第88話 本物と偽物の違い
僕は心の準備を整えながら、耳をそば立てた。
聖歌が聞こえてくる。
練習は終盤だ。
終わる前に商売人たちに説明しなければならない。
「おまえが犯人じゃないって証明しろ」
商売人たちから声があがった。
『証明するのは最後。まずは説明を聞いてください』
僕はヴィヴィを見た。
ヴィヴィは無言でうなずく。
「証明する前に説明したいって」
「いいだろう。聞こうじゃないか」
ジュゼッペが僕を見た。
僕は深くうなずく。
『まず、これを見てください』
昨日、ヴィヴィが持ってきてくれた偽ネウマ譜を広げた。
商売人たちがそれを覗き見ている。
「俺らが売った偽物だ」
「ああ、そうだ」
誰からも異論は出ない。
次にネウマ譜保管小屋にあったネウマ譜を見せた。
これは本物。
偽物——暗号が付加される前の通常のネウマ譜だ。
「これがどうかしたのか?」
首を傾げる商売人。
『ここを見て』
僕は本物のネウマ譜の冒頭部分を指した。
続け様、偽物の同じ箇所を指す。
「同じ、だよな」
『そう同じ』
僕はうなずく。
どちらのネウマ譜も冒頭部分は同じ。
違いはない。
続いて、本物のとある部分を指す。
それから偽物の部分に指を置き、円を描くように動かした。
『ここに注目して』
「ここを見てほしいって」
ヴィヴィが通訳すると、ジュゼッペが偽物に顔を近づけた。
「こっちは記号がふたつ記されているな。書き損じか?」
「偽物だ!」
若い商売人が鬼の首を取ったように叫ぶ。
書き損じでも偽物でもない。
暗号を仕込んだ部分だ。
でも、それを公表できない。
だから、この部分を書き損じではなく、あえてこうしたのだと正当化する。
ここが重要。
もし失敗したら全て終わりだ。
『違う』
僕は首を横に振った。
「レオが偽物じゃないって言ってる」
ヴィヴィが発言すると、ジュゼッペ以外の商売人たちの目が吊りあがった。
嘘だと言いたそうな目をしている。
『記号がふたつ書かれた下の部分を見て』
ヴィヴィに伝えたあと、先ほど円で描いた部分を指先で小突いた。
「ここ、下の記号に注目」
号令と共に視線が僕から偽物に移動した。
『次は本物のここ』
僕は空いた手で本物のネウマ譜を指した。
偽物と同じ部分を示す。
「同じ?」
自信なさそうに若い商売人が答える。
『そう、同じ』
僕は大きくうなずいて見せた。
「じゃあ、これはなんだ?」
商売人が偽物のふたつの記号を指す。
『下の記号は本物と同じ』
「下は本物と同じ……ここまではいい?」
ヴィヴィは確認をするように商売人たちを見渡した。
みんな軽くうなずく。
『偽物にだけ上に記号があるよね?』
「上の記号だけど、これがあるのは偽物だけで本物にはない」
ヴィヴィの説明に全員が耳を傾けている。
僕は商売人たちの表情を確かめながら、耳を澄ませた。
聖歌の練習がもうすぐ終わる。
急がないと……。
『このふたつ目の記号は音を足した表記法なんだ』
「ん?」
ヴィヴィが首を傾げている。
うまく伝わらなかったようだ。
『ふたつ目の記号は書き損じじゃない』
「この記号は間違いじゃないって」
すぐさまヴィヴィが通訳した。
「だったら、この記号はなんだ?」
ジュゼッペが質問をした。
『重音……別のパートを記したんだ』
今度も伝わらないだろうなと思いながらゼスチャーをした。
案の定、ヴィヴィはまた首を傾げている。
音楽経験がないひとに伝えるのは難しい。
そのうえ、僕が直接説明できないからなおさらだ。
ひとりだけでも伝わっていればいいのだけど。
ヴィヴィと商売人たちの様子をうかがった。
誰の顔にもわからないと書いてある。
こうなることはある程度予想していた。
だから、焦りはない。
あとは僕の計画した通りに進むか……。
やるだけやって、あとは祈ろう。
改めて覚悟を決めた。
『それをいまから説明します』
「……記号の意味を説明するって」
ヴィヴィが不安そうに伝えた。
「レオ、大丈夫?」
心配そうな目で僕を見てくる。
……。
耳を澄ませた。
もう聖歌は聞こえてこない。
練習が終わった。
よし。
僕は教会に向かって歩きだした。
「レオ、どうしたんだ?」
ヴィヴィが追ってくる。
「おい、逃げるのかよ」
背後から商売人の声がした。
きっと僕を逃さないようついてくるだろう。
それでいい。
僕はみんなを教会の入り口に誘導した。
すでに教会のドアが開けられている。
急がないと。
僕は足早に進み、教会から出てきた修道士たちに目をやった。
年配の修道士たちが出てくる。
間に合った。
息を整えながら修道士たちのなかから協力者を探す。
すでに心に決めている。
今回の証明をするための能力を持つ人物。
あの修道士しかいない!
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