第91話 分かれる意見

 僕はリコを見た。

『始めるよ』

 気持ちを視線に預ける。

 それはしっかりと届いたようで、リコがゆっくりとうなずいた。


 最初の一音、出だしを大切に口笛を吹く。

 ハモリパートと違い、主旋律は音が多い。

 そうなると、息継ぎのタイミングが重要だ。

 途中で息切れになるのは論外。

 息を繋ぎつつ、感情を乗せて吹く。

 それがとても難しい。

 

 なにがなんでも証明してみせる。

 商団を守るために——。


 火事場の馬鹿力。

 やればできる。

 念を自分に送った。


 一小節、二小節……。

 口からメロディが出てくる。

 完璧ではないけど、悪くもない。

 あとはリコに任せる。


 ハモリの部分まであと少し。

 緊張する。

 でも、リコは僕の比じゃないだろう。


 いよいよ。

 もうすぐ。

 ……次だ。

 

 リコ、任せた!


 僕はリコを見た。

 リコはちらりと僕に視線を送り、それから声を出す。

 高くて澄んだ声が辺りを包みこむ。

 音程はもちろん、音の長さも完璧。


 口笛と歌声の二重奏が流れる。

 ヴィヴィは緊張から解き放たれ、笑顔になった。

 ジュゼッペの口元が緩んでいる。

 商売人たちは……。


 僕はひとりずつ商売人の顔を見た。

 驚き。

 困惑。

 反応は様々だ。

 

 様子をうかがいながらも、僕は口笛を吹く。

 とても楽しい。


 声が出なくなったとわかったとき、鼻歌でさえも歌えないと落ちこんだ。

 二度と歌えない。

 歌手を目指していたわけじゃないけど、歌えなくなる悲しさに襲われた。

 その悲しみから完全に解放された気分だ。


 歌えない。

 その事実は変わらないけど、音を出すことで歌える。

 気持ちを伝える手段は声だけじゃない。

 いま、そう感じた。


 最後の一音。

 できるだけ頑張って音を伸ばす。

 リコみたいに息は続かないけど、やれるだけやった。


 終わった。

 ふっと安堵感から息が出る。

 それと同時にヴィヴィが拍手をした。

 続いてリコも。

「やればできるものですね」

 リコが僕の肩を何度も叩いた。

『うん、楽しかった』

「私もだよ」

 リコが握手を求めてくる。

 それに僕は応じた。


「で、どう?」

 突然、ヴィヴィが元気の良い声で言った。

 それから商売人たちを見渡す。

「どうって……まぁ、たしかに曲になっているなぁ」

「ああ。それってつまり、偽物じゃないってことか?」

 商売人たちの空気感が少し変化している。

 良い兆しだと思った矢先、若い商売人が足を踏み鳴らした。

「こいつと修道士はグルだ。教会も俺らをだましている」

 この言葉が発端となり、他の商売人たちも共犯説を唱えはじめた。

「そうだ。ぱっとネウマ譜を見ただけで歌えるわけない」

「全部仕組まれたことだ」


 嫌な流れだ。

 商売人たちの意見が二分している。

 どちらの意見が勝つか、それは声の大きさ次第だ。

 より強く主張した商売人の意見に流されていく。

 いま、この場は共犯説の声が大きい。

 このままでは最後の一手が失敗に終わる。

 そうなった完全にお手上げ。

 無実を証明する道が断たれてしまう。


「いや、違うな」

 ぼそっとジュゼッペがつぶやいた。

 その一声に場が静まりかえる。

 年長者のジュゼッペの意見を求める雰囲気が漂う。

 そのなか、共犯説を唱えた商売人が悔しそうに顔を歪めた。


「この修道士さまはよ、嘘をついていない」

 ジュゼッペが言い切る。

「どうしてそう言えるんですか?」

「……長年の感だ。嘘をつく者、騙そうとする者の見分けくらいつくさ」

 ジュゼッペが口元に笑みを浮かべた。

「そんな個人的な感情は理由にならない」

 共犯説を唱えた商売人が食ってかかるように言った。

「はぁん?」

 ぎろりとジュゼッペが商売人を睨む。

 目つきと口調、全身から発せられる雰囲気に商売人たちが息を飲んだ。

「商団と教会がグルっていうのは、おまえさんの個人的感情じゃないのか?」

「それは……」

 商売人が口をつぐむ。


「つまりだ」

 ジュゼッペが僕を見た。

「偽物じゃないと完全に証明されたとはいえない」

「そんな……」

 ヴィヴィが困惑している。

「全員が納得していない以上、しょうがないだろうなぁ」

 きっぱりとジュゼッペが言い放つ。


 ジュゼッペの言う通りだ。

 商売人たち全員が偽物じゃないと納得しなければ証明は失敗。

 

「とはいえ、偽物だと証明されたわけでもない」

 穏やかな目でジュゼッペはヴィヴィを見た。

「だったら、俺らはどうすれば?」

 中年の商売人がジュゼッペに指示を仰いだ。

「正直なところ、わしはこれが偽物でも本物でもどうだっていい」

 ジュゼッペの発言に商売人たちが驚いている。

「どうでもいい? いや、そんなわけには……」

「わしらは商売人。信頼と利益を失わないことが重要だ」

 ジュゼッペはヴィヴィの肩を叩き、僕を見た。

「……それってつまり、商団側が金銭的賠償を負えば問題にしないってこと?」

 ヴィヴィが複雑な表情をしている。

「わしらは真実より実利を取る。さぁ、どうする?」

 商売人らしく取り引きを持ちかけてきた。


 お金で今回の一件を片付けられるかもしれない。

 でも、それは同時に偽物を商団が卸した可能性を受けいれたことになる。

 白でも黒でもない、灰色のままに——。

 そうなれば、商団に傷がつく。

 不名誉だ。


 受けいれられない。

 いや、受けいれちゃダメだ。

 そんなことをしたら、商団がこれまでに積みあげてきた苦労が水の泡になる。

 でも、証明に失敗したいま、事件化を防ぐには取り引きに応じるしかない。


 決められない。

 でも、決めないといけない。

 この場にはジェロもダンテもいない。


 どうしよう……。

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