第137話 新たな依頼

 トマソ親方が真剣な目つきで紙を見ている。

 表情から内容はさっぱりわからない。

 でも、パンを受けとったという単純なものではないのはたしか。


 親方は紙から視線を外し、あたしを見た。

「ちゃんとパンを届けてくれたようだな」

 親方があたしの頭をぽんぽんっと叩いた。

「うん」

 返事をしながらあたしは考えていた。

 

 またパンの配達を任せてもらえるかな?

 

 少し不安になった。


 パンを受けとってもらえなかったら、配達の仕事はあきらめると約束した。

 でも、その反対は?

 パンをちゃんと届けたら、また仕事をさせてくれる……。

 そんな約束、したっけ?

 ……覚えていない。


 もし、親方があたしを認めてくれたとしても……。


 あたしは工房内を見渡した。

 目に映る誰もがあたしをよく思っていない。


 女に配達を任せることを認めるだろうか?


 きっと認めない。

 そうなると、親方が配達を任せると言っても無駄だろう。

 大勢で反対されたら、親方だってあきらめるはず。


 あたしは肩を落とした。


「……明日から配達を頼む」

 親方がこの場にいる全員に届くような大声で言った。

 工房内の職人たちの誰もが作業する手を止め、こちらを睨んだ。


「えっ⁉︎」

 あたしは戸惑った。

 親方の発言は、あきらかに職人たちの不興ふきょうを買っている。

「親方、それはどういうことですか?」

「女にできる仕事じゃない」

「工房に女が出入りするなんて冗談じゃない」

 さまざまな反対意見が工房内に飛び交う。

 その意見ひとつひとつに対し、親方は黙って耳を傾けてる。

 

 反対意見が出尽くし、場が静まったところで親方が全員を見るように視線を送った。

「気持ちはわかる」

「だったら……」

「この子にはデルカ小領主さまの邸宅への配達を頼む」

「どうして?」

 職人が唾を飛ばしながら言った。

「小領主さまへの配達は失礼があっちゃいけない。だから女なんて……」

「第一あの邸宅は厳しいから、女の配達人なんて認めるわけがない」

 反論意見が止まらない。

 

「……依頼を受けた」

 落ち着いた声で親方が言った。

 その言葉に職人たちが首を傾げる。

「依頼って?」

「配達の?」

 職人たちの質問に親方がうなずく。

「正式に依頼があった」

 言いながら親方は紙を掲げた。


 あの紙……おじさんから預かったものだ。


 あたしはじっと紙を見た。


「……そういえば、名前を聞いてなかったな」

 なにか言いかけたあと、はっとした表情をして親方が聞いてきた。

「そうだっけ? えへへっ、あたしはヴィヴィ……ヴィヴィアナ」

「ヴィヴィか……よく聞け」

 親方が背筋を伸ばし、受けとれとばかりに紙をあたしに差しだす。

「うん」

 紙を受けとり、あたしは親方を見つめた。


「明日から、デルカ小領主さまの邸宅内の庭にパンを届けるんだ」

「あたしが?」

「そう。今日と同じ場所、相手に配達するんだ。できるか?」

 親方があたしの肩を叩いた。

「うん。ちゃんと場所は覚えているから迷わないよ」

 あたしは元気よく返事をした。


「いいか、みんな。これはれっきとした依頼だ」

 工房内に親方の声が響く。

 職人たちは渋々といった感じにうなずいている。

 だけど、内心では納得していない。

 それは顔を見れば明らか。


「……気にするな。ここでは金を払う依頼主が一番優先される」

 小声で親方が言った。

「うん。あたしなら大丈夫」

 笑顔で答えた。

「でもまぁ、うまいこと仕事を取ってきおったなぁ」

 感心するように親方がつぶやいた。

「……? あたし、なにもしてないけどなぁ」

「そうなのか? ……まぁ、依頼主の気持ちがわからんでもないなぁ」

 意味深いみしんに微笑み、親方は去っていった。


「おはようございます」

 あたしは昨日と同じ時間にパン焼き工房にやってきた。

 工房内が焼きたてにいい匂いに包まれている。

 それを鼻からいっぱい吸いこみ、体内に留めた。


 空のかごを準備し、パンが焼きあがるのを待つ。

 そのあいだ、職人たちの様子をうかがった。


 各家庭で作って持ちこまれたパンを釜に入れる焼き職人。

 生地作りから注文されて粉を練る職人。

 それを成形するする職人。

 いろいろな作業をする職人が必死に働いている。

 そのなかに、ひとりとして女はいない。


 あたしは焼きあがったパンを受けとり、パン焼き工房を出た。

 デルカ小領主邸宅に急ぐ。

 邸宅の正面に立つ警備兵に挨拶し、裏口に回ることを告げた。

 すると、事前に連絡があったのか、すんなりと事情を察してくれた。


 パンを届ける庭は、裏口を通ったほうが断然近い。

 だから、そこを通る。

 昨日の記憶を頼りに庭に向かった。

 すると、昨日はなかった木製長椅子におじさんが腰掛けていた。


「おはようございます。パンと届けにきました」

 元気よく朝の挨拶をした。

「おはよう。今日も元気だね」

「はい、それだけが取り柄だから」

 あたしは籠をおじさんに渡した。

「ありがとう……ここに座りなさい」

 籠を受けとりながら、長椅子を見た。


 おじさんの隣に座れってことだよね?

 でも……。


 あたしはものすごく悩んだ。

 小領主さまは荘園のなかで一番のお金持ち。

 それだけじゃなく権力者だ。

 その小領主さまの邸宅に入るだけでも大事おおごと

 まして椅子に座るだなんて……。

 おまけに、あたしは孤児だ。


 あたしは首を横に振った。

「仕事中だから……」

 当たり障りのない理由を告げようとした。

「名前を教えてくれるかな」

 あたしの言葉を遮るようにおじさんが質問してきた。

「……ヴィヴィアナ。みんなはヴィヴィって呼んでる」

「ヴィヴィアナ——元気という意味だね。きみにぴったりの名だ」

「ありがとう」

 あたしは笑顔を浮かべた。


「ヴィヴィ。今日からのきみの仕事だけど……」

「はい」

「パンを届けてもらう以外に、もうひとつ頼みたいんだ」

「?」

 あたしは首を傾げた。

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