第107話 お金と食糧の流れ

 仲介役を買って出たジェロが私に提示したふたつの条件。


 ひとつ、食糧の仕入れをジェロが所属する商団に一任すること——。

 本来、商団は商売人に食糧を卸し、商売人がそれを庶民に売る。

 それなのに、私は商売人からではなく商団から買わなければならない。


 残るひとつ、それはこれまでより高値で買うこと——。

 具体的な値段はわからない。

 だけど、こんな条件を突きつけてくるくらいだから非常識な値段だろう。

 

 冗談じゃない。


 私はこれでもかというくらいジェロを睨んだ。

 言葉にはしないけど、非難の意志を目で訴える。

 それに気づいたのか、ジェロが慌てたような素振りを見せた。


「誤解しないでもらいたいんだけど……」

 ジェロが取り繕うように言った。

「誤解? 高値で食糧を買わせようとしているのに?」

「いや、そうじゃなくて……」

「悪徳商人とはまさにあなたのことね」

 思ったことをそのまま口にした。

 令嬢の仮面が外れかけている。

 わかっているけど、怒りが止まらない。


「いや、だから、説明させて……」

「説明? 馬鹿言わないで。聞くまでもない」

 だんだんと早口になっていく。

 おまけに言葉遣いが令嬢らしからぬものになりはじめる。

「商団と商売人がグルになって、私からお金を巻きあげようって魂胆こんたんでしょう」

 止まらない。

 坂道を転がるように怒りが増し、令嬢の仮面が外れていく。


「あはははっ」

 突然、ジェロが大きな口を開けて笑った。

 それに驚き、私は口をつぐんだ。

「なにがそんなにおかしいの?」

 私は怒りを込めて言った。

「あっ、ごめん。笑ったりして」

 ジェロがお腹を押さえている。


 いぶかしげにジェロを見た。

 まだ笑っている。

 いい加減にして!

 そう言いたいのをぐっと堪え、代わりに睨みつけた。

 すると、ジェロはようやく笑うのをやめ、にっこりと微笑んだ。

「いつも冷静に振るまうきみが、まさか……」

 最後は言葉を濁し、また軽く笑った。

「小領主の娘らしくないって思ったんでしょう」

 怒りをおさめ、冷静になるんだと自分に言い聞かせながら言った。


「いや」

 ジェロが首を横に振った。

「えっ?」

「親しみやすいお嬢さまだなぁって思った」

 柔らかい表情を浮かべ、ジェロが私をじっと見た。

 思わず私は視線を逸らした。


 苦手だ、このひと。


 嫌いではなく苦手。

 一緒にいると、意味もなく自分がちっぽけな人間に思えてしまう。

 

 私は黙ったまま、視線をジェロに戻した。

 ジェロは思案するように頭をかいている。


「俺の話を聞いてほしい、アリア」

 名前を呼ばれ、私は戸惑った。

 ほとんどのひとは、アリアさまとかお嬢さまとか敬称をつけて呼ぶ。

 名前だけを言うのは父くらいだ。


「あっ、もしかして名前を呼んで気にさわった?」

 様子を探るようにジェロが言った。

「いいえ、構いません。ご自由に」

 私は即答した。

 名前で呼ぶなという権利は私にはない。


「それで、お話とは?」

 私は先を促した。

「アリアには高値で食糧を商団から買ってもらう。その金から仕入れの食糧代を引いた分を商売人に渡す」

 一旦言葉を切り、確認を求めるように私を見た。

 私はすぐさまうなずく。

「そのあと、俺ら商団が食糧をここまで運ぶ……」

「つまり、商団と商売人たちで割増料金分を山分けするってことね」

「いや、違う」

 即答した。


 違う?

 そんなはずはない。

 割増料金をせしめて、それを山分けする以外になにがあるというの?


「それだと、アリアが損をする」

「ええ、その通りね」

「誰かが損をするのは取引きとは言わない」

 強い口調でジェロが言った。

 澄んだ青い瞳が私をじっと見つめている。


「割増料金を払った私が損をしないって……どういうこと?」

「俺が責任を持って、これまで通りの相場で支払った分の食糧を届ける」

 間髪容かんぱついれずにジェロが答える。

「割増し分だけ支払う金額が増えるけど、入ってくる食糧も……」

「そう、増える。食糧が多ければ、庶民に提供するお粥の量も増える」

「ええ、そうね」

「多くの庶民に喜ばれる。つまり、アリアにとって損はない」

 ジェロの説明に私は納得し、うなずいた。


「商売人たちは割増料金分だけ利益が上がるから、炊きだしに文句を言わない」

 この説明にも納得できる。

「ちょっと待って。私は商団から食糧を買うのよね?」

「うん、形式上は」

「つまり、本来商団と商売人たちの間でお金と食糧が交換されるけど……」

 途中まで話したところで、ジェロが大きくうなずいた。

「今回は特別。商団と商売人の間でもこれまで通りの契約で売買して、食糧は俺らが運ぶ」

「……そう、なのね」

 返事をしたものの、ひっかかりを覚えた。


 これまで通りの契約で売買——。


 あれ?

 なんだかおかしい。

 

 直感的に思ったけど、違和感の正体がわからない。

 妙な気持ち悪さを感じる。


 頭のなかでジェロが提案した取引きを思い浮かべた。

 食糧とお金の流れを追っていく。

 

 私がお金を払い、それで商団が食糧を……。

 割増料金は商団経由で商売人に渡り……。

  

 頭のなかで流れていたお金と食糧が止まった。

 

 あっ……。


 違和感の正体をつかんだ。

 

 予想通りなら、別の疑問が出てくる。

 その答えを探そうと思案した。

 でも、見つからない。

 それならば、直接聞いてみよう。


「私と商売人たちの利益はわかったわ」

「よかった、納得してもらえて。じゃあ、この取引きに応じてもらえるよな」

 ジェロが笑顔を浮かべた。

「納得はしたけど、まだ取引きするかどうかはわからないわ」

 私が答えると、ジェロが不思議そうな顔をした。

「どうして?」

 ジェロが首を傾げる。


 わざとだろうか?

 それとも、あえて言わないのだろうか?


 ジェロの真意をはかりかねる。


 取引きとは、誰かが損をするものではないと言っていた。

 それなのに……。


 私は商団から食糧をこれまでの相場で買う——支払いは増額するけど、得られる食糧も増える。

 実際に食糧を運搬するのは商団だけど、形式的には商売人はこれまで通りの契約で食糧を売買。

 商売人は商団を通じて割増料金が得られる。


 一見すると普通の取引きに思える。

 でも、よく考えるとこの三者のお金と食糧の関係がおかしい。


 私は疑問を抱いた。

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