第110話 ふたつの本音

 ジェロをどうにかしないといけない。

 

 これは前々から思っていた。

 商人である以上、必ず炊きだしを手伝う思惑があるはず。

 それが女性たちの噂話通り、小領主の座を得るための第一歩なのかもしれない。

 もしかすると、予想外の理由の可能性も十分あり得る。

 どちらにせよ、このままの状態を放置できない。


「……アリア」

「えっ?」

 突然呼ばれて私は慌てて返事をした。

「どうした? 疲れたのなら……」

「なんでもありません」

 私は切り捨てるように強い口調で言った。

 

 気遣ってくれた相手に対する態度ではない。

 自覚している。

 わかっていてやった。

 私のことを失礼だ、可愛げがないなどと思ってもらえたら成功。

 

「……そっか。あんまり無理するなよ」

 ジェロはいたわりの言葉を言いながら、私の手から器を取りあげた。

 それから、視線で後ろを差す。


 休憩したら?


 そんな風に感じた。 

 私はなにも言わず、後ろに引っこんだ。


 ジェロは何事もなかったようにお粥を配り続けている。

 

 全くこたえていない。

 それどころか、本気で私を心配しているように感じる。


 悪いひとじゃない。

 そんなことは百も承知。

 でも、本性がわからない以上、警戒は必要だ。


 どうしたらいいんだろう?

 はっきり伝えたほうがいい?

 変な噂話が流れているから、もう来ないで……って噂話を口実に使う?

 商人は信用できないから……って本音を伝える?

 ううん、それはダメ。

 商団と取引きをしているから、本音は言えない。


「……アリア。これ、飲んで」

 考えるのを邪魔するように、ジェロが私に器を差しだした。

 器には水が入っている。

 私は首を横に振って拒否した。

「飲めよ。疲れているんだろう」

 有無を言わさず、ジェロが私の手に器を押しつけた。

 仕方なく受けとり、一口飲む。


「聞いてもいいかな」

 不意にジェロが言った。

「なんでしょう?」

 反射的に私は答えた。

「炊きだしだけど、これって小領主さまじゃなくてアリアが考えてはじめたんだろう?」

 その問いに私は否定も肯定もせず、ただじっとジェロを見た。

 

 予想外の質問だった。

 内容はもちろん、炊きだしをはじめた経緯を知っていることに驚いている。

 商人の立場からすれば、食料が売れれば事情なんでどうでもいいはず。

 それに、炊きだしは表向き、父が提案したことになっている。

 それなのに……。


「どうして知っているのかって?」

「ええ」

「炊きだしを手伝っているうちに、アリアのところの使用人たちと仲良くなったから」

 ジェロはちらりと炊きだしをしている使用人たちに視線を送った。


 なるほど。

 使用人たちは炊きだしをはじめた経緯を正確に知っている。

 納得した。

 秘密にしていたわけではないけど、使用人が他者に話すとは想定外。


「あっ、俺が無理に聞いたんだ。彼らは悪くない」

「ご心配なく。そんなことで罰したりしませんから」

「そっか、よかった」

 ジェロが笑顔を浮かべた。

 

「で、どうして炊きだしをしようと思ったんだ?」

 笑顔のまま、質問をした。

 私は水をもう一口飲んだ。


 炊きだしをはじめた理由……。 

 

 父にも聞かれた質問。

 あのときは本音と建前が頭に浮かんだ。

 そのあと、令嬢としての答えを返した。

 

 今回はどう答えるのがいいのだろう?


 ……よくわからない。

 ジェロの性格から考えると、なにをどう答えたところで受けいれるだろう。

 良い回答、悪い回答。

 そんな白黒はっきりした答えに意味は持っていない気がする。

 灰色でもいいから、私の本心を聞きたいのだろう。


 それならば……。


「よく考えて答えて」

 私が答えるより先にジェロが口を開いた。

「どういうこと?」

「答えによって、今後の食糧の値段を変えるつもりだ」

「……悪徳商人」

 思わず、言ってしまった。

 それも憎しみを込めた声で……。


「いいね、アリアらしくて」

 ジェロがにっこりと微笑んだ。

「私らしい?」

「うん、そう。アリアはいつも令嬢らしいことしか言わないから」

「それが普通では?」

「うーん」

 ジェロが唸り声を発し、腕を組んだ。

「私は普通の令嬢ではない?」

「さぁ、どうだろう。確実なのは本音を言いたいけど、言わないってことかな」

 

 本音、か……。

 指摘された通り、言いたいのに言えない。

 令嬢があるがゆえに。


「いいでしょう。本音を言います。その代わり……」

「なに?」

「食糧の値段を下げてください」

 私は交渉を持ちかけた。


 本音を言いたくない。

 いいえ、絶対に言えない。

 だから隠す。


 嘘はつきたくない。

 そのために言わないという形で本音を隠す。

 心苦しいけど、庶民たちのためになるのなら平気。

 耐えられる。


「いいよ。アリアの本音が聞けるなら」

 ジェロが満足そうにうなずく。

「父が小領主になった頃、外敵による侵攻があったのを覚えているかしら?」

「ああ、もちろん。想定されていたより小規模だったけど、庶民たちには大打撃だった」

「ええ。その影響で食糧難が起きたり、孤児が増加したり、治安が悪化したり……」

 言葉にするだけ胸が詰まる。

「いっときに比べて落ち着いてきたとはいえ、まだまだだよな」

「特に食糧問題は大きいって思ったの。だから、父に頼んで支援金をお願いしたの」

「なるほどね。でも、よくパッツィ小領主さまが金を出したよな。ちょっと意外」

 ジェロの表情が一瞬歪んだように見えた。

 

 気のせい?

 もう一度、ジェロを見た。

 すると、いつものにこやかな表情に戻っている。

 見間違いだったようだ。


「お父さまが炊きだしを指示したと公表すれば、賞賛を浴びるからと説得したの」

「なるほど。外面そとづらの良い小領主さまらしい」

 ジェロが苦笑いを浮かべている。


 なんだか変だ。

 よくわからないけど、ふと感じた。

 妙な違和感があるけど、その正体は不明。


 もしかして、罪悪感から?

 本音を話すと言ったのに、肝心なことを隠しているから?


 私はため息をついた。


 言えない。

 ふたつある本音のうち、ひとつは絶対に言えない。

 

 それは——。

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