第36話 福が転じて災いとなす!?
僕は紙にペン先を置いた。
書きだす前にひと呼吸。
心を一点に集中させていく。
日頃感じない強烈な視線を感じた。
教会にいる誰もが僕を見ている。
好意的なものから悪意に満ちたものまで、様々な感情が伝わってくる。
全身に感じる視線と感情に心がざわつく。
気にするな。
もう
集中だ。
ペン先を紙に置いたまま、全神経を頭に集めた。
修道士たちが歌った聖歌を脳内で再生していく。
それに合わせて僕も心のなかで歌う。
その音のひとつひとつが指先へと流れ、手を動かす。
動いた手はペンを走らせ、目に見える形に仕上げていく。
心のなかで歌い続ける。
その間、手は止まらない。
次々と記号が紙に書き記されていく。
間違いがないよう、美しく書こうなど考えない。
ただひたすら、手が動くに任せる。
脳内の聖歌が終わった。
大きく息を吸い、頭に集まった神経を開放していく。
終わった。
ほっと胸をなでおろす。
僕はペンを置き、顔を上げた。
真っ先に目に飛びこんできたのは、カリファだった。
顔は能面をつけたように無表情だけど、動揺しているのか手が震えている。
それもはっきりと。
次に見えたのはダレッツォだった。
よくやったとばかりにうなずいている。
「完成ですね」
ダレッツォに質問され、僕は首を縦に振った。
「では、作曲者である私が確認します」
机にある完成したばかりのネウマ譜を手にした。
真剣な目つきで読んでいる。
その様子を
誰もが結果をいまか、いまと待っている。
ダレッツォはなにも言わない。
ただひたすらネウマ譜を目で追っている。
カリファと修道士たちは
教会内の空気がぴんと張りつめている。
物音ひとつしない。
そのなか、ダレッツォがネウマ譜を机に広げて置いた。
僕は唾を飲みこんだ。
「採譜とは、何度も聖歌を聞いてネウマ譜を書きおこすものです」
ダレッツォの低い声が教会に響く。
「それを今回は一度聞いただけ、それも初めて聞く曲に対して行いました」
話しながら机に置いたネウマ譜を指した。
それを合図に修道士たちがネウマ譜を見ようと集まりだす。
そのなかにカリファの姿もあった。
「レオが書いたネウマ譜を正式に採用します」
ダレッツォの発言に誰もが驚きの表情を浮かべている。
「修道士長さま。不完全なものを採用してはなりません」
カリファが修道士たちを押しのけ、ダレッツォの真正面に移動した。
怒りのせいか肩が震えている。
「不完全? いいえ、これはほぼ完成形です」
「ほぼ?」
カリファはネウマ譜を奪うように取り、顔を近づける。
「ところどころ古い記譜法を用いていますが、内容は完璧です」
カリファのネウマ譜を持つ手が異常に震えている。
よかった、採譜自体に間違いがなくて。
一回で暗譜できるか不安だった。
練習したとはいえ、何音かは間違えても不思議ではない。
記譜法の勉強が足りなかったという問題点はあった。
それでも
「レオ、頑張りましたね。明日から新しい仕事に
ダレッツォの宣言に教会内に歓声が上がった。
「採譜と写譜をはじめ、ネウマ譜の管理を任せます」
この発言を聞き、カリファが目を
僕を睨み、それからダレッツォを見つめる。
「修道士長さま。それでは私の仕事はどうなるのですか?」
問い詰めるようにカリファが言った。
「修道士副長。徐々にネウマ譜の仕事をレオに引き継いでください」
ダレッツォはカリファをじっと見つめている。
「えっ⁉︎」
「修道士副長は今後、修道士長になるための修行をはじめてもらいます」
「修行はします。ですが、ネウマ譜の仕事も続けさせてください」
カリファは一歩も引かない。
「修道士長の修行はとても大変です。両立するより、修行に全力を投入してください」
ダレッツォも引かない。
「ですが……」
説得を試みるカリファを無視するようにダレッツォは背を向けた。
そのまま教会から立ち去っていく。
「修道士長さま……」
呼び止めもダレッツォには届かない。
落胆して肩を落としたカリファだったけど、次の瞬間——。
ギリギリと音がした。
カリファが
それから僕を見た。
悔しさ、怒りなど負の感情を
これまでは毛嫌いされていると感じていた。
でも、いまは違う。
嫌われている以上の感情。
憎まれている。
無言のまま僕を
怖い。
身の毛がよだつほどに。
だから、思った。
またなにか仕掛けてくる。
仕事を奪われた恨みを晴らし、取り戻すために。
カリファは動く。
僕は教会を出て、すぐさま保管小屋に向かった。
もしかするとカリファがいるかもしれない。
用心しながら小屋に入った。
幸い、カリファの姿はない。
ほっと胸をなでおろす。
明日からネウマ譜に関する様々な仕事を行なっていく。
ダレッツォの指示通り、カリファが素直に仕事を引き継ぐとは思えない。
それどころか仕事を奪われまいと邪魔をしてくるだろう。
気を引きしめなくては。
明日から少しずつネウマ譜の整理をしていこう。
並べるだけでなく、どんなネウマ譜があるのかまとめる。
まとめ方、記録方法などを考えているさなか——。
小屋のドアが乱暴に開け放たれた。
先頭にいるのはカリファ。
その後ろにあとふたり。
見覚えのない顔だけど、服装から修道士だとわかる。
三人が一斉に僕を取り囲み、ニヤニヤと
なにも言わず、ただ笑っている。
逃げないと。
本能的に僕は動く。
だけど、遅かった。
僕の行手をカリファが
横に逃げようとした矢先——。
背後から袋状のものを被せられた。
視界が奪われる。
手足を動かそうとしたところ、袋状のものに包まれたまま抱えられた。
完全に身動きが取れない。
僕はカリファに囚われてしまった。
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