第109話 女性たちの噂話

 楽しそうに炊きだしを手伝っているジェロ。

 その姿を私は横目で観察した。


 笑顔でお粥を手渡している。

 ときおり、庶民たちの訴えに耳を傾けては安心させるように答える。

 なにかたくらんでいる様子はない。

 

 よくわからないというのが正直な感想。 

 疑いを持ってジェロの様子をずっとうかがっている。

 でも、一向に不審な行動は起こさない。

 それどころか、炊きだしを庶民に定着させるのに一役買ってくれている。


 なにも企んでいない?

 ううん、違う。

 彼は商人だから目的があるはず。

 でも、そんな様子は見受けられないし……。

  

 もしかすると、いまは本性を隠して信頼を得ようとしているのかもしれない。

 その後、本性を現わす。

 食糧の仕入れ値を上げるとか。

 場所代を要求したり、手伝い料金を請求したり……。


 考えたらキリがない。

 やめよう。

 いまは目の前の炊きだしに集中しないと。


 明日の炊きだしのため、食糧の残りを確認しようとその場を離れた。

 後方にある小屋に入り、野菜を調べていると……。

 

「……よね」

「……そうなの?」


 小屋の外から女性の声が聞こえてきた。

 とても楽しそうな声だ。

 なんとなく手を止め、耳を傾けた。


「だってそうじゃない」

「まぁ、そうよね。これまで炊きだしをやってなかったし」

 

 炊きだし?

 私のこと?


 ううん、違うわ。

 炊きだしは前からやっているし……。

 なんの話かしら?


 小屋の側面に近づき、耳を澄ませた。


「目的はアリアお嬢さまよ」

 自分の名前を呼ばれ、心臓が激しく動いた。

 

 私?

 目的が私ってどういうこと?


「あぁ、なるほど。だから、ジェロは手伝っているのね」

「そうそう。庶民のためとはいえ、意味もなく炊きだしを手伝ったりしないでしょう」


 ジェロ?

 

「納得ね。アリアお嬢さまを狙っているのは間違いないわ」

「同感。美男美女で絵になるわね」


 ……そうか。

 そういうことだったのね。


 ようやくジェロが苦手だった理由がわかった。

 彼からの好意を無意識に感じていたようだ。


 深く、長いため息をついた。


 面倒くさいな。


「たしか、パッツィ小領主さまには男の子供がいなかったわよね」

「うん。だから、ジェロがお嬢さまと結婚したら次の小領主になるかも」

「……もしかして、ジェロはそれを狙ってる?」

「そりゃ、そうでしょう。ジェロは商人なんだから」


 本当に面倒くさい。

 

 父が小領主になってから、同年代の男たちが私に近づいてきた。

 理由は明白。

 跡継ぎの座だ。


 その事実に父が気づかないはずがない。

 その証拠に、私を完璧な令嬢に仕立てあげようとしている。

 完璧であればあるほど、妻に欲しいと名乗りをあげる男が増えていく。

 父はそのなかから選べばいい。

 もし、お眼鏡にかなう男がいなければ、自ら探すだろう。

 

 もう嫌だ。


 なにもかも投げ捨てたくなる。

 でも、それもできない。

 小領主の娘である限り……。


「ジェロがアリアお嬢さまと結婚したら、小領主の娘の夫としてますます商売繁盛」

「さすが、商人!」

 女性が弾むような声で言った。


 女性たちは自分に関係ない話のせいか、とても楽しそうだ。

 でも、当事者である私はとても不愉快。

 その話が本当か嘘かどうかなんて関係ない。

 噂のまととなって、庶民たちの娯楽の対象になるのが苦痛だ。

 当人の前で噂話をせずとも、私を見る目が全てを物語る。


 市場を歩くとき、炊きだしをするとき。

 誰かに見られたら、きっと私は感じる。


 小領主の座が欲しくてジェロが狙っているアリアお嬢さまはこのひとか——。


 言われなくても視線でわかる。

 目は口ほどに物を言うものだから……。


 でも、私はなにもできない。

 感情をあらわにして怒ることも、噂話を否定することも……。

 それは令嬢らしからぬ態度だから。

 父が望む令嬢として対処しなければならない。


 無言を貫き、感情を顔に出さない。

 常に沈着冷静。

 それが父が望むこと——。


 私は女性たちの声が聞こえなくなるのを待ち、小屋を出た。

 重い足取りで炊きだし場に戻っていく。

 

 お粥をもらおうと並んでいる庶民たちに目がいった。

 順番が来るのを待つあいだ、おしゃべりに花を咲かせている。

 見慣れたいつもの光景。

 でも、いまは違って見える。


 怪しげに動く口元。

 にやにやと下卑げびた笑みを浮かべる顔。

 高らかに笑うねっとりとした声。

 

 言葉にできない恐怖を感じ、私は視線を逸らした。

 大きく息を吸い、ゆっくりと吐いていく。

 そのあいだ、なんとな感じた。

 私に向けられた好奇心に満ちた視線を——。


 自意識過剰だ。

 女性たちの噂話を聞いて、神経が過敏になっているだけよ。

 

 でも、感じる。

 勘違いかもしれない。

 それでも、私はたしかに感じる。

 好奇の眼差しを——。


 どうにかしないといけない。

 それも早急に……。

 噂話の根源となった問題を解決しないと。


 根源——。

 それはジェロ。


 私は肩で息をした。

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