第87話 聞く耳を持たない商売人たち

 教会の側面に隠れるようにして僕は身を潜めた。


 この場所でこうやって隠れるのは久しぶりだ。

 とても懐かしい。


 不意に思いだした。

 まだ採譜師になる前のこと。

 教会の掃除を終え、聖歌が聴きたくてこの場所によく隠れていた。

 ここは教会の出入り口がよく見え、かつ聖歌が聴こえる絶好の場所だ。

 

 初めの頃は誰かに見つかったらどうしようと緊張した。

 時を経て、いまの僕も同じような思いでここにいる。

 でも、緊張の理由と度合いは全く違う。


 あのときと違って、いまは自分だけの問題じゃない。

 今回は商団の命運がかかっている。

 もとを辿れば、この一件は僕のせいだ。

 暗号ネウマ譜を考案するとき、書き損じをぞんざいに扱ったのが発端。

 それをカリファが拾い、利用されてしまった。

 

 僕の責任だ。

 だから、なんとかして商売人たちを納得させなければならない。

 偽ネウマ譜事件はなかった、と。


 聖歌の練習をしに修道士たちがやってきた。

 僕が見知っている修道士がたくさんいる。

 そのなか、念を送るように視線を一点に集めた。

 

 どうか僕を助けてください。


 その視線に誰ひとり気づかず、修道士たちは教会に入っていく。

 定刻が過ぎ、教会のドアが閉められた。

 これから聖歌の練習がはじまる。

 同時に僕も動きだす。


 ヴィヴィがうまくやってくれたなら、もうすぐ商売人たちがここにやってくる。

 僕は待った。

 聖歌が漏れ聴こえてくる。

 それに耳を傾けた。

 ここで隠れて聖歌を聴いたときの記憶がよみがえってくる。

 

 あの頃は、ただ聖歌を聴くのが楽しかった。

 その後、ネウマ譜を覚えて採譜師になり、そのおかげで商人に——。

 想像もしなかった人生のはじまり。

 それを今日で終わらせたくない。


 ぐっとお腹に力を入れた。

 みんなのために証明する。

 それと同時に僕自身のため、この異世界で生き続けるためにやるんだ。


「レオー!」

 ヴィヴィの声が聞こえてくる。

『ヴィヴィ!』

 僕は手を上げ、元気よく振った。

 ヴィヴィがこちらに向かって歩いてくるその背後に、商売人たちがいる。

 誰もが眉間に皺を寄せ、不機嫌そうだ。

 そんな彼らをヴィヴィがここまで連れてきてくれた。

 感謝しかない。


「話があるそうだな」

 一番年配の商売人が比較的冷静な声で言った。

 でも、表情は言葉とは裏腹に皺が深く刻まれている。

 怒りの表情だ。

「犯人はどいつだ?」

 別の商売人が怒鳴る。

「やっぱりおまえなんだろう?」

 若い商売人が僕を指差す。

 他の商売人たちが一斉に僕を睨んだ。


『違います』

「レオは犯人じゃないって」

 ヴィヴィがいまにも詰め寄ってきそうな商売人たちの前に立つ。

「みんな、冷静になれ。話を聞こうじゃないか」

 年配の商売人がこの場を制するように言った。

「でもよぉ、ジュゼッペさん」

 納得できない商売人は、しゃべりながら僕を睨みつけた。

「口がきけない孤児の話をどうやって聞けっていうのさぁ」

 他の商売人たちが申し合わせたようにうなずく。


「それなら心配ない。あたしが通訳するから」

 すかさずヴィヴィが答える。

 それに対し、商売人たちが不思議そうな顔をした。

「話せない奴の言葉をどうやって通訳するんだよ」

「レオの身振りや手振り、表情なんかであたしにはわかるんだよ」

 ぽんっと手で胸を叩くヴィヴィ。

「たとえそうだとしても、その言葉をそいつが言ったと証明できないだろう」

「そうだ、そうだ。あんたが言っているだけかもしれないじゃないか」

 怒りの矛先がヴィヴィに向いている。

 

 ヴィヴィに怒るなんてお門違いだ。

 怒りは全部僕に向けて。

 それを伝えようとヴィヴィに視線を送ったが、気づいてくれない。

 

「あたしはこう見えて賢くないんだ。だから、ネウマ譜の件を証明できない」

 ヴィヴィの発言にこの場にいる全員が目を丸くした。

「レオにしか証明できないんだ」

 ぽかんとするみんなを前にヴィヴィは言い放つ。


「はっ、はははははっ」

 突然、ジュゼッペが笑いだした。

「あたし、なにかおかしいこと言った?」

 きょとんとし、ヴィヴィが首を傾げた。

「いや、ヴィヴィらしいなぁと思ってな」

「あたし、らしい?」

「おまえさんはいつでも一生懸命だってことだ」

 顔面の皺は深いままだけど、ジュゼッペは笑顔だ。

「笑い事じゃないですよ、ジュゼッペさん」

「そうだよ。この孤児も小娘も信用できませんって」

 商売人たちが口々にジュゼッペに言った。


「信用?」

 ジュゼッペが先ほど発言した商売人を睨んだ。

 その商売人は亀のように首をすくめ、視線を左右に走らせている。

「ヴィヴィとはおまえらよりも長い付き合いだ」

 そう言いながら、ジュゼッペはヴィヴィの肩に手を置いた。

「えっ? そんなに長い?」

「パン焼き職人に弟子入りするって、親方を追い回していた頃からだから……」

「十年以上前だよ、それ」

「ああ、そうだな」

 好々爺こうこうやのような笑みでジュゼッペは宙を見つめた。

「わかったか、おまえら」

 突然、ジュゼッペに話を振られ、商売人たちは困惑している。

「そこの孤児のことは知らん。信用もなにもない」

 ジュゼッペが僕を見た。

 でも、睨んだり、怒りの眼差しではない。

「だが、ヴィヴィの友達だ。話を聞くくらいはお安いご用だ」

 ジュゼッペが宣言するように高らかに言った。

「さすが、ジュゼッペさん。よっ、男前!」

 ヴィヴィが持ちあげるように言った。


「……まぁ、ジュゼッペさんがそこまでいうのなら」

「ああ、そうだな。話を聞くくらいは別に……」

「俺らは犯人がわかればいいんだし」

 商売人たちの間から、話を聞く空気感が流れてきた。

「ありがとう。みなさん、本当にありがとう」

 ヴィヴィが深々とお辞儀をした。


 ヴィヴィのおかげで商売人たちが僕の話を聞く気持ちになってくれた。

 大きな一歩だ。

 あとは、いかに説明していくか。

 それは僕の役目だ。


 さぁ、やるぞ。

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