第138話 これからの夢

 もうひとつ頼みたいこと?

 パンを届ける以外にあたしにできることなんてある?


 あたしは首を傾げた。  


「ここに座って」

 おじさんが長椅子の空いている部分を指した。

「……私と少しだけ話をする」

「えっ?」

 あたしは驚いた。


「ダメかな?」

 悲しそうな顔でおじさんが言った。

「ううん、そうじゃなくて……おじさんと話すのは仕事なんかじゃないよ」

「……」

 おじさんがしょぼんとしている。


「……仕事として受けられないけど、友達として話すのはいいよ」

「友達?」

「うん。失礼だったかな? 年上のおじさんを友達って呼んで」

「いや、嬉しいよ。こんなかわいい友達ができて」

 おじさんが一番の笑顔を浮かべた。

「あたしも嬉しい」

 あたしはおじさんの隣に座った。


「パンの配達の仕事を終えたら、友達として話し相手になってくれるかい?」

「もちろん」

「ありがとう。じゃあ、これ」

 おじさんはふところから布包みを出した。

「もしかして、お菓子? ……いらないよ。仕事じゃないから」

「これはお駄賃だちんじゃない。一緒に食べるおやつだ」

 話しながらおじさんが布包みを広げた。

 綺麗な色と形をしたお菓子がある。

「さぁ、食べならお話をしよう」

 おじさんがお菓子をひとつつまみ、あたしに手渡した。

「……うん」

 迷ったけど、あたしは素直にお菓子を受けとった。

 これは仕事じゃない。

 友達として一緒にお菓子を食べて話す。

 そう割り切った。


「配達の仕事をはじめて一ヶ月くらいかぁ」

 独りごちるようにおじさんが言った。

「うん、それくらいかな」

「仕事はどうだ?」

「どうもこうも……あたしの仕事はおじさんにパンを届けるだけ」

「……そうか」

 おじさんが残念そうにつぶやく。


「ヴィヴィのこれからの夢ってなんだい?」

 唐突に聞いてきた。

「えっ?」

「初めてここで会った日、夢について話してくれただろう?」

「……そんな話、したっけ?」

 あたしは頭をかいた。

「おじさんはちゃんと覚えているよ」 

「……? あたし、なんて言ってた?」

 自分が語った夢を覚えていない。 

 でも、おじさんはちゃんと記憶してくれている。

 なんだかちょっと嬉しい。


「女でもパンをちゃんと配達できるって親方に証明したい……って」

「ああ、思いだした! 言った、たしかに言った」

 あたしは手を打った。

「あのときの夢は叶った。だったら、次……これからの夢は?」

 興味津々といった感じの目であたしを見てくる。

「……笑わない?」

「もちろん。夢は大きく持つべきだ」

 おじさんが両手を広げた。


「美味しいパンを焼く職人になりたい」

 ずっと心に抱いていた。

 誰にも言わず、隠すようにして思い続けてきた夢。

 それなのに……。

 おじさんに打ち明けた。

「その思いを親方に伝えたかい?」

 お菓子を頬張りながら、こともなげにおじさんが言った。

 その問いにあたしは口をつぐんだ。


「……どうしたんだい? そんな顔をして」

 おじさんに指摘された。

 あたしがいま、どんな顔をしてるか自分ではわからない。

 でも、苦々しい表情をしているんだろうと思う。


「夢って、叶わないから夢っていうのかなぁ」

 ふと口から言葉が漏れた。

「いや。いまは無理でも、叶えられると信じることを夢っていうんだと思うよ」

 お菓子を咀嚼そしゃくしながらおじさんが言った。

「叶えられると信じること……」

「ヴィヴィの夢は絶対に叶えられないもの?」

「……どうだろう? でも、現状では無理だと思う」

 あたしはお菓子をつかみ、口に放りこんだ。

 噛めば噛むほど、口のなかが甘くなっていく。

 現実は悲しいほど甘くない。

 だから、せめて口のなかくらいは……。


「ヴィヴィの言う叶わない夢ってなんだい?」

 まっすぐにあたしを見つめ、おじさんがゆっくりとした口調で言った。

 自然と口が開いていく。

「美味しいパンを焼く職人になること」

「それは良い夢だね」

「でも、女のパン焼き職人はいない。弟子にもなれないんだ」

 悔しさに唇を噛んだ。


 親方に何度もお願いした。

 弟子にしてほしいと……。

 でも、少しも考えもせずに断られた。

 理由は聞かなくてもわかる。

 女の職人はいないから——。


「……そうか。でも、ヴィヴィ、よく考えるんだ」

 おじさんがあたしの両肩に手を置いた。

「女がパン焼き職人になってはいけないという法律はない」

「……そうなの? でも、現実に女の職人はいないわけだし」

「ついこの間までは、女のパン配達人なんていなかっただろう?」

 おじさんの言葉を聞き、あたしは目を見開いた。

「ヴィヴィ。きみが初めての配達人。不可能を可能にしたんだ」

 あたしの両肩に置いたおじさんの手に力がこもる。


「不可能を可能に……」

「そうだ。ヴィヴィが届けてくれるパンは本当に美味しい」

 にっこりとおじさんが笑った。

「それは、配達人が男だから女だからじゃない」

 おじさんはあたしの両肩から手を離した。

「ヴィヴィから受けとったから美味しいんだ」

 あたしの手を握り、力強い声でおじさんが言った。

「あたしだから?」

「そうだよ。届けるだけでも美味しいんだ。でも、焼いてくれたらもっと美味しいだろうね」

「……なりたい。ううん、絶対になる。パン焼き職人に!」

 あたしは拳を固めた。

 それと同時に、脳がパン焼き職人になるための計画を練りはじめる。


 そのとき——。


伯父おじさま」

 遠くから声が聞こえてきた。

 透き通るような綺麗な少女の声だ。


「誰?」

 あたしはおじさんを見た。

「……めいだよ」

「姪って?」

「おじさんの妹の娘」

「へぇ、姪ってそういう意味かぁ」

「ヴィヴィと同じ年頃だよ。名前はアリア」


 アリア……。


 あたしは声がする方を向いた。

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