第105話 炊きだしでの大騒動

 十年前——。

 私は父に市場での炊きだしを提案した。

 目的は貧困にあえぐ庶民たちに食糧を提供するため……。


 *


「炊きだし? なぜだ?」

 父がいつも以上の真面目な顔で聞いてきた。

 一瞬、私は言葉に詰まった。

 理由がないからじゃない。

 本音を見透かされているような気がしたから。


 息の詰まる屋敷から出られるから、とは言えない。

 もちろん、庶民たちを救済したい気持ちを持っている。

 でも、炊きだしを行う理由のひとつにすぎない。

 本心は……。


「救済が目的か? それとも屋敷から出る口実か?」

 父は私の思うところをずばり突いてきた。

 とても返答に困る。

 救済だと言えば表向き父は納得するだろう。

 けど、内心では嘘をついていると思われる。

 屋敷を出る口実だと答えれば、炊きだしを却下するだろう。


「庶民を救済すれば、小領主であるお父さまは賞賛されます」

 私は平静を装って話した。

 父はゆっくりとうなずく。

「それに、小領主の娘である私の存在を庶民たちに広める機会になりましょう」

 言葉と共に笑顔を添えた。


「……いいだろう。予算はエトーレに渡しておく」

 父が満足げに答えた。

 

 私が言った言葉に嘘はない。

 だけど、本心もない。

 それは父も気づいているはず。

 表面上、私が令嬢としての発言と振る舞いを見せれば父は満足する。

 内心、私がどう思っていようがどうでもいい。

 父はそう考えている。

 本心を表に出さなければいい……。


「ありがとうございます、お父さま」

「小領主の娘の名に恥じないよう、しっかりやりなさい」

「はい」

 父に背を向けるまで、私はしっかりと令嬢の仮面を守った。


 本心では様々な思いが渦巻いている。

 屋敷から出られる喜び、小領主の娘としての責務、炊きだし成功への重圧。

 それらを背負い、私は炊きだしの準備を進めていった。



 市場で炊きだしをはじめて数日間。

 お粥を求めて詰めかける庶民たちが予想以上に多く、多少の混乱はあった。

 でも、おおむねうまく回っている。


 今日もいつも通り、炊きだしをはじめた。

 すると、大勢の庶民たちが我先にとやってくる。

「一列に並んでください」

 屋敷の使用人が群がる庶民たちに声をかけた。

 でも、庶民たちの耳には届かない。

「お粥は十分にあります。押さないでください」

「全員分ありますよ」

 いろんな声かけでようやく庶民たちが落ちつきはじめる。

 ところが——。


「邪魔だ、どけっ」

 並びはじめた庶民たちに割ってはいるように、図体の大きい男たちがやってきた。

 どの男も私を睨みつけている。

 お粥が目的でないのは一目瞭然いちもくりょうぜん。 

 

 怖い。

 迫りくる男たちの迫力と睨みつける目。

 体が震えそうになるのを必死にこらえる。

 ここで令嬢の仮面を外せない。

 威厳を持って対応する必要がある。


 恐怖に負けじと顔を上げた。

 男たちを見る。

 それから近くで待機しているエトーレに視線を送った。

 いまにも飛びださんばかりの勢いだ。


 来ないで——。


 目で訴える。

 ここでエトーレがやってきたら、確実に男たちを撃退できるだろう。

 でも、それではダメだ。

 私がこの場をおさめなければならない。

 小領主の娘として——。


 エトーレが苦渋に満ちた表情を浮かべ、動きを止めた。

 それでいい。

 私はエトーレに向かってうなずいてみせた。


「なにかご用でしょうか?」

 丁寧な口調で男たちに尋ねる。

 恐怖心を押し殺し、口元に笑みを浮かべた。

「ご用?」

 先頭の中年男が吐き捨てるように言った。

「俺らの商売を邪魔しやがって」

 別の男が喧嘩腰に怒鳴る。

「商売? 無償で庶民たちに炊きだしをしているだけです」

 現状を包み隠さず話し、とりあえず様子をみる。

「おまえらが炊きだしなんてやるから、食糧が売れないんだよ!」

 中年男が唾を飛ばす。


 ようやく男たちの正体がわかった。

 食糧を売る商売人。

 私たちの炊きだしの結果、売りあげが減ってしまった。

 だから、怒っているのだろう。


「売れなくなったのは、あなたたちが食糧の値段を上げたからでしょう」

 思ったことを口にした。

 その途端、男たちの目の色が変わった。

「世間は食糧難なんだ。卸値おろしねが上がっているから仕方ないだろう」

「俺らだって通常の値段で売りたいさ」

「そうだ、そうだ。俺ら商売人は庶民に味方だ」

 口々に反論してくる。

 それも必死に。


「味方? でしたら、炊きだしを邪魔するのはなぜですか?」

 疑問をていした。

 それが気に食わなかったのか、商売人たちが一斉に暴れだした。

 お粥が入った鍋をひっくり返す。

 器を地面に叩きつける。

 手伝いの使用人たちに乱暴を働く。

 様々な妨害行為をはじめた。


「やめてください」

 私は思い切り叫んだ。

 でも、炊きだしの場は騒然として誰も聞きいれない。

 庶民たちは逃げまどい、商売人たちは暴れ、使用人たちは応戦する。


 このままではまずい。

 私はエトーレに視線を送った。

 

 助けて——。


 エトーレだけでこの場をおさめるのは難しいだろう。

 でも、放っておけない。


 エトーレが走りだす。

 その直後——。


 辺りに大きな音が響いた。

 この場にいた誰もが一斉に動きを止める。

 何事だろうかと音がした方を向いた。


 地面に割れた鍋の破片が散らばっている。

 どうやら鍋を地面に打ちつけて壊したようだ。


「みんな、聞いてくれ!」

 割れた鍋のそばに長身の同年代の少年が立っている。

 見事な金髪に大きな青い目。

 この場に似合わない笑顔を浮かべ、周囲を見渡している。

「落ちついて」

 よく通る声を張りあげ、この場を仕切るように言った。

 すると、誰もが争いをやめて少年に注目しはじめる。

 誰ひとり視線を外さない。


「……ジェロ」

 商売人のひとりが呟いた。

 

 ジェロ?

 金髪の少年を見つめた。

 明るい声と表情、その場を仕切る存在感。

 私とは正反対の存在だ。


 彼は何者なの?

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