第134話 パン焼き職人の世界に女がいない訳

「おまえ、でかいけど何歳だ?」

 修道士があたしをジロジロと見ながら聞いてきた。

 あたしは指を五本立てる。

「五歳か? その割には背が高いな。本当は男じゃないのか?」

 下卑げびた笑みを浮かべている。

 

 こいつ、嫌いだ。


 あたしは修道士を睨んだ。


「いいか。ここでは修道士が一番偉いんだ」

 修道士が胸を張って言った。

 なにを馬鹿なことを最初は思ったけど、すぐに真実だと気づいた。

 修道士は食べ物や仕事を差配さはいする役割をになっている。

 つまり、修道士の気持ちひとつで貰える食べ物が増えたり、減ったり。

 仕事も同じだ。

 修道士に嫌われたら、きつい仕事をあてがわれる。

 下手をすると、仕事がもらえないことも……。

 だから、孤児たちは修道士に媚びへつらう。


 最初はそんな孤児たちを軽蔑した。

 でも、すぐに気づいた。

 孤児たちは賢明だと。

 生きるために戦っている。

 その戦いに負ければ、死へとまっしぐら。

 

 戦うか、否か——。

 それは自由。

 

 生きたい理由も目的もない。

 でも、本能が告げる。

 生きたい、と。

 だから、戦うと決めた。


「修道士さま。今日も差配、お疲れさまです」

 あたしは笑顔を浮かべ、明るい声で修道士に挨拶をした。

 すると、修道士がちらりと視線を送ってきた。

 そこでもう一度、満面の笑顔を浮かべる。

「……ああ」

 修道士は特になにも言わない。

 そのまま立ち去っていく。


 それでいい。

 修道士が用もなく孤児に声をかけたりしない。

 だから、返事をくれるだけでも上出来。

 こうなるまでに半年かかった。


 まずは声をかけ、存在を知らしめる。

 次に顔を覚えてもらう。

 ここまでは完璧。

 いまは挨拶を返してもらう作戦を実行中だ。

 全員とはいかないけど、半分以上の修道士から反応がある。

 この調子で頑張ろう。


「おはようございます、パオロ修道士さま」

 反応がある修道士には、ちゃんと名前をつけて挨拶をする。

「ああ、今日も元気だな」

 パオロ修道士がにこりともせずに言った。

「はい。元気だけが取り柄ですから」

 これでもかというくらい、笑顔で答える。

「……」

 修道士がじっとあたしを見ている。

 なにか思案している表情だ。


 この顔はもしかして……。


 あたしはぴんときた。

「お仕事ですか? なんでも言いつけてください」

 チャンスを逃すまいとすかさず声をかける。

「……男だったらなぁ」

 パオロ修道士がつぶやく。

「男だったら? 女ではダメですか?」

 あたしは上目遣いでパオロ修道士を見つめた。

 パオロ修道士は黙っている。


「やらせてください」

「……男の仕事だから」

 ぼそっとパオロ修道士がつぶやく。

「女だってできます。やらせてください!」

 あたしは深々と頭を下げた。

「女のおまえでもできるとは思うが、先方がなぁ……」

 言い淀んでいる。

「会わせてください。あたしが直接お願いしてみるから」

 あたしは同情を引くような目でパオロ修道士を見つめた。

 パオロ修道士は困ったように頭をいている。

「わかった。もうすぐ先方が来るから、直接交渉してみろ」

「ありがとうございます、ありがとうございます」

 あたしは何度もお礼を述べ、頭を下げた。


「……女?」

 パオロ修道士に紹介された老人は、あたしを見るなり嫌悪感に満ちた目をした。

「はい、女です。なにか問題でも?」

 老人に好印象を持ってもらおうと、いつも以上の笑顔を浮かべた。

「パン焼き職人の世界には女はおらん」

 突き放すように老人が言った。

「女がいない?」

「そうだ」

「これまで一度も女がいなかったんですか?」

「ああ。だから……」

「だったら、あたしが一番最初になる!」

 あたしが笑顔で答えると、パオロ修道士と老人がぽかんとした表情になった。


「……ダメだ」

「どうして?」

 あきらめきれず、理由を聞きだそうとした。

「パンを焼くのはもちろん、今回探している配達人も男がやるもんだ」

「女だってパンを焼いたり、届けたりできるよ」

 あたしは老人に詰めよった。

 老人は開きかけた口を閉じ、細く長い息を吐いていく。

 それから、意を決したようにあたしの目を真っ直ぐに見た。

「例えできたとしても、お客さまが女が運んだパンを受けとると思うか?」

 

 あたしは老人の言葉に唖然あぜんとした。

 

 どうして?


 疑問に思った。


 男だとよくて、女だと受けとってもらえないってどういうこと?


 考えているさなか、引っかかりを覚えた。


 教会で暮らしていると、口には出さないけど明らかに差別を感じるときがある。

 それは仕事の割り振りのとき。

 男の子のほうが女の子より仕事をもらえる確率が高い。

 優先的に男の子に割り振っている気がする。

 それに食事も同じだ。

 男の子のほうが多めにもらえる場合が多い。


 教会と同じことがパン焼き職人の間にもある?


 嫌な気持ちになった。


「昔からそうだ。女のパン焼き職人はいない。だから、配達の仕事も……」

「お客さまが受けとってくれるなら、女でもいいんだよね?」

 老人が最後まで言い終えるより先に、あたしは口を挟んだ。

 老人は戸惑っている。


 このひと、悪い人じゃない。


 そう感じた。

 凝り固まった考えの持ち主なら、即座に却下するはず。

 でも、目の前の老人は悩んでいる風に見える。

 女だからという理由で断っているんじゃない。

 お客さまが受けとらないだろうと考えたから断っている。

 だったら……。


「試しに届けさせて。それで、お客さまに断られたらあきらめるから」

 あたしは老人の手を握り、じっと見つめた。

 老人は困ったように目をそむける。

 逃してなるものかと、あたしはなんとかして老人と目を合わせた。


「……あぁ、もう、わかったよ」

 吐き捨てるように老人が言った。

「本当? やったぁ。ありがとう、おじいさん」

「受けとりを拒否されたら二度とやらせないからな。いいな?」

 老人が念押ししてくる。

「うん、約束する」

 あたしは老人の手をぎゅっと握った。


 翌朝、あたしは早起きしてパン焼き工房へ行った。

 すでにパンを焼く職人が働いている。

 昨日出会った老人はどこだろうかと視線を走らせた。


 いた!


 大きなかまの前に老人が立っているのを発見。


「おじいさん、おはよう」

 あたしは元気よく声をかけた。

「おぉ、来たな。いいか、これからわしのことをトマソ親方と呼べ」

「はい、トマソ親方!」

 大声で叫んだ瞬間、工房内のパン焼き職人たちが一斉にこちらを向いた。

 誰もがいぶかしげにあたしを見ている。


 女がいる——。


 誰も言わない。

 でも、目がそう言っているのに気づいた。

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