第39話 放たれた二本の矢

 必死に逃げながらも、僕はちらりと斜め後ろを向いた。

 弓をつがえた男がいる。

 全身黒づくめで覆面——。

 あの覆面姿は……。

 その姿になにやら脳みそがちりちりと刺激される。

 ときおり、ぱちっと火花のようなものが散った。

 

 なんなんだ?

 脳内に粘着質のものがへばりつくような感覚。

 それがとても気持ち悪い。

 吐き気がする。


 視界の隅で男が動きをみせた。

 弓から矢が発射——。

 放たれた二本の矢がしばらくは一緒に飛んでいたけど、次第に分かれていく。

 一本は僕より後方に、もう一本は僕がいる方向に……。


 こちらに向かっていくる!


 狙いは僕とカリファの両方だ。

 矢が確実に獲物に向かって飛んでいく。

 でも、それにカリファは気づいていない。

 ひたすら僕だけを見て追いかけてくる。


 カリファ、危ない。逃げろ。

 嫌な奴だけど、見殺しにしたくない。

 カリファのためじゃなく、罪悪感を抱いて生きたくないから。

 伝えたいけど、手段がない。

 僕にはなにもできない、自分が助かるために逃げるしか……。


 矢の軌道から逃れようと、僕は横っ飛びした。

 着地する寸前、バランスを崩して顔面から転んだ。

 その直後、頭上を矢が通過。

 まさに間一髪。


「うぎゃっ」

 背後でカリファの悲鳴が聞こえた。

 

 顔面をしこたま打ち、激しい痛みが襲ってくる。

 それを無視し、後ろを向いた。

 カリファがふくらはぎに矢を受けて倒れている。 

 かなり痛そうだ。

 でも、命に別状はないだろう。

 ほっとしたのも束の間、僕は目を見開いた。

 矢を放った男がこちらに向かって走ってくる。


 逃げないと。

 本能的に危険を察知し、僕は起きあがった。

 矢で仕留しとめ損ねた僕を殺しにくる。

 走ってくる男には、ただならぬ雰囲気があった。

 これまでに感じたことのない空気感。

 

 殺気?

 

 全身の毛穴が全部開くような感覚。

 寒気に似た皮膚感。

 恐怖。

 

 なんだこれ……。


 逃げなければと思う。

 だから、いま、逃げている。

 それと当時に思った。

 この感覚、前にもあったような気がする。

 

 いつ?

 どこで?


 全速力で走りながら考える。

 

 わからない。

 けど、同じシチュエーションがあった。

 気のせいじゃない、絶対にあったはずだ。


 逃げる僕。

 追いかけてくる……。

 誰が?

 記憶に問いかけてみる。

 

 誰が僕を追いかけていた?

 ……。

 

 視界の隅に、いま現在追いかけてくる男の姿が目に映った。

 黒い服装に覆面姿。

 それが記憶のなかにあるものと合致した。


 覆面男⁉︎


 異世界にやってきてすぐ、僕を追いかけ、首を絞めていたあの覆面男。

 その覆面男と矢を放った男の姿が重なる。

 それだけじゃない。

 ガイオにホウキを隠されて探していた夜、カリファと密会していた人物も覆面男だった。


 これまで覆面男を三度目撃している。

 転生直後。

 カリファと密会していたとき。

 そして、今回。

 

 同一人物なのだろうか。

 記憶にある覆面男と似ている。

 いや、同じだ。

 でも、証拠はない。

 いずれの人物も覆面をしているから、人相は不明。

 確実な証拠はないけど、僕の記憶は同一人物だと結論づけている。


 覆面男はもとの世界に戻るための鍵だ。

 絶対に必要なもの。

 でも、その鍵を僕はどうすることもできない。

 覆面男から話を聞きたいところだけど、どう考えてもそれは無理。

 正体が不明なうえに、僕を殺そうとしているから。


 逃げる。

 いまはそれしかない。

 もし助かったら、覆面男とカリファを探ろう。

 ふたりは間違いなく関係がある。

 それも殺そうとするほどの深い関係性が……。


 背後に気配を感じた。

 振りむくまでもない。

 男——覆面男がすぐ後ろまで迫っている。

 

 僕はがむしゃらに走った。

 逃げきれる自信はない。

 でも、逃げる。

 もしかしたら奇跡が起きるかもしれないから。


 あっ。


 突然、物凄い力で肩をつかまれた。

 そのまま後方に引きずられる。

 殺されてたまるものか。

 手を振りまわし、必死に抵抗を試みる。

 それが功を奏し、手が覆面男の顔面に当たった。

「このガキ」

 覆面男が吐き捨てるように言った。


 この声!

 転生直後に出会った覆面男のドスの効いた声と同じだ。

 間違いない。

 

 物証はないけど、僕のなかでは証拠は揃った。

 こいつは覆面男だ。

 誰かに証明する必要はない。

 僕がわかっていればそれでいい。


 覆面男が僕の胸ぐらをつかんだ。

 あのときと同じように——。

 その後、絶体絶命のピンチになったけど、ジェロが助けてくれた。

 今回も同じであってほしい。

 奇跡は二度も起きないものだ。

 わかっているけど祈った。


 覆面男が僕の首を絞める。

 息苦しさのあまり、僕は目を閉じた。


 助けて!


 心のなかで叫んだ。

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