第38話 矢をつがえる謎の男
僕はチーロの石を見つめ、考えた。
チーロ……。
脳裏にチーロの笑顔が浮かんだ。
チーロはある日突然、教会から姿を消した。
罰せられるのを恐れて逃亡——。
それが教会が出した結論だった。
とても信じられない。
たしかにチーロは罪を犯した。
反省し、罰を受ける覚悟をしていたのに逃げるだろうか?
逃げたとしても、孤児がひとりで生きられるはずもないのに?
違う。
チーロは逃げていない。
僕は石をぎゅっと握りしめた。
チーロはカリファに拉致され、ここに閉じこめられたんだ。
僕と同じように……。
だとするなら、チーロは奴隷商人に売られてしまったことになる。
体がぶるっと震えた。
この世界で奴隷商人に売られた者の
幸せに暮らしているなんて状況にないのはたしか。
教会での生活以上の苦難にあっている可能性が高い。
チーロ。
売られたとしたとも、どうか無事でいて。
生きてさえいれば、再会できるかもしれない。
ううん、絶対に会う。
必ず僕が探しだしてみせる。
そのためには、ここから逃げださないといけない。
売られてなるものか。
「そろそろ時間だ」
小屋の外からカリファの声が聞こえてきた。
「時間?」
「孤児を受け渡す。私は仲介人を連れてくるから、おまえは孤児を見張っていろ」
「は、はい」
修道士が返事をしたあと、落ち葉を踏み鳴らす音が聞こえた。
少しずつ遠ざかっていく。
カリファがこの場から消えた。
いるのは修道士ひとり。
逃げだすならいましかない。
どうやって逃げようか。
考えがまとまるより先にドアが開いた。
しまった!
僕は干し草のなかで身を固くした。
少しでも動いたら音がしてバレてしまう。
「あれ? いない」
修道士が慌てふためいている。
先ほどまでいた僕が
よほど焦ったのか、小屋のなかを捜索せずに飛びだしていった。
おそらく、僕がすでに小屋から抜けだしたと考えたのだろう。
なんともおっちょこちょいな修道士だ。
でも、そのおかげで僕は助かった。
僕はゆっくりと干し草から出た。
石を
誰もいない。
いまだ。
落ち葉を踏む音をなるべくさせないように歩いていく。
夜道は暗く、自分がどこへ向かっているのかわからない。
雪山で遭難した気分だ。
本来、方角がわからないなら動かないほうがいい。
でも、いまは状況が違う。
この場から逃げる必要がある。
僕はがむしゃらに走った。
見知った場所を探して駆けていく。
どこまでも道は暗い。
見知った建物が見当たらない。
焦りが強くなってくる。
その証拠に僕はちっとも気づかなかった。
真正面から誰かがやってくることに——。
「お、おまえ、逃げだしたのか」
薄闇のなかから声がした。
僕は目を凝らし、真正面を見つめる。
もうすぐ日の出の時刻なのか、闇が薄らいでいる。
とはいえ、よく見えない。
でも、声に聞き覚えがある。
カリファだ。
サクサク、サクサク。
落ち葉を踏み鳴らす音がどんどん早くなってくる。
カリファは夜目が
カリファ——。
ようやく姿が見えた。
僕に向かって手を伸ばしている。
このままでは腕をつかまれてしまう。
僕はカリファに背を向けた。
本能的に足が動く。
逃げた。
薄闇のなか、遠くに教会が見える。
あそこへ向かって走ろう。
目標を定めて走った。
背後から気配を感じる。
カリファが追ってきているのだろう。
あとどれくらいで追いつかれるのか気になった。
ちらりと振りむく。
僕の数メートル後方にカリファがいる。
あっ。
僕は目を見開いた。
視線が背後を走ってくるカリファではなく、別のものをとらえる。
僕とカリファの位置を線で一直線に結び、それを底辺として三角形を描く。
その頂点に第三の人物がいた。
僕がいる位置からは遠くて、はっきりと顔が見えない。
でも、長身で覆面をしているのがわかる。
その人物が弓を構え、二本の矢をつがえた。
僕とカリファ、第三の人物の関係はまるで狩人と獣。
獲物は僕かカリファか……。
考える余裕などなかった。
逃げるしか僕に道はない。
矢がなにを狙っているのかわからない。
僕か。
カリファか。
はたまた両方か——。
いつ放たれるともわからない矢。
それとカリファ。
僕はふたつのものから逃れるために走った。
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