礼な行為ばかりしてきた。


 背中に冷たい汗が流れる。

 

 あたしはこの場から逃れるように駆け足で邸宅を出た。


 どうしよう。

 もし、失礼なことをしたり、言ったりしていたら……。

 邸宅への出入りが禁止になるだけならいい。

 工房や親方に迷惑をかけることになったら……。


 ああ、どうしよう。


 走って工房へ戻り、急いで親方を探した。

 パンを焼き終えたのか、親方は座って休憩している。

「親方!」

 あたしの叫び声に驚いたのか、親方の体がかすかにびくついた。

「ど、ど、どうしよう!」

 あたしは勢いよく親方の隣に座った。

「なんだ、ヴィヴィ。どうしたんだ?」

「あたし、ものすごい勘違いしていたんだよ」

「勘違い?」

 親方は尋ねながら、器に水を入れてあたしにくれた。

 それを一気に飲み干す。


「あたし、あのおじさんがデルカ小領主さまだって知らなくて」

「……ああ、そのことか」

 こともなげに親方が言った。

 少しも驚いた様子がない。

「もしかして、全部知ってたの?」

「ああ。あの手紙……」

「初めて配達に行ったときに預かった紙のこと?」

「それだ。ヴィヴィにパンを配達させるよう依頼があった」

「うん、覚えてる」

「あの紙にはいくつかの依頼が書いてあったんだ」


 依頼?

 ひとつじゃなくて?


 あのとき、親方に聞いたのはパンを届ける依頼だけ。

 ほかにもあったなんて初耳だ。


「配達し終えたあと話し相手になってもらうこと」

 親方の言葉にあたしはうなずいた。

 そのことはおじさん……デルカさまから直接聞いたから知っている。


「あとひとつ。届ける相手が小領主さまであると伝えないこと」

「……どうして?」

 あたしは質問した。

「さぁ、そこまでは書いてなかった。気になるなら直接聞いてみるんだな」

「……叱られない?」

「いまさらなにを……これまで小領主さまと知らずに話してきたんだろう」

 親方が笑った。


 たしかにそうだ。

 なにも知らなかったとはいえ、小領主さまに対して無礼だったと思う。

 おじさんと呼び、横に座って一緒にお菓子を食べた。

 近所のおじさんと話すような口調で会話をした。

 もしかすると、気づかないうちに無礼なことを言ったかもしれない。

 

 ど、どうしよう……。

 

 不安になった。

 でも、いくら後悔しても過去には戻れない。


「心配するな。デルカさまはお優しい小領主さまだ」

「うん」

 同感だ。

 教会にいる修道士さまたちより何倍も気さくでやさしい。

「まぁ、今後は注意するんだな」

 親方は大丈夫だとあたしの頭をなでた。


 翌日——。


「デルカ小領主さま、おはようございます」

 あたしはデルカさまの真正面に立ち、失礼のないように挨拶をした。

 その様子をデルカさまが不思議そうな顔をして見ている。

「どうしたんだい、ヴィヴィ」

「パンをお届けにきました」

 あたしはパンが入った籠を差しだした。

「いや、そうじゃなくて……あっ」

 デルカさまがなにかに思い当たったのか手を叩いた。


「もしかして、昨日……とうとう気づかれてしまったか」

 ぺしっとデルカさまは額を打った。

「気づかずに失礼しました」

 あたしは深々と頭を下げた。

「いや、親方に黙っているようお願いしたのは私だ」

「それでも……」

「私とここで会うときは、これまで通り普通のおじさんとして接してほしい」

 優しげな眼差しであたしを見つめている。


「でも……」

 あたしは視線を左右に走らせた。

「よし。今日からヴィイヴィにふたつ依頼をしよう」

 デルカさまは笑顔を浮かべた。

「ふたつ?」

「そうだ。ひとつは……」

 そう前置きをし、デルカさまはあたしの手を握った。

「できる限りでいいから、ここにいるときは前と同じようにしてほしい」

「うん。デルカさまがそう言うなら」

「ありがとう。もうひとつは……」


 あとひとつはなんだろう?


 あたしは首を傾げた。

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