暗号師編

第41話 敵か? 味方か?

 時間が流れるのは本当に早いと思う。

 覆面男に弓矢を射られてから五年が経過した。

 僕のいまの年齢はおそらく十四歳。

 この世界にカレンダーはないから正確ではないかもしれない。

 でも、大体それくらいだと思う。

 

 十四歳かぁ。

 年齢のことを考えるたびに不安になる。

 どんどん本来の僕の年齢——十八歳に近づいていく。

 ここに居続けたら、いずれ追い越す。

 そうなったら、僕の生きる世界はここになってしまうのだろうか?

 わからない。

 どうなるのか……。

 

 それともうひとつ不安がある。

 孤児たちはある年齢を目安に教会を出て自立しなければならない。

 それが十五歳。

 つまり、僕はあと一年ほどで教会を出なくてはいけない。

 

 あと一年。

 そのあいだに自立への道筋を考える必要がある。

 同時に覆面男の正体や、もとの世界に戻る方法を探さなければならない。

 この五年の間、いろいろ行動したものの収穫はゼロ。

 教会を出て住むところ、働くところ共に見つからない。

 覆面男に関しても同じ。

 姿を見ないし、噂も聞かない。

 なにもかもお手上げ状態。


「レオ」

 いつも通り明るい声でヴィヴィが声をかけてくる。

 僕はくよくよ考えるのをやめ、ヴィヴィを見た。

 いつもより笑顔が輝いている。


 五年前、覆面男に弓矢で襲われた事件以来、ヴィヴィに対して針の穴ほどの不審感が芽生えた。

 それはいまもある。

 大きくはならないけど、小さくなったり、ふさがったりもしない。

 依然として僕の心にあり続ける。

 敵か、味方か。

 いまだにわからない。


「練習用のパン、食べる?」

 ヴィヴィは笑顔でカバンからパンを取りだした。

 出会ってから今日まで、何年ものあいだヴィヴィが焼いたパンを食べ続けている。

 味はもちろん、見た目もずいぶんと変わった。

 最初はいかにも失敗作だったのが、どんどん完成されたものへと近づきつつある。

 

 僕はじっとヴィヴィの手にあるパンを見つめた。

 きれいな丸い形。

 美味しそうな焼き色。

 売っているパンと遜色そんしょくない。


「どうかした?」

 なかなかパンを受け取らない僕を見て、ヴィヴィが不思議そうな顔をしている。

『本職のパン焼き屋さんみたいだね』

 僕が伝えたい思いを身振り手振りで表現した。

「えっ? まるでパン焼き職人だって?」

 ヴィヴィが破顔はがんした。

『うん。もう立派な職人だよ』

「えへへへっ。実はさ、あたし、見習いを卒業したんだ」

『本当に?』

「本当だよ。だから、このパンが見習いとして焼いた最後のパンなんだ」

 手にしたパンを僕に差しだす。

 僕はパンを受け取り、大きな口を開けてかぶりついた。

『美味しい』

「ありがとう。明日から、パンを焼いてお金を稼げるんだ」

 誇らしげにヴィヴィが言った。


 自信に満ち溢れている。

 ヴィヴィは元孤児。

 教会を出て立派に自立している。

 見習いから正規の職人になった。

 僕も頑張らないと。

「あっ、これからも焼きそんじのパンを持ってくるよ」

 ヴィヴィは僕の頭をぽんぽんと叩いた。

『ありがとう』

 僕は頭を下げた。

「じゃあ、またな」

 ヴィヴィは手を振り、走っていった。

 

 敵か、味方か。 

 もう一度、考えてみた。

 敵じゃない。

 確信している。

 味方か……。

 それは正直なところわからない。

 五年前のあの事件のことがなければ、確実に味方だと断言できる。

 あの事件のときの行動だけが理解できない。

 

 僕はパンを食べ終え、保管小屋に向かった。

 採譜師としての仕事は、ぼちぼちといったところだ。

 五年前、僕が採譜師になることでカリファともめた経緯がある。

 結果的に、カリファはネウマ譜に関する仕事の大半を失った。

 その恨みから、いろいろ何癖なんぐせをつけてくる。

 やりにくいし、腹が立つ。

 でも、ダレッツォに迷惑をかけたくないから我慢している。


 保管小屋に到着し、まず書き終えたネウマ譜をまとめた。

 採譜師として、新曲の採譜、既存曲の写譜など、依頼に沿って作成している。

 それを依頼主に届けるため、商人にお金と交換でネウマ譜を手渡す。

 こうして教会は運営資金を調達している。

 どれほど働こうが僕のふところには一銭も入らない。

 全ては教会と孤児たちのため。

 ひとりでも多くの孤児たちを養えるように、僕はネウマ譜を書く。

 役に立たないと思っていた音楽的知識が活かせる。

 こんな幸せなことはない。


「よお、レオ」

 小屋にジェロがやってきた。

 すぐさま机に向かい、ネウマ譜を指した。

「今回の納品はこれか?」

『うん』

 僕が首を縦に振ると、ジェロはうなずいた。

 ネウマ譜をひとつずつ検品しはじめる。

 そこへカリファが小屋にやってきた。

 ジェロの背後に立ち、ネウマ譜を見ている。

「不備がないかしっかり調べてくれ」

 カリファが偉そうにジェロに言った。

 ジェロはちらりと後ろを向き、すぐさま無言で検品作業に戻った。

「間違いはないか?」

 カリファは尋問するみたいに聞いている。

「前に比べて美しくないという苦情があるんじゃないか?」

 今度は誘導尋問。

 カリファの意図は見え見えだ。

 僕の書いたネウマ譜が不良品だとジェロに言わせたいのだろう。


「どうなんだ?」

 カリファが答えを急かす。

 すると、ジェロは大きなため息をついた。

 黙れと言わんばかりにカリファを睨んだ。

「で、どうだ?」

 カリファは少しもひるまない。

「数は合っていますし、内容も完璧です。納入先からの評判も上々……」

「そんなはずはないだろう」

 カリファはあきらめない。

「……五年前に比べて、明らかにネウマ譜の注文数が増えています」

 ここでいったん言葉を切り、ジェロがカリファを見た。

「これがなにを意味するかわかりませんか?」

 ジェロの言葉にカリファはなにか言いたそうにしている。

 でも、言い返さない。

 僕を睨みつけ、なにも言わずに小屋から出ていった。


「本当に困ったひとだな」

 ジェロは声をかけながら、ネウマ譜を袋に入れた。

「大変だろうけど、どんなに意地悪をされても我慢しろよ」

『わかってる』

 僕は大きくうなずいた。

「じゃあ、次の注文も頼むな」

 ジェロは袋を抱えて小屋から出ていった。


 この五年、無事異世界で生き続けることができた。

 でも、今後もこれまで通り安泰あんたいとは限らない。

 不安要素はあり続ける。

 覆面男のことだ。

 いつまた襲われるとも限らない。

 カリファにも注意が必要だ。

 それと……。

 チーロ。

 奴隷商人に売られた可能性がある。


 早くもとの世界に戻りたい。

 そのために毎日頑張っている。

 でも、戻る前にチーロを助けたい。


 いまの僕にはやるべきことが山のようにある。

 自立後の生活。

 チーロ探し。

 もとの世界に戻る方法を探る。

 

 そのなかで優先すべきは、自立後の仕事と家だ。

 急いで解決しないと。

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