第92話 天性の商人

「ど、どうすればいいの……」

 ヴィヴィが不安げに僕を見ている。

 

 取り引きに応じても応じなくても、商団には傷がつく。

 どちらがより被害が小さいか……。

 その判断も僕にはできない。

 ジェロに託すべきだ。


「さぁ、どうする?」

 ジュゼッペが決断を迫ってくる。

 商売人たちも僕に注目し、視線で答えを急かす。


『僕では判断できないから、ジェロが戻っ……』

 下した決断をヴィヴィを通じて伝えようとしたとき——。


「取り引きは応じません」

 突然、背後から声が聞こえた。

「⁉︎」

 僕たちは一斉に振りむき、声の主を探した。

 教会の側面からダンテがゆっくりと歩いてくる。

 それともうひとり——。


「ジェロ!」

 ヴィヴィが嬉しそうな顔をして叫んだ。

「遅くなって悪かったな」

 ジェロがこちらに向ってくる。

 僕の横を通りすぎるとき、ぽんぽんっと軽く頭を叩いた。

 もう大丈夫、頑張ったな。

 そんな風にねぎらってくれたような気がした。


「応じないってどういうことだ?」

「言葉の通りの意味ですよ」

 ジェロがジュゼッペの真正面に立った。

「……じゃあ、今回の一件を小領主さまに訴えてもいいんだな」

 脅し文句のようなセリフだけど、ジュゼッペの目元には笑みが浮かんでいる。


 気のせい?

 まさかと思いながら、もう一度ジュゼッペを見た。

 全体的に穏やかな空気をまとっている。

 交渉が決裂した商売人の雰囲気じゃない。


「ジュゼッペさん、それはやめてよ」

 ヴィヴィがおろおろとしながらジュゼッペを見ている。

「いくらヴィヴィの頼みでも無理だなぁ。わしが提示した以上の取り引きがない限りは」

 なだめるような口調で話しながら、ジュゼッペはジェロを見ている。

 その視線がとても意味ありげに僕には見えた。

 

 取り引きに応じないなら、別のものを用意しろ。

 そんな風にジュゼッペが要求しているように感じる。


「今回の一件は、俺の不手際が招いた結果です。申し訳ありません」

 ジェロは深々と頭を下げた。

 その姿をじっと見ている商売人たち。

 僕を責めたてたときとは違い、誰ひとりとして非難の声を上げない。


「不手際? それはどういうことだ?」

 ジュゼッペが落ちついた声で質問した。

「前回から卸したネウマ譜ですが……」

 ジェロは話しながら、偽ネウマ譜を手に取った。

「これまでと違ったものを卸しました。それをみなさんに伝えるを忘れてしまい……」

 もう一度、ジェロが頭を下げた。

「ご迷惑をおかけしました」

 顔を上げるや否や、ジェロは偽ネウマ譜の一部分を指した。

 暗号ネウマ譜の記法で書かれた重音部分だ。

 

「従来のネウマ譜を改良したんです」

 言いながら、ジェロは次々と重音部分を指していく。

「どういうことだ?」

「新たなネウマ譜——記法を編みだしたんですよ、レオが」

 ジェロが僕を見た。

 この場にいた全員が僕を見ている。


 嘘じゃない。

 暗号ネウマ譜を作ったのは僕だ。


『う、うん』

 恐る恐るうなずく。

「複数パートを一枚のネウマ譜で確認できる優れもの」

 ジェロは偽ネウマ譜を掲げてみせる。

「この新しい記法で採譜されたネウマ譜を買えるのは、俺らの商団だけ」

 自信満々に胸を張っている。


 これも嘘じゃない。

 この異世界ではおそらくまだない記法で記されている。

 

 でも……。

 ジェロの説明は全てあとづけ。

 

「新しいネウマ譜?」

 商売人たちが互いに顔を見合わせている。

 本当だろうかといった疑いの目だ。

「そうです。さっき、修道士さまの聖歌を聴いたでしょう」

 ジェロが商売人たちの懸念を払拭ふっしょくするように申し添える。

「ああ、聴いた」

「ふたつのパートが一枚に記されていたなぁ」

 場の雰囲気が変わった。

 疑いではなく確信に満ちている。

「他にないネウマ譜となると、高値で売れるな」

「他の荘園の教会にも売りこめるぞ」

 一気に商売人たちの気分が盛りあがっていく。

 

 さすがは商人。

 物はいいようだなぁと思う。

 僕が事件化を防ごうとしていたのに対し、ジェロは新たな商売へと繋げる策を取った。


 —— わしが提示した以上の取り引きがない限りは。

 ふとジュゼッペの言葉を思いだした。


 商団を小領主に突きだすより利益が得られる——。

 ジェロはジュゼッペより好条件の取り引きを提示した。

 利益をはじめ、新製品を真っ先に売る機会を与える、これが取り引き。

 それに商売人たちが見事に乗った。


 満足そうにジュゼッペが微笑んでいる。


 もしかして……。

 僕は不意に思った。 


「もしかして、ジェロが綺麗に解決してくれるって思ってたの?」

 ヴィヴィがジュゼッペに近づき、小声で言った。

「思った? いいや、信頼してたのさ。ジェロなら丸く収めるってな」

 ジュゼッペは歯を見せながら笑った。

「あいつは天性の商人だ。どんな状況でも商売人を納得させ、儲けさせる」

「でもさ、もし……」

 ヴィヴィはちらりと視線をジェロに送った。

「もし、ジェロがこの場に来なかったら、どうするつもりだったの?」

「そのときは……」

 ジュゼッペが僕を見た。

 視線が痛い。


 僕を小領主に突きだす。

 ジュゼッペの目がそう言っている気がした。


「まさか、レオを突きだしたりしないよね?」

「うん? まぁ……ヴィヴィの友達だしなぁ」

 ジュゼッペが曖昧に答える。

「……それ、本心?」

「ジェロが来ないなんて選択肢は頭になかったさ」

 ジュゼッペはヴィヴィの質問に答えているようでいて、答えていない気がする。

 ヴィヴィも同じ思いらしく、複雑な表情を浮かべていた。

「なにはともあれ、一件落着」

 会話を終わらせるようにジュゼッペが言った。


 ジェロは商売人たちひとりずつに謝り、送りだしていく。

 最後に残ったのはジュゼッペだった。

 謝ろうとするジェロを手で制し、にこっと微笑む。

「真相の追求はおまえさんに任せるとして……」

 ジュゼッペは僕に向かって手を出してきた。

「レオだっけ? おまえさんもよく頑張ったな」

 ジュゼッペに予想外の言葉をもらい、僕は急いで首から下げた木札を出した。


 ——ありがとう。


 それを見たジュゼッペは一瞬、目を見開いた。

「いいってことよ。商売人に利益をもたらしてくれる奴は大事にしないとな」

 ジュゼッペは差しだした木札ごと僕の手を握った。

「じゃあな」

 ジュゼッペは手を振りながら去っていった。


「これで一件落着だな」

 ジェロが背伸びをした。

「まだだよ!」

 ヴィヴィが叫んだ。

 頬を膨らませ、怒っている。


 一件落着……していない?

 残る問題はなんだっけ?

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